メソアメリカとは?文明や神話、遺跡などをわかりやすく徹底解説

「そもそもメソアメリカって何??」
「メソアメリカ文明ではどんな文明があったの?」
「メソアメリカ文明の神話や遺跡は?」

メソアメリカとは中央アメリカやメキシコを中心とした地域のこと指しています。この地域にはさまざまな文明が隆盛し、この文明たちのことをメソアメリカ文明圏と呼んでいるのです。

メソアメリカ文明圏ではさまざまな文化や遺跡が建設され、他の大陸の文明とはまた違った風習が見られています。この記事ではメソアメリカで興ったそれぞれの文明について解説した上で、神話や遺跡、特等的な生贄の文化を紹介していきます。

ぜひ最後までご一読ください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

メソアメリカとは?簡単に概要を解説

メソアメリカ

メソアメリカとは、メキシコから中央アメリカにかけて、多くの農耕文化やさまざまな文明が繁栄した地域を指しています。代表的な文明としてマヤ文明やアステカ文明、テオティワカン文明などが挙がります。

メソアメリカの文明たちは、アメリカ大陸の独立した地形によって、他の大陸との交流がなく独自の文化が発展していきました。そのため大陸にある文明とは異なった特徴が多く、興味深い点が多く見られています。

しかし15世紀末、スペイン人によって侵攻され、メソアメリカ文明たちは滅亡の道を辿りました。当時のスペイン人たちの発達した武器の前には、メソアメリカ文明は全く太刀打ちできませんでした。

メソアメリカを発展させた5つの文明

メソアメリカ

オルメカ文明

オルメカ文明で作られていた石像
文明時期紀元前1200年ごろー紀元前後
地域中央アメリカ中部〜メキシコ湾周辺

初めてアメリカ大陸にできた文明で、多くの文明たちの母体となっています。そのため「母なる文明」と呼ばれていることもあります。

オルメカ文明は石像の加工技術に長け、神殿の建造や巨石人などの石像建造物を多く残しています。またジャガーを信仰し、祭祀場では人間を生贄として捧げる「生贄文化」がすでにあったようです。

他にも絵文字や数字を用いていたり、暦の概念がすでにあったりと、非常に高度な文明を築いていました。

テオティワカン文明

都市テオティワカン
文明時期紀元前後ー7世紀ごろ
地域メキシコ高原

オルメカ文明の後継となり、巨大な都市国家を築いた文明です。都市の名前はテオティワカンと呼ばれ、文明の名称はこれが由来となっています。

紀元4世紀ごろから7世紀にかけて、20万をも超える人々が住んでいたと考えられています。これは中国の長安、エジプトのアレクサンドリアと同等の人口で、その繁栄ぶりが想像できますね。

現代において、テオティワカン都市遺跡は世界遺産に認定されています。

マヤ文明

マヤ文明
文明時期紀元前3世紀ー16世紀ごろ
地域メキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ

マヤ文明の名は、多くの方が耳にしたことがあるのではないでしょうか。マヤ文明は多くの都市国家が築かれ、広大な範囲を有していました。

マヤ文明の各都市ではピラミッドの建築や、王朝が開かれたことで、他の文明に先がけ壮麗な建築物や土器などのマヤ文化が栄えました。また天体観測術にも優れ、正確な暦の計算方法や文字記録も発達していました。

文明は16世紀ごろまで続き長い歴史を刻みましたが、9世紀を境に徐々に、各地の都市国家は廃れていったと考えらえています。原因は外敵による侵攻や、内紛、疫病などが説として提唱されていますが、はっきりとした原因は判明していません。

トルテカ文明

ケツァルコアトル神殿の頂上に座する戦士像たち
文明時期7世紀ー12世紀ごろ
地域メキシコ高原

トルテカ文明はテオティワカン文明の後継に当たる文明です。テオティワカン文明とは違い、各地に都市国家「トゥーラ」を築きました。

トルテカ文明を開いたトルテカ人は非常に好戦的な人種であったと伝えられています。それを象徴するように、ケツァルコアトルという神殿にはトルテカの戦士たちの石像が作られています。彼らは刀や槍などを持ち勇ましい姿で神殿を守っているのです。

しかしそんな彼らも11世紀末ごろから、北部からチチメカ人の民族移動には太刀打ちできませんでした。そして12世紀ごろにトルテカ文明は滅亡しました。

アステカ文明

アステカ文明で行われていた生贄儀式
文明時期14世紀ー16世紀ごろ
地域メキシコ高原

チチメカ人の一派であるアステカ族が、メキシコ高原一帯にアステカ王国を作りました。アステカ文明は絵文字やピラミッド型神殿が特徴です。

アステカ文明は生贄の儀式も盛んに行われ、大量の人骨が発見されています。その内容は生きた人間の心臓を取り出し、太陽の神に捧げるというものでした。

16世紀に入ると、スペイン人の征服者がアメリカ大陸に上陸し、アステカ文明にも接触します。当時の国王だったモクテスマ2世は、抵抗することなくスペインに大量の財宝を渡してしまうのです。

これに味をしめたスペインはアステカに侵攻。そしてわずか2年ほどでアステカ文明は滅亡しました。

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