坂本龍馬の家紋とは?家紋の意味や特徴、途中で変わった理由や悲劇の家紋の真実に迫る

坂本龍馬と言えば、幕末に大活躍をした人物として有名です。ドラマ、小説、漫画の主人公になっているため、現代の私たちの間でもよく知られています。

高知市桂浜公園内の坂本龍馬像

ただ、坂本龍馬の活躍をよく知っている人でも、彼の家紋を気にしている人は少ないかもしれません。龍馬の家紋について知ることで、龍馬の意外な祖先や家紋の種類が増えた理由を知ることができます。

また、龍馬の家紋にはまるで都市伝説のような噂もついて周っています。歴史には興味がないと言う人でも、龍馬の家紋についての話はきっと興味深いはずですよ。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

坂本龍馬の家紋とは

坂本龍馬の家紋

坂本龍馬の家紋は必ず衣装に付いているので、見覚えのある人も多いでしょう。花の周りを八角の縁がぐるりと取り囲んでいて、なかなか印象的です。この家紋の名前は「組合い角に桔梗」と言います。

龍馬の家紋の特徴や意味

桔梗は秋の七草の1つとして有名です。桔梗は日本で古くから親しまれてきた植物で、万葉集にも登場します。ただ、桔梗が家紋として使われるようになった理由はそれだけではありません。

龍馬の家紋の特徴は、桔梗の周りの縁、つまり組合い角ですが、これは見た目に華やかなだけではありません。昔の日本では八角形はとても縁起が良かったそうです。組合い角の中もよく見ると八角形ができています。龍馬の家紋は桔梗と八角形を合わせた、とても縁起が良いものだったのかもしれません。

家紋が変わった?坂本家の事情

組合い角に桔梗の家紋は、最初に坂本家6代目の妻の墓で発見されました。これ以前は坂本家では「丸に田紋」という家紋を使っていました。

丸に田紋

家紋は変えられないと思っている人がほとんどでしょうが、実は家紋を変えるべきときがあります。それが分家をした場合です。

坂本家では6代目の息子が分家をしたため、家紋を変えて本家と分家の区別が付くようにしたわけです。

分家をした場合でも、本家とのつながりを示すために、2つの家紋は図案の一部を変えていることも多くありました。しかし、坂本家ではなぜこれほど違う家紋を使うようになったのでしょうか。それには坂本家の祖先が大きく関係しています。

桔梗が家紋に使われた理由

清和源氏系で土岐氏初代となった土岐光衡が戦の際に桔梗の花を兜に挿して戦い、勝利したことがありました。桔梗は土岐氏により縁起の良い花になり、家紋に使われるようになります。

岐阜県瑞浪町の一日市場八幡神社に完成した土岐光衡像

また、桔梗には「更」と「吉」という字が含まれているため、より縁起が良いと考えられました。「更に吉(よし)」という語呂合わせは人々に喜ばれたのです。

後には土岐氏の流れを汲む者たちが、次々と桔梗の花を含む家紋を使うようになっていきます。

桔梗紋を使った有名人たち

桔梗紋は清和源氏を象徴するものとなり、土岐氏の流れを汲む者たちがこぞって使うようになりました。その中でも有名なのは明智光秀でしょう。

しかも光秀の娘婿の子ども・明智太郎五郎は坂本龍馬の祖先だったという説もあります。だから坂本龍馬の家紋は組合い角に桔梗なのかもしれません。

本徳寺所蔵の明智光秀像
出典:Wikipedia

また、光秀の他にも加藤清正や、もっと時代が下ると龍馬と同時代に活躍した大村益次郎も桔梗紋を使っています。

縁起が良いだけでなく、一目見てわかりやすく、美しい桔梗紋は大勢の有名人たちに愛されたことでしょう。

坂本龍馬の家紋が悲劇の紋と呼ばれるわけ

坂本龍馬の家紋は悲劇の紋と呼ばれることがあります。

龍馬が暗殺されて非業の死を遂げただけでなく、明智光秀もせっかく天下を取ったものの、わずか13日後には滅ぼされてしまいました。この2人を代表として、桔梗紋を使った者にはみな悲劇が訪れていると言うわけです。

しかし桔梗紋と一口に言っても、みな同じではありません。桔梗紋には数多くの種類があり、すべてに悲劇が訪れるとなると日本中でかなりたくさんの人が悲劇に見舞われてしまいます。

桔梗紋をひとくくりに悲劇の紋と呼ぶのは少し乱暴ではないでしょうか。

桔梗紋にも少しずつ違いがある

最初に桔梗紋を使い出した土岐氏から血縁が遠ざかるとともに、桔梗紋には種類が増えていきました。

特に美濃国(現在の岐阜県あたり)では、土岐氏は分家を繰り返し、子孫が土着していきましたから、まったく同じ家紋では見分けがつかなくなりました。桔梗紋の種類が増えたのにはこのような実用的な理由もあったのです。

明智光秀が使ったのは「陰桔梗(輪郭線で桔梗を描いたもの)」でしたし、大村益次郎は「丸に桔梗」でした。加藤清正に至っては、本当の家紋は「蛇の目紋」だったそうです。

陰桔梗紋・確かに輪郭線がはっきりしている

それぞれ家紋の図案も違えば、事情も違っているので、一口に桔梗紋は悲劇の紋とは言えないでしょう。

現在も残る桔梗紋

現在は50種類以上の桔梗紋が残っています。桔梗の花だけを使ったものでも、裏から見たものと横から見たものではまったく雰囲気が違い、同じ花とは思えません。

歌手・氷川きよしさんは「丸に桔梗」の家紋を使っています。その活躍を見る限り、悲劇はまったく感じられず、土岐氏が使い出したころのような縁起の良さを感じます。

多くの人たちに愛され、使われてきた桔梗紋であるから、そこにたまたま非業の死を遂げた人がいたのでしょう。もし本当に悲劇の紋なら、現在までこんなに多くの種類の桔梗紋が残っているはずはないですし、桔梗紋を使う人もいなくなったはずです。

坂本龍馬の家紋に関するまとめ

坂本龍馬の家紋に使われている桔梗は、縁起が良く、古くから人々に愛されていたことがわかりました。

長い間、人々とともに歩んできたため、噂話が出てきても不思議ではありません。悲劇の紋というのは、そんな噂話の1つだったと言えます。

桔梗の花と八角形の力を合わせた坂本龍馬の家紋は、私たちにとっては龍馬のトレードマークになり、今も多くの人々に愛されています。そこには悲劇は感じられません。このことをきっと龍馬も天国で喜んでくれているでしょう。

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