「日独伊三国同盟とはどんな同盟?」
「目的や内容は?」
「締結したことによって何が変わったの?」
この記事にたどり着いたあなたは、そのような疑問を抱いているのではないでしょうか?
日独伊三国同盟とは、その名の通り日本・ドイツ・イタリアの三国で締結された条約で、対アメリカを想定した同盟をいいます。しかし実はこの条約が第二次世界大戦を引き起こすきっかけにもなったと言われています。
この記事では、そんな日独伊三国同盟について、
- 内容や結ばれた経緯
- 各国の目的やメリット
- 世界に与えた影響
などについて分かりやすく解説していきます。ぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
日独伊三国同盟とは何か?
日独伊三国同盟とは、1940年(昭和15年)9月27日、日本・ドイツ・イタリアの三国で締結された、日独伊三国間条約に基づいた同盟関係のことを言います。この条約がもとで世界中に戦争が起き、後に第二次世界大戦と呼ばれる戦争が引き起こされていきます。
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概要を分かりやすく簡単に言うと
日独伊三国同盟を簡単に言うと、ヨーロッパ戦争・日中戦争に参加していない国から攻撃を受けたら、お互い助け合おうといった内容です。主にアメリカ合衆国を想定し、攻撃されたら3か国力を合わせて戦いましょう、という内容でした。
またこれにソビエト連邦を含めて、4か国同盟にする思惑もありましたが実現しませんでした。いずれの国も、アメリカを仮想敵国として考えていた国という共通点があります。
同盟の具体的内容
- ヨーロッパにおける独伊と、大東亜における日本の、それぞれの新秩序建設においての指導的地位を相互に認め、尊重しあうこと
- そのための三国の相互協力と、いずれか一国が現在交戦中でない他国に攻撃されたときは、三国はあらゆる政治的・経済的・軍事的方法により、互いに援助すること
- 前記の条項は三国それぞれとソ連との間の状態には影響を及ぼさないこと
などが主な内容です。要は3国の新体制における方針に文句を言わない、日本とドイツとイタリアに他の国が攻撃してきたら国協力して立ち向かおう、ソ連はアメリカに対する大きな戦力だから機嫌を損ねない、といった内容ということですね。
日独伊三国同盟はなぜ結ばれたのか?各国の目的は?
日独伊三国同盟がなぜ結ばれたか、簡単に言うと「ドイツによるヨーロッパ大陸の大部分の支配、イタリアによる地中海の支配、日本による東アジアと太平洋の支配を認める」といったものでした。それぞれの国の利害が一致したため、同盟が実現したのです。
同盟国には領土拡大と軍事支配に基づく帝国の基盤づくり、第一次大戦後の国際秩序の打破を目指していました。3国は世界恐慌による、経済復興が遅れているところが共通していたのです。
日本の目的とメリット
日本が日独伊三国同盟を結んだのは、大国アメリカを牽制するためでした。同盟を結ぶことによって、出来ればソ連も合わせて4か国でブロックを形成し、アメリカによる日本の南進干渉を抑止したかったのです。当時アメリカを筆頭とした連合国は、日本の東アジア進攻に否定的でした。
日本は1932年日本の影響力を残した、「満州国」という国を作りました。満洲地域に対して植民地化ではなく、あくまで親日的な軍閥による共和国の設立という設定です。しかし国際連盟の調査が入り(リットン調査団)、満州国は完全な独立国と認められず、満州国を承認できないと報告をします。
これに反発した日本は、1933年国際連盟を脱退します。そうした中で世界で孤立していく日本は、満州国を「承認」の立場をとった、ドイツやイタリアとの同盟を考えるようになったといいます。
ドイツの目的とメリット
ドイツの思惑は三国同盟を結ぶことによって、アメリカの参戦を防ぐ狙いがありました。イギリスを助けるために、アメリカが参戦してくる可能性があったためです。ドイツでは、1933年に「ナチス(国民社会主義ドイツ労働党)」ヒトラーの独裁体制が確立されていきます。国連を脱退、ヴェルサイユ条約を破棄して再軍備に着手し、大国のフランスを占領しました。フランスはイギリスの同盟国なので、イギリスとの戦闘が起こるのは必須の状況に陥っていました。
またヒットラーは、日本が対ソ戦に参加することでソ連兵力が極東方面とヨーロッパ方面で分断され、さらに日本がシンガポールなどの極東の植民地などを獲得すれば、ソ連の物的支援を絶つことができると考えていました。その点、ソ連も同盟に加入して4か国同盟にしたい日本と、ソ連を撃ちたいドイツの相違があります。
なぜイタリアも加盟したのか?
イタリアの場合は、ソ連の対抗策やアメリカへの牽制というよりも、孤立化を防ぐのが目的でした。その為にドイツとイタリアの関係は強固な関係に確立させていったのです。
イタリアは1929年にムッソリーニによってファシスト体制に入ると、1936年のエチオピア侵攻によって国際連盟を脱退しました。そのためイギリス・フランスなどの国々から経済制裁を受けるようになり孤立を深めていたのです。
日本国内の反応はどうだったのか?
条約終結後、外務省は「9月27日は日本のみならず世界の史的転換への1日であった」とラジオで放送し条約に意義を強調しました。日本ではドイツ軍電撃作戦の華々しさが報道され、フランスが降伏すると、ドイツ軍のイギリス本土上陸作戦は間もなく行なわれ、大英帝国は崩壊するだろう、そんな予測がされていました。ドイツの勝利を信じていたのです。
マスコミもこぞってムードを盛り上げました。この時期は「バスに乗り遅れるな」という大合唱が起こったといいます。日本でドイツブームが起きたのです。