レオニダス1世とは、紀元前古代ギリシアで繁栄していた都市国家・スパルタの王として有名な人物です。一般的に「レオニダス王」と言えばこの人物の事を示すことが多いため、どちらかと言えば「レオニダス王」の呼称で聞いたことがある方も多いでしょう。
レオニダス1世の活躍を語るにあたっては、まず『テルモピュライの戦い』という部分は外すことができません。現代でも『300〈スリーハンドレッド〉』などの作品で描かれているこの戦いは、レオニダス1世という人物の偉業をこれ以上なく伝える、まさに彼の人生の転換点であり集大成として描かれます。
とはいえ、その『テルモピュライの戦い』の印象が強すぎて、「実際は何をした人なのか」という部分がかすみがちな人物である事もまた事実。ということでこの記事では、そんなレオニダス1世の生涯を解説していきたいと思います。
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フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。
レオニダス1世とはどんな人物か
名前 | レオニダス1世 |
---|---|
誕生日 | 紀元前540年 |
没日 | 紀元前480年8月11日(享年60) |
生地 | ギリシャ・スパルタ |
没地 | ギリシャ・テルモピュライ |
配偶者 | ゴルゴー |
子供 | プレイスタルコス |
父親 | アナクサンドリデス |
兄弟 | クレメネス1世(兄)、ドリエウス(兄) |
埋葬場所 | 不明(テルモピュライに戦死者を讃える碑文が存在) |
レオニダス1世(レオニダス王)の生涯をハイライト
レオニダス1世は、紀元前540年にギリシャの都市国家であるスパルタに生まれました。王族の生まれではありましたが、彼はその中でも三男であり、本来であれば王位につくことはほぼ不可能な立場だったと言われています。
しかし、父や兄たちが相次いで急逝したことで、王位の継承権はレオニダス1世に転がり込んでくることに。王位の継承権を得たレオニダス1世は51歳になっていましたが、彼は早逝した兄・クレオメネス1世の娘であるゴルゴーと結婚し、王位を継ぐことになりました。
しかし、王位を継いだレオニダス1世はペルシア戦争の戦禍に巻き込まれることになってしまいます。当時のギリシャ都市国家は、アケメネス朝ペルシアからの苛烈な侵攻に苦しめられていたのです。
その戦争にあたって「王が死ぬか、国が滅びるか」という神託を受けたレオニダス1世は、他国の兵士を国に送り返して、僅かな親衛隊だけで戦を展開。精強なスパルタ兵を巧みに指揮して、ペルシア軍を苦しめたことが記録されています。
しかし、スパルタの奮戦もペルシア軍を撤退させるには至らず、舞台は『テルモピュライの戦い』に。
レオニダスが率いる手勢は、挟み撃ちの状況に在っても撤退せずに少数で戦い続けましたが、その戦場でレオニダス1世が討死。彼の死体を取り返さんとしたスパルタ兵たちは、圧倒的な数を持つペルシャ軍を何度も撃退する大金星を挙げますが、最終的には数の力に呑まれて、ほとんど全滅してしまいました。
しかし、レオニダス1世とスパルタ軍の奮戦によって、ギリシャ軍は時間を稼いで軍備を持ち直すことに成功。これによってギリシャ連合軍はペルシャ軍の進行を妨げることに成功し、レオニダス1世の名は、古代ギリシャ都市国家を救った英雄として語られることになったのでした。
レオニダス1世の前半生
『テルモピュライの戦い』において、華々しい武勇と共に散った戦士の王。大抵の方がそういった印象を抱くレオニダス1世ですが、実は彼の前半生――とりわけ幼年期~壮年期までの記録は、ほとんど残っていないのが現状です。
王族の生まれではありましたが、三男という表舞台には出にくい生まれであったこと。そもそもスパルタの人物に関する記録があまり残っていないことが理由として挙げられますが、ともかく彼の前半生の記録はほとんど残っておらず、兄たちとの関係も不明な部分が多いようです。
とはいえ、「軍事教練に耐えられない虚弱な子供や、訓練中に障害を負ったものは殺す」という、非常に厳しい軍事国家だったスパルタ。そんな国の中で生き残り、王位にまで上り詰めたという時点で、レオニダス1世が戦士として優秀な人物だったことは想像できるかと思います。
『最強の軍隊』レオニダス1世が率いた”スパルタ”とは?
レオニダス1世が率いたスパルタという都市国家は、非常に厳格な軍事国家であったことが有名です。現代でも、厳しい教育方針の事を「スパルタ教育」と表現する辺り、その厳しさはうかがい知ることができるでしょう。
非常に精強な軍を持っていたスパルタは「軍事教練に耐えられない虚弱な子供は殺す」「訓練中に障害を負ったものも殺す」といった具合に、非常に苛烈な実力主義を唱えていました。そんな厳しい都市国家ではありましたが、それ故に彼らは「スパルタ兵一人一人が、他国の兵士10人分の戦力」とすら称される、非常に強大な実力を身につけていったのです。
また、スパルタの重装歩兵はとりわけ強大な戦力だったようで、重装歩兵の密集陣形である『ファランクス』は、古代ギリシアにおいて「無敵の陣形」と評されていたことも記録されています。テルモピュライの戦いでもスパルタ軍はこの陣形を取っていたようで、ペルシア軍はスパルタ軍の陣形を切り崩すためだけに、千人規模の犠牲を払う必要があったとも言われています。
ともかく、レオニダス1世が率いたスパルタという国は、現代に至るまで語り継がれる「戦士の国」でした。その国を治めたレオニダスがどんな人物だったかも、そこから自ずと想像できることでしょう。
現代にも残るレオニダス1世の名前
死を恐れず勇敢に戦い、アケメネス朝ペルシャの侵攻から古代ギリシャを守った英雄・レオニダス1世の名前は、2007年に公開された映画『300〈スリーハンドレッド〉』で世界的に有名になりました。
エピソードに脚色の多い作品ではありますが、そもそも記録自体が多くない人物ですので、以降「レオニダス1世」を扱う作品などには、本作からのイメージが踏襲される事がほとんどです。
また、最近ではスマートフォン向けゲーム『Fate/Grand Order』にもキャラクターとして登場。とにかく熱くコミカルなキャラクターでありながら、主人公やヒロインを諭す英雄としての姿も持ち合わせる奥深いキャラとして、根強い人気を誇っています。
また、上記のゲームを原作にしたアニメ『Fate/Grand Order 絶対魔獣戦線バビロニア』にも登場。ヒロインに「戦いに臨む姿勢」を教え諭すという役回りを演じ、視聴者に強い印象を与えました。
更に、ベルギーのチョコレートメーカー『レオニダス』のロゴマークにも、実はレオニダス1世の姿があしらわれています。
創業者の名前がレオニダスであったという繋がりからのロゴマークで、レオニダス1世と会社の業績が直接関係するわけではありませんが、そうしたロゴマークのモチーフを知ってから『レオニダス』製のチョコレートを食べると、また違ったものの見方ができるようになるかもしれません。
『テルモピュライの戦い』レオニダス1世の壮絶な最期
レオニダス1世の功績として最も有名なのは、彼の最期の戦場でもある『テルモピュライの戦い』でしょう。レオニダス1世は、ギリシャ連合軍7000人(そのうちスパルタ兵は僅か300人)の兵士を率いて、数万~数十万とも言われるペルシャ軍を相手に一歩も退かない戦いを繰り広げました。
テルモピュライ自体が隘路だったことも味方して、当初は少数でまとまって戦えるギリシャ連合軍が、数の差をひっくり返して優勢に。しかし、連合軍内の内通者がペルシャ軍に迂回路の情報を渡したことで戦況が一変。挟み撃ちに遭う形になったギリシャ連合軍の大部分は、レオニダス1世たちを残して撤退してしまいます。
そんな中でもレオニダス1世は、スパルタの掟である「決して撤退しない」を順守して、ペルシア軍と徹底的に交戦。テルモピュライの広場まで進軍し、一時はペルシア軍を大きく押し返すことに成功しますが、レオニダスはその攻防戦の最中に、帰らぬ人となってしまいました。
こうしてレオニダス1世を失ったギリシャ連合軍でしたが、彼らは最後まであきらめずにレオニダス1世の死体を取り返さんと戦を継続します。槍が折れれば短剣で、短剣が折れれば拳や歯で戦ったとされるスパルタの兵士たちでしたが、最終的には肉弾戦を嫌ったペルシア軍の弓の一斉射撃によって全滅。テルモピュライの戦いは、ペルシア軍の勝利として終了しました。
しかし、テルモピュライにおけるスパルタの奮戦が功を奏し、アテナイはサラミスの海戦でペルシア軍に勝利。これによってギリシャ連合は勢力を持ち直し、ペルシアからの侵攻を退けることに成功したのでした。
レオニダス1世の功績
功績1「史上最強の軍団・スパルタを率いた戦士」
前述のトピックなどで何度も書いていますが、レオニダス1世が率いたスパルタという都市国家は、非常に苛烈な軍事国家として当時から有名でした。
そして、そんな実力主義の風潮が根強い国の中で、兵士たちと共に最前線に出て最終的には壮絶な戦死を遂げたレオニダス1世。彼個人の武功にまつわる記録は実はほとんど残っていないものの、最前線で兵士たちと共に戦う王がどれだけ優れていたのかは、記録からもなんとなく推察できるところになっています。
功績2「『来たりて取れ』降伏を許さない鋼の精神」
テルモピュライの戦いにおいて、連合軍の多くが撤退を選択する中、スパルタの掟である「決して撤退しない」を順守して最期まで戦い続けたレオニダス1世。
そんな彼の――というより彼らの生き様を象徴するのは、降伏を勧告してきたペルシャ軍にレオニダスが言い放った「来たりて取れ」の一言でしょう。
「武器を捨てて降伏しろ」という申し出に対する「お前がこちらに来て武器を取っていけ」という返答。状況としてはあまりにも無謀極まる、明らかに敵対的な一言ですが、そんな「常に背水の陣」のような状態だったからこそ、スパルタの兵士たちは少数でペルシャ軍を圧倒するような大金星を挙げられたのかもしれません。
功績3「壮絶を極めた戦死。そして受け継がれたその心」
テルモピュライの戦いでレオニダス1世は戦死し、やがて彼が率いていた連合軍も、ペルシア軍による弓の一斉掃射で全滅してしまいました。
しかし、全滅するまでの間もレオニダス1世と共に戦線に残ったギリシャ兵士たちは、最期の最期まであきらめずに戦い続け、指揮官であるレオニダス1世の死体をペルシア軍から奪い返そうと、何度も攻防を繰り広げたことが記録されています。
とりわけレオニダス1世直属の親衛隊は、「槍が折れれば短剣で」「短剣が折れれば素手や歯で」戦ったと記録されており、ペルシャ軍は指揮官不在の連合軍に、2万人ほどの損害を出す結果となったことが伝わっています。
「決して撤退しない」という厳しい掟を、自分の命を失ってでも示し続けたレオニダス1世。その志の高さは決して彼一人のものではなく、スパルタの兵士たちにも受け継がれていたと言えるでしょう。
レオニダス1世の名言
来たりて取れ(モーロン・ラベ)
テルモピュライの戦いにて、ペルシア軍の降伏勧告にレオニダス1世が返したとされる言葉です。
スパルタの掟である「決して撤退しない」を順守した、非常に端的ながらレオニダス1世の生き様を象徴する言葉だと言えるでしょう。
よき夫と結婚し、よき子供を産むように
テルモピュライの戦いに赴く直前、妻に残した遺言のような言葉です。
これも非常に端的で武骨ですが、妻に対する愛情を感じることのできるカッコいい言葉であるように筆者には感じられます。
プラタイアの戦いには一切触れていないのがちょっと残念です