「酒鬼薔薇は今何をしているのだろう?」
「結婚したという噂を聞いたけど本当?」
平成の事件の中でも、「神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」は記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。中学の正門に被害者男子の頭部を置き、犯行声明文を新聞社に送りつけたりなど世間を驚愕させる事件でした。その上、犯人は当時中学生だった14歳の少年であり、サイコパスな人格もまた世間を驚かせたものです。
そこでこの記事では、犯人の酒鬼薔薇聖斗がどういった人物で、現在どのように過ごしているのかまで調査し解説していきます。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)の内容を簡単に解説
神戸連続児童殺傷事件は、20世紀の終わりに世間を騒がせた連続殺傷事件です。この事件は他に類を見ない快楽殺人であり、事件発覚時の世間の衝撃も計り知れないものがありました。ここでは「酒鬼薔薇事件」とはどのような事件だったのかを簡単に解説していきます。
児童を狙う連続通り魔事件だった
神戸連続児童殺傷事件は、兵庫県神戸市須磨区で起きた連続殺傷事件です。1997年の2月から5月にかけて5人の小学生が襲われ、2人が死亡し3人が重軽傷を負っています。最初、2月に小学6年生だった女児2名が襲われ1人が重傷を負いました。
犯人が見つからないまま3月に小学4年生の女児が後頭部をハンマーで殴られ1週間後に死亡し、同日に小学3年生の女児がナイフで襲われ全治2週間の怪我を負っています。そして約2か月後の5月24日に小学6年生の男児を殺害し、5月26日に男児の頭部が中学校の校門で発見されたのです。
中学校の正門に被害者の首を置いていた
酒鬼薔薇事件は、神戸市須磨区にある友が丘中学校の正門に切断された被害者男児の頭部が発見され発覚しています。発見されたのは3日前から行方不明になっていた11歳の男児でした。頭部は耳まで切り裂かれており、口の中には「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯行声明文が置かれていたのです。犯行声明文は以下のように書かれていました。
「さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きをSHOOLL KILL
Wikipedia
学校殺死の酒鬼薔薇」
その残虐さや異常さからマスコミでも多く報道されました。事件の約1週間後の6月4日には、第2の犯行声明文が神戸新聞社に郵送され、益々報道は加熱していったのです。
犯人は14歳の少年だった
事件から約1か月後の6月28日に、被害者男児の頭部が置かれていた友が丘中学校の3年生だった14歳の少年でした。当初事件はがっちりした成人男性が犯人と予想されていましたが、逮捕されたのは「一見普通の中学生」だったため世間を驚かしたのです。この事件は2000年の「少年法改正」のきっかけにもなりました。
犯人は精神鑑定の結果から「完全な責任能力はあるがパーソナル障害に相当する行為障害(18歳未満は行為障害と表現する)」と判断し、性格を矯正するために医療少年院措置がとられています。犯人はその後7年間医療少年院と少年院で過ごし、2004年に退院し社会復帰しました。
酒鬼薔薇事件の経緯
酒鬼薔薇事件は1997年の2月から5月の約3か月間に、5人の児童が被害にあいました。この3か月の間に起こった事件を詳しく解説していきます。
第一の事件
第一の事件は1997年2月10日の16時半頃に、団地の路上で小学6年生の女児2名がゴム製のショックレス・ハンマーで後頭部を殴られています。2人の内の1名は後頭部を殴られて、全治1週間の怪我を負いました。
被害者の父親は、娘から「学生服」「学生靴」と聞き中学校に生徒の写真を見せて欲しいと頼んだそうですが、学校側は応じず「警察」を通しても学校側から相手にされなかったと証言しています。
第二の事件
第二の事件は3月16日に、須磨区竜が台という場所で竜が台小学校4年生の女児を八角玄翁(はっかくげんのう)というハンマーで殴って死亡させています。酒鬼薔薇は公園で遊んでいた女児を近くの小学校に連れ出し、女児の頭を八角玄翁で殴りつけ逃走しました。女児は病院に搬送されましたが、1週間後の3月23日に脳挫傷により死去しています。
女児を殴りつけた10分後に、小学3年生の女児のお腹を刃渡り13センチのナイフで刺しています。女児はすぐに病院に搬送され2リットルを輸血することにより、何とか一命を取り留めました。しかしあと数センチ深く刺さっていたならば命は無かったといわれています。
第三の事件
第三の事件は約2か月後の5月24日に、特別支援学級に通っていた小学6年生(当時11歳)の男の子を通称「タンク山」と呼ばれる山に誘い出し、自分の履いていた靴ひもで絞殺した後に遺体をタンク山に隠していました。
犯人は翌日に犯行現場に戻り遺体の首を切断し、自分が通っていた友が丘中学校の正門前に頭部を置いています。その後6月4日に神戸新聞社宛に第2の犯行声明文が届きました。この手紙は赤インクで書かれており、「さかきばら」を「さけおにばら」と間違えて呼んだことへの抗議や、義務教育への憎しみが書かれていたのです。
しかしこの頃には警察の調査で少年Aが捜査線上に浮上しており、文章が長い第2の犯行声明文により筆跡鑑定が進められていきました。筆跡鑑定の結果6月28日に逮捕されたのです。そしてこの時にそれまでの通り魔事件への関与も認めています。