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ロカルノ条約とは?目的や条約の意味をわかりやすく解説【語呂合わせ付】

「ロカルノ条約って何の目的で作られた?」
「ロカルノ条約に誰が関わっていた?」

本記事をご覧の皆さんは、このようにお考えでしょう。

ロカルノ条約とはドイツが提唱し、フランスやイギリス、イタリアなどに代表される計7か国で取り決められた不可侵条約です。ただしこの条約が締結された裏側には、さまざまな事情が隠されていたとされています。

本記事ではロカルノ条約の概要や目的について解説した後、条約に深く関わったとされる人物や覚え方についてもご紹介していきます。ぜひ最後までお読みください。

ロカルノ条約とは?

スイス、ロカルノで行われた会議の様子

ロカルノ条約を簡単に解説すると

現在のロカルノ地方

ロカルノ条約とは、1925年にスイスのロカルノで行われた協議を元に、同年12月にイギリスのロンドンで締結された7つの協定の総称です。

この条約の中には各国の国境現状維持に関する協定や、ラインラントの相互不可侵、ヨーロッパの安全保障体制、ドイツの国際連盟加盟に関する条文が含まれていました。ロカルノ条約を締結したことによって、各国の強調姿勢は高まり、定期的に直接交流する風潮が強まっていきます。

結果として、国家間での協力体制は強くなり、後々の不戦条約などにつながっていくこととなりました。

ロカルノ条約の内容

19世紀当時のヨーロッパ諸国の位置関係

ロカルノ条約は以下の7つの条約で構成されています。

  • 集団安全保障条約
  • 仲裁裁判条約(4つ)
  • 相互援助条約(2つ)

集団安全保障条約にはイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーの列強5か国を対象にしています。内容としてドイツとフランスの国境間およびドイツとベルギーの国境間の現状維持、ラインラントにおける戦力増強の禁止、各国の相互不可侵や国際紛争の平和的解決が盛り込まれた条文でした。

仲裁裁判条約にはドイツ、フランス、ベルギー、チェコスロヴァキア、ポーランドの4つの国家間で締結されました。紛争が起きた際には、仲裁裁判所または国際司法裁判所にて判断を仰ぎ、それでも解決しなかった場合には国際連盟理事会が仲裁するということで話は進みました。

相互援助条約には、フランス、チェコスロヴァキア、フランス、ポーランド間では、相互援助条約が締結され、もしドイツが各国を攻撃・侵攻した時には侵攻された国を援助するということを想定しています。

ロカルノ条約の目的は?

ルール占領の様子

ロカルノ条約を提唱したドイツ外相のシュトレーゼマンの思惑が関係しています。シュトレーゼマンは修正主義外交を支持しており、ルール占領によるフランスとの関係性の悪化や国際間の小康状態に危機感を感じていました。そのためロカルノ条約を提唱し、ドイツの国際的地位を高め、かつ和解と協調の体制を整えようとしたのです。

この提唱に対して、各国の外相も賛同しています。例えばフランスはドイツと協調路線に転じたことや、ヨーロッパへの影響力を確保したいイギリスなどの利害関係が一致したことで、受け入れられました。

ロカルノ条約には誰が関わっていた?

ロカルノ条約締結に携わったシュトレーゼマン、ブリアン、オースティンの三外相

ドイツ外相シュトレーゼマン

グスタフ・シュトレーゼマン

グスタフ・シュトレーゼマンは19世紀の政治家です。ドイツのインフレ化を沈静化させ、首相の地位に上り詰めました。しかし一揆への首謀者への処遇が問題となったことや、自分に好意的な州への優遇などが問題となり、内閣不信任決議の結果首相の地位から下りることになりました。

有能な政治家として評価の高かったシュトレーゼマンは、その後マルクス内閣に入閣し、外務大臣に任命されます。そしてフランスとの関係の再構築や賠償金の減額などの働きかけを行い、1925年のロカルノ条約発案者として、尽力したのです。

シュトレーゼマンは翌年1926年にこの功績が認められ、ノーベル平和賞を受賞します。晩年は外務大臣としての激務により、体調を崩すようになり、1929年に脳卒中により急死しました。

フランス外相ブリアン

アリスティード・ブリアン

アリスティード・ブリアンは19世紀のフランスの政治家です。1913年、1915年、1921年、1925年、1929年と度々首相に任命されています。

1925年にルール問題の収束化やロカルノ条約に賛同したことで、シュトレーゼマンと共に1926年ノーベル平和賞を受賞しています。その後はアメリカの元国務長官フランク・ケロッグと共にケロッグ・ブリアン協定の締結に尽力し、精力的に国際関係の是正に努めました。

イギリス外相オースティン・チェンバレン

サー・ジョゼフ・オースティン・チェンバレン

サー・ジョゼフ・オースティン・チェンバレンは19世紀のイギリスの政治家です。チェンバレンはかつてから名の知れた政治一家であり、父のジョゼフ・チェンバレンは植民地大臣、異母弟のネヴィル・チェンバレンは首相を努めた経歴の持ち主です。

オースティンは外務大臣の他に、財務大臣やインド大臣などの閣僚職を歴任しています。外務大臣在職中にロカルノ条約が提議され、賛同・締結したことによって、1926年先に挙げたシュトレーゼマンやブリアンと共にノーベル平和賞を受賞しました。

受験対策用!ロカルノ条約の語呂合わせは?

覚えやすい語呂合わせを紹介

いくつゴロ、軽いのラインのどこ連盟?

赤で囲われた部分がラインラント

「いくつゴ」=1925年、「ロ、かるいの」=ロカルノ条約、「ラインの」=ラインラントの非武装、「どこ連盟?」=ドイツの国際連盟加盟を意味しています。

ロカルノ条約の内容まで網羅しており、締結された年と共に覚えられるため、オススメの語呂合わせの一つです。

口ひどく不幸なライン、いくつ越し?

ドイツが国際連盟に加入する様子を表した風刺画

ロカルノ条約の語呂合わせをもう一つご紹介します。
「口ひどく」=ロカルノ条約の「ロ」、「不幸なライン」=ラインラントの非武装、「いくつ越し」=1925年、シュトレーゼマンの「シ」を意味しています。

ロカルノ条約と締結された年だけでなく、発案者でもあるシュトレーゼマンについても覚えることのできる語呂合わせです。

ロカルノ条約に関するまとめ

ロカルノ条約の概要や内容、簡単な語呂合わせについてご紹介してきました。いかがでしたでしょうか。

ロカルノ条約が締結されたことで、当時のヨーロッパの国際的緊張は和らぎ、協調姿勢に入りました。もちろんそれぞれの国家同士で利害が一致しただけという見方が強いですが、確実にヨーロッパ諸国の関係性は良くなりました。

ぜひ本記事を読んで、ロカルノ条約について知っていただけますと幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

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