NIRVANAのボーカリストとして、現在でもその名を全世界に轟かせているカート・コバーン。
カートの死はあまりにも早く、1994年に27歳という若さで早逝しました。
この記事では、カートコバーン関連の資料収集が趣味の筆者が、カートコバーンの死因やその背景、彼の他殺説までご紹介していきます。カートコバーンの幼少期にまで遡ってその死を考察しているので、興味のある方はぜひご一読ください!
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
カートコバーンの死因とは
カートコバーンの死因は、ショットガンによる自殺です。
カートは薬物中毒で入院していた病院を脱走した後、行方知れずになっていましたが、1994年の4月8日金曜日に遺体の姿で発見されました。場所は、自宅ガレージの2階で、発見したのは電気工のギャリー・スミスでした。
カートコバーン他殺説
一般的にカートコバーンの死因は「自殺」ということになっていますが、不可解な点が多いことから「妻のコートニー・ラブによる他殺だったのではないか」という説も出ています。
この点については、後述します。
カートコバーンが死に至るまでの流れ
ここでは、カートコバーンが自殺した1994年に起こったできごとを時系列順に追っていきましょう。
コートニーの浮気心が原因となり、ローマで昏睡状態に陥る
1994年、ツアー先のローマでカートは昏睡状態に陥ります。原因は、バリウムに似た睡眠導入剤を60錠以上服用したこと。そして、それを飲んだ理由は「コートニーに浮気心があることを見抜いた」ことだったと言います。
コートニーは、「彼はすごく繊細で、一度だけ浮気心が起こった時もすぐ見破られた」と当時のことを回想しています。カートは生死をさまようほどの危うい状態に陥りますが、奇跡的に回復。ただ、メディアにまたそれを書き立てられたことによって、彼自身の精神は不安定な状態に陥ります。
自殺騒ぎを起こし、警察が介入
同年の3月、カートは「自殺をする」と言って寝室に閉じこもります。心配したコートニーは、警察に通報。取り調べを受けたカートは、「自殺願望があったわけではなく、コートニーから少し離れたかった」と供述していたそうです。
しかし、結局警察はピストルとライフルを自宅から押収。さらに、カートが鎮静剤を大量服用していたことが発覚します。彼自身は薬物の禁断症状を和らげるために購入していたようですが、実際には彼の妄想や偏執性をより強くする作用がありました。
病院を脱走後、遺体として発見される
薬物依存の傾向が非常に強くなっていたカートは、周囲からの勧めもあってカリフォルニア州にあるエクソダス・リカバリー・センターに入院。しかし、そのたった2日後、彼は病院の壁をよじのぼって脱走します。
その後1週間ほど行方不明になっていたカートですが、1994年4月8日金曜日、自殺した彼の姿を電気工のギャリー・スミスが発見します。才能に溢れたロックシンガーの早すぎる死でした。