バーソロミュー・ロバーツとは、18世紀の初めにヨーロッパ圏でその名を轟かせた海賊です。
彼自身の名前はそこまで有名ではありませんが、400隻にも及ぶ船舶から略奪を行った「大航海時代の最後にして最大の海賊」という悪名を遺しており、実は海賊の代名詞である”黒ひげ・ティーチ”よりも、略奪者や海賊船の船長としての手腕は上だとも目されている人物なのです。
彼に関するエピソードは、海賊でありながら海賊らしからぬものが多く、とりわけ彼の組織した海賊船団の掟の厳しさは有名です。
彼が起草した掟の中には、船内でのもめごとの解決法のような基本的なものから、処罰に関する取り決め、果てには負傷者への治療費と手当の支給額までが細かく盛り込まれており、そんな掟が徹底されたバーソロミューの船団は、海賊でありながら非常に規律正しい集団であったようです。
そんな「世界最大の海賊」の異名を持ちながら、規律正しいカリスマ船長でもあったバーソロミュー。この記事は、そんな彼の歩んだ人生について、某ゲームからバーソロミューを知り、海賊という存在にも興味を持ち始めた筆者が纏めさせていただきます。
この記事を書いた人
Webライター
フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。
バーソロミュー・ロバーツとはどんな人?
名前 | バーソロミュー・ロバーツ |
---|---|
異名 | 「ブラック・バート」 |
船名 | ロイヤル・フォーチュン号 |
誕生日 | 1682年 |
没日 | 1722年2月10日(享年40歳) |
生地 | 南ウェールズ・ペンブルックシャー |
没地 | ギニア湾・ロペス岬 |
配偶者 | 不明 |
埋葬場所 | なし (ギニア湾・ロペス岬付近で水葬) |
バーソロミュー・ロバーツの海賊デビューは?
バーソロミューがどのような前半生を送って来たのかについては、記録が全く残っておらずわかっていません。わかっているのは、少年のころから水夫として海に携わって来たらしい、という僅かな情報だけです。
そんな彼の人生に転機が訪れたのは、1719年の6月。当時のバーソロミューは、二等航海士として、奴隷船「プリンス号」に乗り込んでいました。
プリンス号は商談のためにアフリカへ向かう最中でしたが、そんな彼らに襲い掛かる海賊がありました。その海賊の名前はハウエル・デイヴィス。当時の海で最も成功を収めていた海賊であり、かなり名の知れた海賊でもありました。
そんな彼に出会ったバーソロミューは、いったい何を思ったのか、デイヴィスに向けて「私を部下にしてほしい」と懇願。デイヴィスは驚きながらも、同じウェールズ出身の彼に親近感を持ったようで、この申し出を承諾しました。
こうしてバーソロミューは、遅咲きながら海賊稼業への道を歩みだすこととなるのです。
バーソロミュー・ロバーツの容姿は?
一般的な海賊のイメージというと、皆さんはどんな人物をイメージするでしょうか?
『ONEPIECE』という国民的漫画がある以上、イメージする海賊像は様々だとは思いますが、おそらく「ファッショナブルなイケメン」をイメージする方は少ないかと思われます。というかむしろ、その対局に当たる「粗野な大男」をイメージする方が多いのではないでしょうか。
しかしバーソロミューは、おそらく海賊としてイメージしづらい「ファッショナブルなイケメン」だったと伝わっているのです。
彼は服飾品にこだわりを持っていたらしく、「真紅の半ズボンに飾り帯を着け、オーバーコートを羽織り、紅の羽を飾りつけた三角帽子をかぶっている」、「肩には緋色の帯で拳銃を吊るし、さらに海賊生活初期にポルトガル商人から奪った「ダイアモンドをちりばめた十字架」を金チェーンで首から下げている」と、彼の服装に関しては詳細な記録が残っています。
また、彼はそれらの装飾品を大事にしていたらしく、「自分が死んだときは遺体と一緒にそれらも海に投げ入れてほしい」と部下たちに厳命。部下たちもこの遺言を守り、バーソロミューの遺体は、数多の服飾品と共に海へと沈んでいったそうです。
バーソロミュー・ロバーツのあだ名「ブラック・バート」とは?
バーソロミューの異名として有名なのは、やはり「ブラック・バート」というあだ名です。直訳すると「黒い準男爵」となるこのあだ名ですが、実はバーソロミューは、正式な爵位を得ていたわけではありません。
では何故、「ブラック・バート」という彼のあだ名は定着したのでしょう?様々な観点から考えていくと、理由は意外と単純なもののように思えます。
バーソロミューのあだ名には、他に「Black Barty(浅黒いバーソロミュー)」というものもありました。このあだ名を実際に発音してみると……皆さんももうお分かりでしょう。
「ブラック・バーティ」のあだ名が定着し、それがどんどん短縮や訛りによって変化していった結果、「ブラック・バート」という高貴なあだ名が定着したと考えられそうです。ちなみにこれはバーソロミューに限ったことではありませんが、当時の船乗りは甲板で日光を浴びることが多かったため、肌が浅黒かったことも伝わっています。
もっとも、バーソロミューは実際に高貴さを感じさせる振る舞いをすることも多かったらしく、単純に言葉がなまったから、というだけで「ブラック・バート」が定着したのではなく、「まるで貴族のようだ」という部下からの信望も、そのあだ名の定着に一役買っていたように窺えます。
バーソロミュー・ロバーツは一体何がすごいのか?
すごさ1「『6週間で船長に!』稀代のカリスマ性と指揮能力」
所属する船を略奪しに来た海賊に取り入り、海賊への道を歩み出したバーソロミュー。しかし彼が海賊になってから6週間が経った頃、船団を悲劇が襲います。
バーソロミューを仲間に加えたデイヴィスの船団は、ポルトガル領の植民地・プリンシペを略奪しようとしますが失敗。しかもその戦いで、船長のデイヴィスが戦死してしまうのです。残された船員たちが途方に暮れただろうことは、想像に難くありません。
そんな中で次の船長に擁立されたのが、まだ仲間入りして1か月ほどのバーソロミューでした。周囲からの強い信頼と推薦を受けて船長となったバーソロミューは、デイヴィスが失敗したプリンシペの略奪を再開。カリスマ的な指揮能力で見事にプリンシペを見事に攻略し、「ブラック・バート」としての伝説の幕を開けたのです。
すごさ2.「『本当に海賊?』軍隊レベルの厳しい掟」
海賊というと「酒と女と金を愛する、無軌道な荒くれもの」をイメージしがちですが、実際のところそうではありません。海賊稼業は、船長を頂点とした厳しい縦社会であり、どこの船団にもきちんとしたルールが布かれていました。
しかしバーソロミューの布いたルールは、他の船団と比べても異質。彼が船団に徹底させたルールは、現在の企業経営にも通じるほどに厳格かつ徹底したものだったのです。
一例を挙げるとすれば、「仲間内で金品を横領した者は孤島に置き去り」「女性や子供を強姦するために船に連れ込んだ者は死刑など、現在の刑法に通じる部分。
他にも「船団の掟について、乗組員全員に投票権を与える」等の選挙に通じる投票制度。「航海中の飲酒禁止」「仲間内でのギャンブルの原則禁止」「消灯時間は夜8時」などの生活規範。「収益は役割ごとに平等に配分」「戦闘での負傷者には、手当を別途支給」といった給与体系まで、彼の布いた掟は企業もかくやというほどに細分化されていました。
その掟を起草しただけでもすごいのですが、バーソロミューは気性の荒い部下たちにもこれらの掟を徹底させ、そのために彼の船団は軍隊レベルに規律正しい集団だったと伝わっています。前段と被りますが、バーソロミューのカリスマ性と統率力がよくわかるエピソードでしょう。
バーソロミュー・ロバーツにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「疾風の略奪!」ポルトガル船への鮮やかな略奪行為
世界最大の海賊船団を率い、短い海賊人生でありながら多くの伝説を残したバーソロミュー。中でも略奪の手腕は見事という他無く、その実力を示す伝説的な記録が数多く残っています。
中でも、船長となってからすぐの頃。遭遇したポルトガル船団への略奪は鮮やかなものだったと伝わっています。その船団は42隻から成る大商船団。対するバーソロミューの船団は20隻ほどで、しかもそのうちのいくつかは、大した武装も積めていない小船でした。
しかしバーソロミューは、鮮やかな策略を用いてポルトガル船団を奇襲。船員は捨て置き、積み荷を的確に狙った略奪を行って、多大な利益を上げたと伝わっています。
その時略奪した「ダイヤモンドをあしらった十字架」は、バーソロミューのお気に入りになったらしく、彼はそれを常に首から下げ、彼が死んだときには一緒に海に葬られたそうです。
都市伝説・武勇伝2「The House of Lords」大西洋航路を麻痺させた男
バーソロミューは自身が率いる船団を「The House of Lords」と呼称。「イギリス上院」を示すその言葉に違わず、バーソロミューの船団は当時のヨーロッパ世界に、深刻な影響を与えました。
当時のヨーロッパにおいて、発見されたばかりの大西洋航路は、正に貿易の要とも呼ぶべき航路。商戦がひっきりなしに行き交う分、海賊による略奪も横行しており、各国はこぞって海賊対策に乗り出していました。
しかしバーソロミューの船団は、そんな各国のを嘲笑うように略奪を行い、勢力を拡大。各国はバーソロミューを捕えるために様々な手段を取りますが、バーソロミューはそれでも捕まらず、なんと一時的に大西洋航路の使用を中止する国まで出ていたようです。
もちろん現実的に考えて、強大とはいってもたかだか20隻の船団が大西洋航路をマヒさせたというのは、少々現実離れしているように思えます。しかしバーソロミューが指揮する船団の結束力や強大さを考えると、そこまで無理のある理屈でもないように思えるのではないでしょうか。