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メソアメリカとは?文明や神話、遺跡などをわかりやすく徹底解説

「そもそもメソアメリカって何??」
「メソアメリカ文明ではどんな文明があったの?」
「メソアメリカ文明の神話や遺跡は?」

メソアメリカとは中央アメリカやメキシコを中心とした地域のこと指しています。この地域にはさまざまな文明が隆盛し、この文明たちのことをメソアメリカ文明圏と呼んでいるのです。

メソアメリカ文明圏ではさまざまな文化や遺跡が建設され、他の大陸の文明とはまた違った風習が見られています。この記事ではメソアメリカで興ったそれぞれの文明について解説した上で、神話や遺跡、特等的な生贄の文化を紹介していきます。

ぜひ最後までご一読ください。

メソアメリカとは?簡単に概要を解説

メソアメリカ

メソアメリカとは、メキシコから中央アメリカにかけて、多くの農耕文化やさまざまな文明が繁栄した地域を指しています。代表的な文明としてマヤ文明やアステカ文明、テオティワカン文明などが挙がります。

メソアメリカの文明たちは、アメリカ大陸の独立した地形によって、他の大陸との交流がなく独自の文化が発展していきました。そのため大陸にある文明とは異なった特徴が多く、興味深い点が多く見られています。

しかし15世紀末、スペイン人によって侵攻され、メソアメリカ文明たちは滅亡の道を辿りました。当時のスペイン人たちの発達した武器の前には、メソアメリカ文明は全く太刀打ちできませんでした。

メソアメリカを発展させた5つの文明

メソアメリカ

オルメカ文明

オルメカ文明で作られていた石像
文明時期紀元前1200年ごろー紀元前後
地域中央アメリカ中部〜メキシコ湾周辺

初めてアメリカ大陸にできた文明で、多くの文明たちの母体となっています。そのため「母なる文明」と呼ばれていることもあります。

オルメカ文明は石像の加工技術に長け、神殿の建造や巨石人などの石像建造物を多く残しています。またジャガーを信仰し、祭祀場では人間を生贄として捧げる「生贄文化」がすでにあったようです。

他にも絵文字や数字を用いていたり、暦の概念がすでにあったりと、非常に高度な文明を築いていました。

テオティワカン文明

都市テオティワカン
文明時期紀元前後ー7世紀ごろ
地域メキシコ高原

オルメカ文明の後継となり、巨大な都市国家を築いた文明です。都市の名前はテオティワカンと呼ばれ、文明の名称はこれが由来となっています。

紀元4世紀ごろから7世紀にかけて、20万をも超える人々が住んでいたと考えられています。これは中国の長安、エジプトのアレクサンドリアと同等の人口で、その繁栄ぶりが想像できますね。

現代において、テオティワカン都市遺跡は世界遺産に認定されています。

マヤ文明

マヤ文明
文明時期紀元前3世紀ー16世紀ごろ
地域メキシコ南東部、ユカタン半島、グアテマラ

マヤ文明の名は、多くの方が耳にしたことがあるのではないでしょうか。マヤ文明は多くの都市国家が築かれ、広大な範囲を有していました。

マヤ文明の各都市ではピラミッドの建築や、王朝が開かれたことで、他の文明に先がけ壮麗な建築物や土器などのマヤ文化が栄えました。また天体観測術にも優れ、正確な暦の計算方法や文字記録も発達していました。

文明は16世紀ごろまで続き長い歴史を刻みましたが、9世紀を境に徐々に、各地の都市国家は廃れていったと考えらえています。原因は外敵による侵攻や、内紛、疫病などが説として提唱されていますが、はっきりとした原因は判明していません。

トルテカ文明

ケツァルコアトル神殿の頂上に座する戦士像たち
文明時期7世紀ー12世紀ごろ
地域メキシコ高原

トルテカ文明はテオティワカン文明の後継に当たる文明です。テオティワカン文明とは違い、各地に都市国家「トゥーラ」を築きました。

トルテカ文明を開いたトルテカ人は非常に好戦的な人種であったと伝えられています。それを象徴するように、ケツァルコアトルという神殿にはトルテカの戦士たちの石像が作られています。彼らは刀や槍などを持ち勇ましい姿で神殿を守っているのです。

しかしそんな彼らも11世紀末ごろから、北部からチチメカ人の民族移動には太刀打ちできませんでした。そして12世紀ごろにトルテカ文明は滅亡しました。

アステカ文明

アステカ文明で行われていた生贄儀式
文明時期14世紀ー16世紀ごろ
地域メキシコ高原

チチメカ人の一派であるアステカ族が、メキシコ高原一帯にアステカ王国を作りました。アステカ文明は絵文字やピラミッド型神殿が特徴です。

アステカ文明は生贄の儀式も盛んに行われ、大量の人骨が発見されています。その内容は生きた人間の心臓を取り出し、太陽の神に捧げるというものでした。

16世紀に入ると、スペイン人の征服者がアメリカ大陸に上陸し、アステカ文明にも接触します。当時の国王だったモクテスマ2世は、抵抗することなくスペインに大量の財宝を渡してしまうのです。

これに味をしめたスペインはアステカに侵攻。そしてわずか2年ほどでアステカ文明は滅亡しました。

メソアメリカ文明に伝わる神話とは?

メソアメリカ文明に伝わる神話とは?

マヤ神話

マヤ神話が記されている書物『ポポル・ヴフ』

マヤ神話はマヤ文明で信じられていた神話を表しています。神話が記された書物はほとんどが消失し、断片的なものしか残っていませんが、判明している範囲内でお伝えします。

マヤ神話ではあらゆる物に神が宿っているとされています。自然や太陽、月、気候、植物など、それぞれに固有の神がおり、信じられていました。

残されているマヤ神話の文献によると創世神話、英雄譚などが記されています。それぞれ紹介していきます。

創世神話

創世神話

テペウとクグマッツという2柱の神が、この世界の全てを創った創造主です。彼らはまず大地を創り、大地を作る過程で谷や川が形成されました。

続いて2人の神は動植物を創ります。しかし動植物は言葉を話すことができず、自分たちを崇拝できなかったため、知能の高い種族「人間」を創ろうと考えました。

最初は泥から生み出そうとしていましたが、柔らかく形が崩れてしまい、失敗しました。次に材料としたのが木材です。しかしこれも失敗に終わります。

トウモロコシ

3番目に目をつけたのがトウモロコシでした。トウモロコシから創り上げた男女4組は、知能も高く思慮深さを備えていました。彼らは世界の全てを見通してしまうほどの英知を兼ね備えていたため、神々は彼らの目を曇らせて遠くまで見渡せないようにしました。

英雄譚

英雄譚

双子のフンアフブーとイシュバランケーを主人公とした英雄譚です。彼らの出生の秘密や神々と敵対していた巨人族の討伐、そして冥界の神を倒し、その功績を認められ天に昇る話の3部で構成されています。

ただこの話は、時系列的に神々が人間を創り出す前であり、登場人物は全員が神となっています。最終的に双子は冥界を平定し、それぞれ太陽と月になりました。

アステカ神話

アステカ神話

アステカ神話はアステカ文明で伝えらえていた神話です。アステカ神話にとって重要だったのが、太陽と農業であり、これらへの捧げ物として人間を生贄として捧げていました。

そのためアステカ神話において太陽と農業は重要な位置付けにあります。創世神話ならびに建国神話の2つをご紹介します。

創世神話

ケツァルコアトル

アステカ神話において、世界はこれまでに5回創造されました。現在の世界は「第5の太陽」と呼ばれ、これまでの4つの太陽はいずれも消滅しています。

第1の太陽は、巨人の支配する世界でしたがジャガーに食い殺されたことで滅亡。第2の太陽はケツァルコアトルという神が支配していましたが、大風で吹き飛ばされ滅亡。

第3の太陽はトラロックと呼ばれる神が支配しましたが、火の雨に降られたことで滅亡。第4の太陽はチャルチウトリクエが支配したものの、大洪水によって滅亡しました。

現在の世界、第5の太陽において、トラルテクトリという神が2つに引き裂かれ、上半身が陸地に下半身が天空と星になったとされています。さらには第4の太陽において滅亡した人類の骨を持ち帰り、神々が自身の血を分け与えたことで、新しい人類が誕生しました。

建国神話

ウィツィロポチトリ

コアトリクエという女性が、山の上にあるコアテペトルの神殿を掃除していると、天から羽根が落ちてきました。この羽根の力によって、コアトリクエは懐妊します。

コアトリクエはウィツィロポチトリという息子を出産します。それを知ったコアトリクエの娘であるコヨルシャウキと他の400人の兄弟は、母親が淫行したのではないかと不品行に怒り山に攻め入ってきます。

ウィツィロポチトリはコヨルシャウキたちを迎え撃ち、彼女の体をバラバラに引き裂き、400人の兄弟を打ち破りました。ウィツィロポチトリは成長し、やがて多くの人々を導くようになりました。

ウィツィロポチトリに導かれた集団は民族名をメシカと名乗り、年月をかけてメキシコの地までたどり着きました。しかしメシカは最後にメキシコにやってきた民族だったため、先に住んでいた集団と争いがおきます。

テスココ湖

メシカはメキシコの土地から追い出され、各地を放浪した末に、テスココにある無人島に移住しました。ウィツィロポチトリとメシカは、この土地に都市を築きます。そして後にテノチティトランとなったとされています。

メソアメリカの代表的な遺跡

メソアメリカの代表的な遺跡

太陽のピラミッドと月のピラミッド

メキシコ高原で栄えたテオティワカン文明の遺跡です。高さ64mにもなる太陽のピラミッドと42mの月のピラミッドが都市を象徴するようにそびえ立っています。

太陽のピラミッドはその巨大な土台に対して、なだらかな斜面が特徴的で、エジプトのクフ王のピラミッドと比べると半分の高さしかありません。ピラミッド頂上には特殊な金属が埋め込まれていて、パワースポットとされています。

対して月のピラミッドは太陽のピラミッドと比べるとやや小ぶりな印象ですが、ピラミッド頂上まで4段の階段構造になっており、頂上の舞台は祭祀に用いられていたとされています。実際にピラミッドの麓部分に月と水、豊穣の女神の彫刻が発見されています。

カカシュトラ遺跡

カカシュトラ遺跡の『戦いの壁画』

カカシュトラ遺跡はオルメカ文明衰退後、オルメカ人の末裔が建設した都市とされています。この遺跡の見所は何と言っても、鮮やかな色彩が残る壁画たちです。

特に「戦いの壁画(Mural de la Batalla)」は約22mにも及ぶ壁画で、古代の戦いの様子が鮮明に描かれています。また戦いの壁画以外にも、隣接する神殿の柱に描かれた農業や商業に関する壁画も残されています。

保存状態は悪くなかったため、赤や青の色彩がしっかりと残っており、当時のカカシュトラの文化を知ることができます。

チチェンイッツア遺跡

チチェンイッツァ遺跡

チチェンイッツァ遺跡はマヤ文明の中でも最大級の大きさを誇る遺跡です。北と南で建築物の様式が異なっており、トルテカ様式とプーク様式が融合しています。

広大なチチェンイッツァ遺跡には代表的なククルカン神殿の他にも、戦士の神殿や天文台などの見応えのある建築物が豊富に残されています。マヤ文明遺跡巡りには欠かせない場所と言えるでしょう。

聖なる泉と呼ばれるセノーテ

またチチェンイッツァ遺跡から数百メートル離れたところに、セノーテと呼ばれる神聖な泉があります。この泉を聖なる泉と呼び、調査によって生贄の儀式として使用していたことが判明しました。泉の底には、生贄の犠牲となった大量の人骨が見つかっています。

メソアメリカに見られた生贄文化とは

心臓を摘出する様子

メソアメリカでは古くから、神々に供物として人間を捧げる生贄文化が根付いていました。この儀式には特定の神の怒りを鎮め、神々への忠誠と日々の感謝の思いを込めて行われていたとされています。

生贄として捧げる時の方法は文明や土地によって多少の違いを見せていますが、最も多く確認されている生贄の儀式は、生きている人間の心臓をくり抜き、神に捧げるという非常に残酷なものでした。心臓の摘出方法として、横隔膜を切り裂き摘出する方法、肋骨の間を切り裂き摘出する方法、心臓に近い横胸を切り裂き摘出する3つの方法が判明しています。

生贄として人間以外の動物も捧げられていたようですが、最も神の怒りを鎮められ、かつ神が喜ぶ供物は人間だという考えから、基本的に人間を生贄として捧げることが多かったようです。生贄の対象となっていたのは戦争捕虜や奴隷たちが中心でしたが、中には年端もいかない子どもが生贄として捧げられることもあったようです。

メソアメリカに関するまとめ

メソアメリカの文明たちについて解説してきました。いかがでしたでしょうか。

メソアメリカでは紀元前から16世紀まで多くの文明が興亡し、独自の文化を発展させました。彼らが残した遺跡や遺物は私たちに、過去の生活を詳細に語ってくれます。

筆者もこの記事を執筆するにあたって、メソアメリカ文明について文献を用いて理解を深めることができました。メキシコ中心に多くの遺跡が密集してますので、海外旅行の際にはぜひ訪ねてみたいと思います。

皆さまも、メソアメリカ文明に興味を持っていただけるような記事になっていますと幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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