カートコバーンが自殺に至るまでの経緯・背景
ショットガンによる自殺という形で生涯に幕を下ろしたカートコバーンですが、そこに至るまでにはさまざまな苦悩がありました。
ここでは、彼が自殺に至るまでの経緯や背景についてご紹介していきましょう。
「自殺」を常に意識していた少年時代
カートコバーンは、少年時代、「自殺」という言葉と隣り合わせの生活を送っていました。
例えば、カートが12歳のときに彼の大叔父に当たるバール・コバーンがピストルで自殺しているほか、中学2年生のときには近所の小学校で少年が首を吊って自殺しているのを目撃しています。特に、友人と首吊り自殺の光景を目撃した際、カートは30分近くもそこから目を離さなかったそうです。
カートコバーンの伝記の作者であるチャールズ・R・クロスは、『Heavier Than Heaven』という著作の中で、以下のように語っています。
彼にとって自殺とは、アルコール依存症や貧困やドラッグと同様に、環境の一部に過ぎなかったのだ。カートは「自殺遺伝子」を持っているのだとマーシュ(筆者注:首吊り自殺を一緒に目撃した友人)に語っている。
竹林正子訳,p66
また、カートコバーンは学校からの帰り道、「スーパースターになって、ジミ・ヘンドリックスのように自殺する」とも友人に語っていました。
このように、カートは幼少期から「自殺」という死に方にある種の憧憬を抱いていたと言えるでしょう。
薬物中毒と胃痛
カートコバーンは重度の薬物中毒に陥っており、それをやめられなかったことが彼の妄想や偏執を強め、自殺を引き起こす一因となりました。
カートの薬物の使用遍歴を遡ってみると、それはなんと中学2年生にまで遡ります。その頃、彼はマリファナやLSDを友人たちと常用し、学校をサボるようになりました。ただ、当初のカートはロックミュージシャンの多くがヘロインで命を落としていることから、ヘロインには手を出さないように心がけていたようです。
しかし、1990年、カートが23歳の11月、彼はオリンピアで友人と一緒にヘロインに手を出してしまいます。そして、その後は持病であった胃痛をやわらげる目的もあり、薬物の使用量は次第に増加していきます。
彼は、胃痛のつらさについて様々なインタビューで言及しており、「焼けつくような痛み」を味わっていることに繰り返し言及しています。また、あるインタビューで「自殺した方がましだ」と口にしていることからも、その痛みが相当なものであったことを窺い知ることができます。
このように、薬物中毒と胃痛というふたつの要因が、彼を破滅的な方向に導いてしまったことは間違いないでしょう。
コートニーラブとの関係の悪化
薬物中毒によって自分の世界に閉じこもりがちになっていたカートですが、1993年には家の中にある拳銃についてコートニーと口論になり、コップをコートニーの顔に投げつけています。
結局そのできごとは警察沙汰にまで発展し、DVの容疑でカートはシアトルの刑務所に収監されることになりました。
その後、喧嘩の頻度は次第に多くなっていき、収入のこと、人間関係のことなどでふたりは大喧嘩を何度も繰り返しています。
ただ、カートがコートニーを愛していたことは紛れもない事実で、遺書に力強く「I LOVE YOU」という文字を書き残していることからも、それはおそらく死の直前まで変わらなかったと思われます。
とはいえ、最愛の妻との軋轢が、カートに幼少期の「両親の離婚」というトラウマを呼び起こさせた可能性は否めません。そういった意味で、コートニーとの不和はカートを追い詰めた一つの要因となっていたと言えるでしょう。
マスコミによる精神攻撃
カートは、マスコミによる精神攻撃にもしばしば言及しています。
彼は、メディアが自分自身を「悲劇のスーパースター」に仕立て上げようとしていることや、妻のコートニーを様々な理由で誹謗中傷していることに常に怒りを覚えていました。
たとえば、彼はインタビューの中でマスコミについて以下のように語っています。
マスコミは極悪な生き物だ。連中は最も非道で心がない。俺の知る限り最も意地悪な人種だ。やつらに何の尊敬も抱けない。
ドキュメンタリー映画「About α son」より
カートにここまで言わしめていることからもわかるように、マスコミは胃痛や薬物中毒と同じぐらい彼を追い詰めていたもののひとつでした。
カートコバーンの死因、「他殺説」
「カートは自殺した」というのが一般的な説ですが、上述した通り「カートコバーンはコートニーに殺された」という説もまことしやかに囁かれています。その説を唱えている代表格が、昔コートニーに雇われていた私立探偵、トム・グラントです。
彼は、独自にカート他殺説を追い続け、最終的には「ソークト・イン・ブリーチ〜カート・コバーン 死の疑惑〜」という映画を制作するに至りました。
トム・グラントがカートを他殺だと結論づけているのは、以下のような根拠からです。
コートニーラブが、トム・グラントとの電話の中で「カートの資産は私のものよ」など、資産目当てで結婚したかのような発言をしている
言語学者の解析によると、遺書の筆跡に不自然な点がある
毒物学者や第一発見者の話を聞いてもカートの死には不自然な点が多い
もちろんコートニーはこれを否定し、上映中止などの要請を行っています。邦題も元々は「死の真相」となっていたのですが、この作品がアメリカであまりにも物議を醸したことにより、権利元からの要請で「死の疑惑」というタイトルに変更になりました。
カートコバーンの死因に関するまとめ
ここまでカートコバーンの死因についてご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
一般的にはカートコバーンの死因は自殺によるものと言われていますが、記事中で紹介したように「カートはコートニーが他殺した」という説もあります。
ただ、カートコバーンの資料収集が趣味の筆者から言えば、コートニーがカートを殺したという説はかなり信憑性の低いものだと思います。というのは、そもそも本当にコートニーがカートを殺したという証拠があるのならば、商業的な映画という形で公開する必要はどこにもないからです。
そういった意味で、彼の他殺説を標榜した「ソークト・イン・ブリーチ」はカートの最も嫌っていた「ロック・ミュージシャンを商業利用するもの」になっていると言わざるを得ません。
とはいえ、考え方は人それぞれなので、この記事を読んで彼の死に興味を持った方は、ぜひご自分でいろいろな資料にあたって考察してみてくださいね。