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パンクロックとは?歴史や特徴、ファッション、代表アーティストまで紹介

「パンクロックってどんなジャンルなの?」
「代表的なパンクバンドを知りたい!」
「パンクらしいファッションってどんなの?」

日本の音楽業界にも大きな影響を与えバンドブームで社会現象にもなったパンクロックですが、具体的には一体どんなジャンルなのでしょうか?

この記事ではパンクロックの特徴や代表的なアーティスト、ファッションについて詳しく紹介していきます。

パンクロックとはどんなジャンルなのか?

パンクロック

パンクロックとはニューヨークやロンドンで大流行して世界に広まった、反抗心を原動力として生まれたロックの一種です。キャッチーなメロディーやコードが特徴で、当時人々が抱いていた政治的・社会的な主張を、音楽にのせて演奏したのが始まりとされています。

パンクロックの発祥

1960年代後半に現れたハードロックやプログレッシブロックは、イギリスやアメリカで商業的に大成功をおさめました。アルバムは爆発的に売れコンサートの規模はどんどん拡大していったのです。演奏の技術も高まり、憧れの対象となるようなミュージシャンも多数出現しました。

また1970年代にイギリスで始まったグラムロックはきらびやかで魅惑的なルックスから、ハードロックやプログレッシブロックとは違ったファンを獲得し大人気となりました。

しかしテクニック重視で大衆には楽しみづらいロックとなってしまい、一部のロックファンから不信感を抱かれていたのも事実でした。そんなロックの流れに馴染みきなかった人々が、ロックンロールが本来持っていた勢いと世俗的な主義主張を押し出すようにして演奏し始めたのがパンクロックでした。

パンクロックの思想

パンクロックの楽曲の歌詞には、主義や主張が含まれているものが多いです。その中には政治的なものや権力に対する反発なども少なくありません。セックス・ピストルズのボーカルであるジョン・ライドンは無政府主義であるアナキストだと公言しています。

ジョン・ライドン

従来のロックに対して反抗心を持ったパンクロックのミュージシャンたちは、当時ロックスターとなっていたバンドやミュージシャンたちを痛烈に批判していました。このことからも反抗を原動力として活動していたことがわかります。

またDIY(Do It Yourself=自分達でやる)の精神をモットーとしていたパンクロックのミュージシャンたちは、大手音楽事務所などに頼らずレコーディングや作品の販売などを自分たちで行うインディーズで活動していました。

パンクロックの特徴は?

シンプルで強力な演奏

一般的なパンクバンドの楽器の編成は、エレキギター、ベース、ドラムとシンプルなものです。

テクニック志向に走っていたロックでは超絶テクニックを駆使するギタリストや、独自のグルーブを持つドラマーなど個性的なミュージシャンが注目を集めました。また使用する楽器も10代20代の若者には手が出せないような高価なものでした。

ハードロック

対してパンクロックの楽曲の作りはシンプルで、ロックンロールを思わせるようなシンプルなコードが用いられています。リズムもロックの王道である8ビートが主流で、ギターは歪ませた音色でキャッチーなメロディやコードを演奏しました。

そのためパンクロックを演奏するバンドは、ハードロックやプログレッシブロックのバンドに比べて下手だというイメージが強いです。メッセージ性とパワフルさに重点を置いたスタイルっだったので、むしろ下手な方がいいという意見もあるほどです。

パンクロックのボーカルも人を引き付けるのはテクニックだけではないと教えてくれます。上手とは言い難いですが、メッセージを精一杯届ける様子に心打たれるリスナーが多いのも頷けます。

反抗心を原動力とした攻撃的な歌詞

反抗心を原動力に生み出されたパンクロックのムーブメントですが、バンドごとに主義や主張は異なっていました。反資本主義や反人種差別、アナキズムや左翼や右翼まで様々でした。しかし多くのパンクロックバンドに共通していたのが反体制です。

イギリスのパンクロックバンドであるセックス・ピストルズやザ・クラッシュなどは、当時のサッチャー政権やイギリス王室に対する批判の歌で人気を得ています。このことからも大衆の想いを代弁していたことがわかります。

セックス・ピストルズ

しかし保守派の人々には煙たい存在であったため、セックス・ピストルズのジョン・ライドンなどは愛国者から襲撃され重傷を負ったという事件も起こりました。

また権力も政治も宗教も関係なく演奏されるパンクは、多くの紛争地域や宗教的弾圧を受けている地域の人々の間で原動力となっています。残念ながらそういう地域ではパンクの愛好者たちが取り締まりの対象として扱われています。

代表的なバンドやアーティスト

ラモーンズ ライブ

ニューヨーク・パンク

ラモーンズ

ラモーンズ

1974年に結成されたパンクロックを語るうえで外すことが出来ない最重要バンドです。

結成当時のメンバーは全員がラモーン姓を名乗っていました。これはビートルズのポール・マッカートニーが使っていた芸名ポール・ラーモンから、ベースのディー・ディー・ラモーンが名づけました。

1976年に発表されたラモーンズのデビュー・アルバム「ラモーンズの激情」は、発売当時こそ大きな反響を得られませんでしたが、のちにローリング・ストーン誌の「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」で第2位に輝きました。2014年にはゴールドディスクにも認定されています。

2002年にはロックの殿堂入りを果たし、ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で第26位にランクインしました。

ザ・ストゥージズ

イギー・ポップ

パンクロックが流行し始めるより前に、パンクの精神で活動していたのがザ・ストゥージズでした。ボーカルのイギー・ポップはステージから客席に向かってダイブして歯を折ったり、ステージに撒いた割れたガラスの上を転がったりするなどの過激なステージ・パフォーマンスをすることでも有名です。

デビュー後2枚のアルバムを発表したところで活動を休止、その後イギーがデヴィッド・ボウイに出合い3枚目のアルバムを制作しますが、これも全米182位に留まりました。その結果レコード会社から契約を打ち切られ、1974年にザ・ストゥージズは解散します。

2010年にザ・ストゥージズはロックの殿堂入りし、イギー・ポップは2020年にグラミー賞特別功労賞 生涯業績賞を受賞しています。

パティ・スミス

パティ・スミス

「クイーン・オブ・パンク」と呼ばれたアメリカのシンガーソングライターです。また詩人としても有名で、他にも絵を描いたり演劇をしたりと多方面に活動を行っています。2007年にロックの殿堂入りし、ローリング・ストーン誌の「歴史上最も偉大な100人のシンガー」で83位を獲得しました。

1974年にパティ・スミス・グループを結成すると、翌年にデビュー・アルバム「ホーセス」を発表し話題を呼びました。のちにU2のボノは大きな影響を受けたアルバムとして、この作品を挙げています。

ボブ・ディランとパティ・スミス

1994年に夫と弟を相次いで亡くし、悲しみに暮れるパティ・スミスを救ったのが憧れだったボブ・ディランでした。2人の交流は深く、2016年にボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した際には、ディランの代わりに授賞式に出席しています。

ロンドン・パンク

セックス・ピストルズ

セックス・ピストルズ

1975年に結成されたイギリスのパンク・ブームを代表するバンド。ベーシストのシド・ビシャスが在籍していたことでも知られています。

シド・ヴィシャス

過激なパフォーマンス・スタイルのため、保守派の人々から敵視されライブが度々中止になりました。またテレビでは放送禁止用語を連発するため、レコード会社から契約を打ち切られたりもしています。

3年ほどの短い活動期間の中で1枚だけ発売したスタジオ・アルバム「勝手にしやがれ‼」は、全英アルバム・チャートで第1位に輝き、ローリング・ストーン誌の「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」で第7位にランクインしています。

2006年にはロックの殿堂入りを果たしますが、自身の公式サイトにロックの殿堂を罵倒する内容のメッセージを掲載しセレモニーへの出席を拒否しました。

ダムド

ダムド

1976年に結成されたバンドで、シングルとアルバムを最初にリリースしたパンクバンドとしても知られています。ダムドは音楽主義で、セックス・ピストルズやザ・クラッシュのような政治的や社会的な主張があまり見られないのが特徴です。

スピード感と激しいビートが伴ったサウンドは、のちのハードコアパンクに大きな影響を及ぼしパンクの音楽面で多大な貢献をしています。

ファッション面でも他のバンドのパンクファッションとは異なっています。ドラキュラのコスプレをしたボーカルに、ハネのついた鳥の着ぐるみのような衣装のギターとあまりに個性的でした。そのためイロモノのバンドだと思っていたリスナーも少なくありません。

ザ・クラッシュ

ザ・クラッシュ

1976年から1986年にかけて活躍したイギリスのバンドです。ザ・クラッシュは前出のセックス・ピストルズやダムドと比べて幅広い音楽性を持っていました。レゲエやR&B、ロカビリーといった音楽と融合し、今でいうミクスチャー・ロックを演奏していたのです。

ファースト・アルバムは純粋なパンクロックで、イギリスにおいて高い人気を獲得しました。その後3枚目のアルバム「ロンドン・コーリング」を発表し、その幅広い音楽センスが話題となりアメリカでも広く知られるようになります。

1986年の解散後にロックの殿堂入りを果たし再結成が検討されましたが、ベースのポール・シムノンが「チケットが高くてファンが見に来れない」と再結成を拒否し実現はかないませんでした。

日本のパンクロック

ザ・ブルー・ハーツ

ザ・ブルー・ハーツ

日本を代表するパンクロックバンド。1987年に「リンダリンダ」でメジャーデビューし、第二次バンドブームの先駆けとなりました。「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」「青空」などヒット曲を数多く残しています。

作詞・作曲は主にボーカルである甲本ヒロトとギターの真島昌利が担当していました。彼らの書く詩は文学的にも評価が高く、NHKの番組で教材としても使われるほどでした。

1995年にブルー・ハーツは解散してしまいますが、のちに甲本と真島は新たなメンバーと「ザ・ハイロウズ」や「ザ・クロマニヨンズ」を結成しています。

彼らの影響は日本のロック史に大きな影響を残しました。2000年代に起こった青春パンクブームで有名になったバンドの多くは、ブルー・ハーツから影響を受けたと公言しています。

Hi-STANDARD

Hi-STANDARD

1990年代のメロコア・ブームをけん引したバンドです。1991年に難波章浩(ベース&ボーカル)、恒岡章(ドラム)、横山健(ギター)、松本敦彦(ボーカル)により結成しましたが、その後松本敦彦は脱退しています。

いち早く英語の歌詞に取り組み、結成当初から海外に目を向けた活動をしていました。1995年に発売したファースト・フルアルバム「GROWING UP」は海外盤も合わせて70万枚を売り上げ、1999年にはアルバム「MAKING THE ROAD」を発表し世界で100枚以上を売り上げました。

MONGOL800

MONGOL800

1998年に沖縄で結成されたスリーピースバンドで、通称「モンパチ」と呼ばれています。代表曲には「DON’T WORRY BE HAPPY」「小さな恋のうた」「あなたに」などがあります。2001年に発表されたアルバム「MESSAGE」がインディーズにもかかわらず280万枚以上を売り上げました。

エレキギター、ベース、ドラムのシンプルな編成から繰り出される、強力なビートとストレートな歌詞がモンパチの魅力です。また沖縄に対する愛にあふれた楽曲もたくさん制作しており、デビュー以来沖縄を活動の拠点から変えませんでした。

メジャーデビューをせずインディーズでここまで売れたバンドは他には類を見ません。それほど彼らの楽曲が人々の心に響いたのでしょう。

パンク・ファッションとは

パンクファッションの特徴

オリジナル・パンク

パンクファッションとは、音楽であるパンクロックを演奏するミュージシャンたちのファッションから始まりました。現在では音楽と関係なくファッションの一部として確立されています。

1975年に結成されたセックス・ピストルズの衣装を発端としています。寝ぐせのような髪型に引き裂かれたTシャツや革ジャンを合わせ、チェーンや安全ピンをアクセサリーにするスタイルです。当時のピストルズのメンバーたちは自作でこれらの衣装を制作していたと言います。

またパンクファッションで思い描くような奇抜な色に染めたモヒカンなどの髪型や、ドクロをモチーフとしたアイテムなどのイメージは1980年代に流行したハードコアパンクの影響によるものです。

パンク・リバイバル

ふたつのファッションを分けるため1970年代のファッションをオリジナル・パンク、1980年代以降をパンク・リバイバルと呼びます。

日本におけるパンクファッション

NANA

欧米と日本ではパンクファッションの認識が少し違います。日本では70年代のオリジナル・パンクと80年代以降のパンク・リバイバルのどちらも人気がありますが、欧米でパンクファッションといえばパンク・リバイバルのファッションのことを指します。

また2000年連載開始の矢沢あいによるマンガ「NANA」によって、パンクファッションやゴスロリの人気が高まりました。これによりパンクとゴスロリが融合したゴスパンや、パンクとロリータが合わさったパンクロリなども同時に注目を浴びました。

パンクロックの歴史

1970年代前半-ニューヨーク・パンクの誕生

CBGB

1960年代後半からニューヨークのアンダーグラウンドで活動していた、MC5やヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ザ・ストゥージズなどのバンドから影響を受けて、1975年ごろパンクロックは生まれます。

パティ・スミスやラモーンズなど数々のバンドやミュージシャンが、ニューヨークのライブハウスを拠点として演奏するようになります。そのひとつである「CBGB」はパンク発祥の地としてパンクファンたちの間では聖地として扱われています。

1970年代後半-ロンドン・パンクの誕生

ニューヨークから少し遅れてイギリスのロンドンでもパンクが流行します。

その立役者となったのがマルコム・マクラーレンという人物です。ファッション・デザイナーとしてロンドンでブティックを開いていた彼は、ニューヨークへ渡った際にパンクに出会い衝撃を受けました。その後ニューヨーク・ドールズというバンドのマネージャーを務めています。

マルコム・マクラーレン

ニューヨーク・ドールズの解散後ロンドンに帰ったマクラーレンは、店で働いていた若者たちが結成していたバンドに目を付けマネジメントを始めました。そのバンドがのちのセックス・ピストルズでした。

1980年代-パンクロックからハードコアパンクへ

1978年のセックス・ピストルズの解散などをきっかけに、パンクロックはニューウェーブやポストパンクと呼ばれるものに変化していきました。ポストパンクとはパンクロックをベースにしつつレゲエと融合したり、電子機器などを用いて新しいスタイルを追求したジャンルでした。

ポストパンクに対してオリジナルパンクの持つ反抗の精神とサウンドを、より荒々しく過激にしたバンドが増えていきハードコア・パンクと呼ばれるようになります。以前のパンクに比べ演奏の音量が大きく、歌唱法もシャウトなどが頻繁に使われるようになりました。

1970年代のセックス・ピストルズなどが掲げたアナキズムは具体性がなかったのに比べ、ハードコアパンクでは反戦・反核・反差別など具体的な主張を掲げていることも多いです。

1990年代-グランジへと発展

1990年代に入るとハードコアパンクの勢いは弱まり始めます。そんな中1989年にデビューしたアメリカのバンド・ニルヴァーナの存在がロック界を変えました。グランジやオルタナティブロックと呼ばれるジャンルで、パンクロックやハードロック、ヘヴィメタルに影響を受けていました。

ニルヴァーナ

1994年に大ブレイクしたオフスプリングやグリーン・デイなどが登場し、聴きやすいメロディを乗せたパンクロックをポップパンクと呼ぶようになります。

オフスプリングの3枚目のアルバム「スマッシュ」は世界で1300万枚以上を売り上げ、グリーンデイはデビューアルバム「ドゥーキー」でビルボート・チャート第2位に輝き1500万枚以上を売り上げました。これによりパンクロックはパンクファンだけでなく大衆に知られていきました。

オフスプリング

日本でのパンクロックの歴史

1970年代前半-パンクが流行する以前

世界でパンクロックが流行する前、日本でもパンクの先駆けのようなバンドが存在していました。ブルースロックを基調としていたためパンクとは呼べませんが、攻撃的なメッセージを含んだ歌詞や過激なパフォーマンスなど、のちの日本でのパンクブームへと繋がっていきます。

1969年結成の「村八分」は差別用語を多用した歌詞や客とのケンカが絶えませんでしたし、政治的に過激な歌詞のためファースト・アルバムが発売中止になった「頭脳警察」、暴走族に人気を誇りライブでのトラブルが絶えなかった「外道」などがそれにあたります。

村八分

彼らが活動していたころには何処にもカテゴライズされずにいましたが、パンクロックという言葉が生まれてからその存在が再び注目されました。

1970年代後半-世界のパンクブーム

ニューヨークやロンドンでパンクブームが起こると、日本でもその影響を受けたバンドが次々と結成されました。東京では「リザード」「フリクション」「ミスター・カイト」「ミラーズ」「エスケン」などのバンドが東京ロッカーズという総称で呼ばれ活動していました。

東京ロッカーズ

関西では町田町蔵が率いる「イヌ」やハードコアパンクの先駆けである「エスエス」などのバンドが活躍し、福岡では現在俳優として活躍している陣内孝則がボーカルを務めていた「ザ・ロッカーズ」などが結成されました。

しかしパンクロックが一般の人々に流行するまでには至らず、解散してしまうバンドも少なくありませんでした。

1980年代-ハードコア・パンクの誕生

1980年代に入ると世間的にも知名度を持つパンクバンドが現れ始めます。

1980年にデビューした「アナーキ―」は、日本皇室を揶揄するアルバムを制作したため回収する騒ぎが起こり、それが話題となり日本に「パンクロック」が広まりました。また同年結成の「ザ・スターリン」は、常軌を逸した過激なパフォーマンスが週刊誌などに掲載され知名度を上げていきました。

アナーキー

インディーズではイギリスの「ディスチャージ」や「G.H.B」などのハードコア・パンクに影響を受けたバンドも登場します。1980年代半ばになるとインディーズ・ブームが起こり、パンク・ロックが取り上げられるなど社会現象にまでなりました。

1980年代後半にはパンクロックの攻撃性はそのままに、ポップなメロディーを歌うバンドが現れ始めます。中でも「ザ・ブルー・ハーツ」は若者を中心に絶大な人気を誇り、現在に至るまでその人気は衰えていません。

1990年代-メロコアが人気を博す

Hi-STANDARD

1990年代はメロディック・ハードコア、通称メロコアのバンドが台頭してきます。よりメロディに重きを置いたパンクで、エモーショナル(感情的、情緒的)な要素を持ち合わせていることが多いです。

1991年に結成された「Hi-STANDARD」を筆頭に「BRAHMAN」や「SNAIL RAMP」など、チャートの上位に名前が挙がるパンクバンドが次々に登場しました。この時代のメロコア・バンドは、「Hi-STANDARD」が主催していたロック・フェスティバルに因んで「AIR JAM世代」と呼ばれます。

2000年代以降-青春パンクブーム到来

21世紀に入ると青春をモチーフとしたパンクがブームとなりました。

アルバムがオリコンチャート1位に輝いた「MONGOL800」「175R」、テレビ企画から結成された「ロードオブメジャー」、10代の中高生を中心に「太陽族」や「ガガガSP」などのバンドが人気を集めました。

京都大作戦

また「Hi-STANDARD」の「AIR JAM」をきっかけにロック・フェスティバルが次々開催され、2008年には「10-FEET」が京都で行っている「京都大作戦」が初開催を迎えました。

パンクロックに関するまとめ

いかがでしたか?

パンクロックはロックが一部の人々しか楽しめない高尚なものではなく、大衆の誰にだって演奏できることを証明しました。それがのちの日本の音楽業界やバンドブームを支えることになります。

ミュージシャンたちが着ていた衣装は音楽から離れて、ファッションのひとつとして確立されました。

青春時代をパンクロックを聴いて過ごした人も、まだ聞いたことない人もぜひ聴いてみてください。元気が出ること間違いなしです!

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