ラテン人とは、古代ヨーロッパにおいてイタリア中西部のラティウム・ベトゥスに住んでいたイタリック語派の民族です。
ラテン人と言えば、明るくて時間にルーズな性格やラテン料理といったイメージがある方も多いかも知れません。しかし、ラテン人の歴史は深く、紀元前1000年よりも前から始まったとされています。実はあの有名なローマ帝国の礎を築いたのもラテン人なのです。
この記事では、ラテン人の特徴や文明、文化、歴史に迫っていきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ラテン人とは何か?
ラテン人はどこから来た?
ラテン人はインド=ヨーロッパ語族に属するイタリック語派の古代民族であり、インド=ヨーロッパ語族の大移動が開始された際にイタリア半島へ移住してきました。
インド=ヨーロッパ語族の起源については未だにわからないことも多く、黒海・カスピ海の北方やアナトリア半島を起源とする説など、様々な仮説が立っています。
イタリア半島に移動してきたインド=ヨーロッパ語族に属するイタリック語派は、紀元前1000年頃にイタリア中西部のラティウム・ベトゥスに定住し始め、都市の形成を開始しました。
ラテン人の性格・特徴とは?
インドヨーロッパ語族に分類されるラテン人が使用したイタリック語派のラテン語から、さらに派生したロマンス語派には、現在のイタリア人、フランス人、スペイン人、ポルトガル人、ルーマニア人などが含まれており、彼らをラテン民族と呼びます。
スペイン語やポルトガル語を母語とする中南米諸国もラテン民族です。いわゆるラテンアメリカという名称はここから来ています。
また、ラテン民族は時間にルーズとよく言われますが、明るい性格とジェスチャーの多いコミュニケーションが特徴で、日本人との文化の違いが大きくみられます。
ラテン人の名前の由来は?
ラテン人の名前の由来は、「ラティウムの人々」という意味があると考えられています。
ラティウムとはイタリア中央西部地方を指し、この地にローマ帝国の首都となるローマの都市が建設されました。ラティウムの語源はラテン語で「広い」を意味する「latus」と言われています。
イタリア半島は山に囲まれているという特徴がありますが、ラテン人が定住したラティウムは平原や草原が多く、恵まれた土地でした。
ラテン人の文明・文化
ラテン人の言語
インド=ヨーロッパ語族のイタリック語派に属するラテン人は、ラテン語を使用していました。
イタリック系言語は、西イタリック語と東イタリック語に分類されており、ラテン語は西イタリック語に含まれています。西イタリック語はラテン語とシチリア島のシセル語で構成されていました。
最も古いラテン語で書かれた石碑は、1899年にローマで発見されています。この石碑は王政ローマの時代の初期に作られたと考えられています。
ラティウム文化
ラティウム文化とは、ラテン人が形成し始めた独自の文化圏です。ラティウム文化における特徴の1つとして、小屋の形をした棺を使用していたことが挙げられます。
イタリック語派古代民族がイタリア半島に移住してきた頃、それまで「イタリック人」であるという民族意識があった彼らの概念が変わり始めました。イタリック人はラテン人として新たな帰属心を形成し、独自の文化圏を築き上げます。
この時代の木造建築として、パラティーノの丘に建造された「カーサ・ロムルス」が知られています。「カーサ・ロムルス」はローマの建国者であるロムルスの手によって造られたとされており、文化財として帝政ローマ時代まで残されていました。