「花魁道中ってなに?なぜ行われていたの?」
「現在でも見れる場所はある?」
花魁道中は花魁が茶屋まで練り歩くことです。花魁といえば花魁道中を思い出す人も多いのではないでしょうか?現在お祭りでも多く再現され、お祭りに華を添える存在となっている花魁道中。しかしどうして花魁道中するのか?花魁道中にはどういった意味があるのか?意外に知らない人も多いことでしょう。
華やかな花魁道中は花魁だけでなく遊女屋全体の一大イベントでした。この記事では花魁道中の起源や意味、しきたりなどを分かりやすく掘り下げて解説していきます。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
花魁道中とは?
花魁道中の意味
花魁道中とは美しく着飾った花魁が、禿や振袖新造など妹分の遊女を連れて揚屋や引手茶屋にお客を迎えに練り歩くことです。お客を揚屋や引手茶屋に迎えに行けるのは、花魁などの高級遊女だけでした。普通に歩くと10分程の距離を、1時間程かけて練り歩いていたのです。
花魁クラスの遊女は茶屋や揚屋を通して取り次いでもらう必要がありました。指名された花魁は客が待つ茶屋まであたかも大名行列のように茶屋まで歩き、客を連れて自分の妓楼に戻ります。この様子を旅に見立てて「花魁道中」と呼ばれるようになったのです。
花魁道中が派手になった理由は?
花魁は道中の時に、必ず新造を1人ないしは2人、禿を1人ないしは3人、そして下男を1人召し連れていたといいます。新造とは花魁の妹分で、独り立ちしていない遊女のことでした。そして禿は花魁の身の回りの世話をする少女の事をいいます。そして雑務をこなす下男も連れていました。
これだけの人を連れ出すのは、花魁の威厳を保つためが目的だったと考えられています。有名な花魁の道中は見物客で黒山の人だかりになる程の人気でした。次第に花魁道中は、花魁同士で競い合うようになったといい、花魁の格式によって豪華さを制限する制度もできています。
花魁と馴染みの仲になるには、大変な金額が必要でした。それだけの支払いを必要とするほど、花魁は客にとっての「高嶺の花」でなければならず、お客の方も大金を払い花魁道中を行うことは自分の財力などを示すステータスであったといいます。
花魁道中にかかる費用は?
豪華絢爛で「大名行列のようだ」とも例えられていた花魁道中は、当然高額な費用を必要としました。金額がどれくらいかかったのかを見ていきます。
客は何百万という支払いをしていた
花魁の馴染みになるには、大金が必要でした。どれくらい必要かというと「城が傾くほどお金がかかる遊女」といわれている程だったといいます。具体的に花魁の馴染み客になるには3回通う必要がありました。
その1回だけでも客は花魁の揚げ代1両2分(約15万円)、さらに遊女屋での宴会代・花魁の引き連れている遊女たち、遊女屋の主人や遣りて婆に至るまでご祝儀を払う必要がありました。これだけで今の価値で100万~200万円くらいは必要でした。
その上揚屋での宴会代や利用した芸者代も含めると、もっと金額がかかったといいます。その代わりもてなす花魁側の方も、金額に見合ったおもてなしをするのが礼儀であったために最高のおもてなしを遊女屋総出で行ったといわれています。
花魁側も宴会費を負担していた
お客の出費を聞くと、花魁は非常に儲かったのではないかと思えますが実はそうでもありませんでした。むしろ経費の元が取れれば良い方で、下手をしたらマイナスになることすらあったといいます。
理由は花魁側も客を迎えるために着る衣装や、座敷を維持するための必要な経費、食事代などは全て花魁が支払っていたそうです。さらに当日の妹分遊女の人件費なども、花魁が負担していたといいます。そのため豪華にすればするほど花魁自身の出費も増え、借金を年季までに返すのはほぼ不可能な状況であったといいます。そのため花魁が遊女を引退するのは、裕福なお客に身請けしてもらうことが一番でした。