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ルドルフヘスとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や性格、死因も紹介】

ルドルフ・ヘスとは、20世紀にドイツの独裁国家を築いたナチ党の副総統です。ドイツの帝国主義が台頭した時に、アドルフ・ヒットラーを陰で支えた縁の力持ちの役割だったといいます。ナチスの親衛隊での最終的な役職は親衛隊大将でした。

ルドルフ・ヘス

ヘスはナチスの為に動き、妄信的にヒットラーを敬愛した人でした。国家社会主義ドイツ労働党が発足した頃からの党員であり、ヒットラーからも非常に信頼されていたといいます。戦後ナチスの幹部は処刑されたのですが、精神疾患を理由に終身刑に処された異色の経歴の持ち主です。

なんとも濃い人生を送った彼の人生の経歴やエピソードを紹介していきます。趣味でドイツ民族史を長年研究し続けた筆者が、出来るだけわかりやすく説明できたらと思います。

ルドルフ・ヘスとはどんな人物か

名前ルドルフ・ヘス
誕生日1894年4月26日
没日1987年8月17日
生地エジプト・アレクサンドリア
没地西ドイツ・西ベルリン
シュパンダウ区
配偶者イルゼ・プレール
埋葬場所バイエルン州ヴンジデール

ルドルフ・ヘスの生涯をハイライト

ルドルフ・ヘスはどのような人生を送ったのか、最初に簡単に説明したいと思います。

父フリッツ・ヘス

彼はエジプトのアレクサンドリアでドイツ人貿易商をしているフリッツ・ヘスを父に、スイスの豪商・領事の娘クララ・ミュンヒを母として誕生しました。ヘスの家は厳格なドイツ人の家で、皇帝の誕生日の時は本国と同様に祈っていたといいます。幼少期はエジプトで過ごしました。

青年期になりドイツ本国のライン地方にある寄宿制ギムナジウムに送られて青年期をそこで過ごし、その後父の後を継ぐためにスイスの商業学校に入学します。この頃はまだ貿易商になるつもりでした。

しかし、第一次世界大戦が始まると父の反対を押し切って従軍を志願します。しかし、大した活躍も出来ないまま退役し、ミュンヘン大学に入学しました。そして、大学時代にアドルフ・ヒットラーの演説を聞き、感銘を受けナチ党に入党したのでした。

大学時代のヘス

30代でヘスはヒットラーの秘書になります。そして、1933年にナチ党が政権を握ると、ヒットラーが総統となり、ヘスは副総統に任命されました。

しかし、実際は他の側近たちに権限を奪われていき、名前だけの名誉職的な部分も大きかったといいます。主にドイツ各地を回って、国民や党員と交流を深めるといった形式的な職務を主に受け持っていたといいます。

そして、ヘスが40代の時に独英戦争が始まります。かねてよりイギリスとの戦争を反対していたヘスは、ヒットラーに相談もなく独断でイギリスに和平交渉のため飛行機で飛び立ちました。運よく防空にあわず、スコットランドに不時着したヘスは和平交渉に臨もうとしますが、逮捕されてしまいました。

ニュンヘンベルグ裁判の時のヘス(前左から二番目)

そしてロンドン塔に移送され、その後鬱病が理由で精神病院に終戦までいました。1945年に戦犯として裁かれるためニュルンベルグ刑務所に移送されました。そしてニュルンベルグ裁判にかけられますが、精神疾患を理由に死刑にはならず無期懲役の判決を受けました。その後93歳で自殺するまで刑務所の中で過ごすこととなったのです。

ナチ党に入党、ヒットラーに傾倒する

ナチ式敬礼を交わすヘスとヒットラー

1920年の大学時代に、ミュンヘンのビアホールでアドルフ・ヒットラーの演説を聞き、非常に感銘を受けナチ党に入党しました。この頃のヘスの手紙には、ヒットラーのことを「護民官」と呼び尊敬していたといいます。そしてヒットラーの演説を聞き、ドイツ革命の黒幕は共産主義者とユダヤ人であるという考えに賛同し、大学時代は、反共産主義、反ユダヤ主義の社会運動に没頭していたといいます。

ドイツ兵の後ろをユダヤ人がナイフで刺そうとしている絵葉書

1923年のミュンヘン一揆の時は、ヒトラーと共にビュルガーブロイケラーを突撃します。そして、ユダヤ人とドイツ社会民主党の党員を拘束、監禁しました。しかし、一揆は失敗しヒットラーとヘスは逮捕されました。その後出所後はヒットラーの秘書になり、ナチ党の片腕として活躍していくことになるのです。

ナチ党の副総統となる

副総統時代のヘスとヒットラー

1933年ヒットラーが首相に任命されると、ヘスは副総統に任命されました。この役職は、総統の代わりに党のあらゆる問題を処理する権限を持ち、また立法が国家社会主義に反していないか監視する役割を持ち、ドイツの法律に関与できることが定められていました。しかし実際は全てヒットラーが指示するものであり、ヘス自身が決定することはほとんど無かったといいます。

そしてナチ党幹部たちに唐変木と思われていたらしく、実権は徐々に他の幹部たちに奪われて行きます。そうした中でも、1939年のポーランド開戦の際に、ゲーリングの次の第二後継者と定められました。これは、国民人気を配慮してのことだったといいます。

イギリスへの単独飛行

ヘスが搭乗した飛行機の残骸

1941年ヘスはイギリスに単独飛行をしました。理由はかねてからイギリスとの戦争を望んでいなかったヘスが、和平を持ち掛けるためにヒットラーにも申告せず独断で決行したものでした。僅かな訓練しか積んでおらず、夜間ということもあり到着出来ない可能性も高かったのですが、運よくイギリスにたどり着くことが出来ました。

後にこの知らせを聞いたヒットラーは「なんということだ、ヘスがイギリスへ飛んだ。」と叫んだといいます。結果として目的の和平交渉もできず、ドイツからも他の同盟国を裏切って対英単独講和を行おうとしていることを危惧し「ヘスは病気が進行し、総統の静止を振り切って単独で飛行した。」と発表されてしまいます。

謎の死を遂げる

ヘスの墓

ヘスはイギリスで逮捕されたあと、50年近い囚人生活の後に、1987年の93歳の時刑務所内の庭にある避暑用のキャピンに電気コードを使い首を吊り死亡しました。ポケットには遺書が残されており、鬱病による首つり自殺と結論付けられました。

しかしヘスの息子ヴォルフ=リュディガー・ヘスが、イギリスによる暗殺説を主張しています。主張は、「1980年代にはソ連が釈放に傾きつつあったため、単独飛行の際に話し合われたことを釈放後に暴露されることを恐れたイギリスが父を暗殺した。」ということです。しかし、真相は永久に闇の中と言えるでしょう。

ルドルフヘスの功績

功績1 「ヒットラーの「わが闘争」を口述筆記した」

ヒットラーの著書「我が闘争」

ミュンヘン一揆に失敗し、ヒットラーと共にランツベルク刑務所に投獄されたヘスは、獄中でヒットラーと非常に親密になったといいます。ヘスが通う大学教授のハウスホーファーも加わって3人で長時間語り合ったといいます。

そうしてヒットラーの「我が闘争」を口述筆記しました。この「我が闘争」はヘスの意見も含まれているといいます。特に「生存圏」や「歴史におけるイギリスの役割」などの項目はヘスの影響が大きいと言われています。

功績2「ナチ党が政権をとるための全面的サポートした」

ヒットラーと並ぶヘス

彼はランツベルク収容所を出所した後、ヒットラーの秘書として働き始めました。仕事内容はヒットラーのスケジュールの管理と、苦情の受付を担当していたといいます。そうして、ヒットラーに余分な仕事ができるだけ入らないように徹底したといいます。

「ヒトラーに近づくのは容易ではなかった。いつもその近くにヘスがいたからだ」と言われるくらいだったそうです。また、ヘスはヒトラーの秘書活動の合間を縫って党のための宣伝飛行も行っていました。「ドイツ一周飛行」や「ツークシュピッツェ飛行」などの航空イベントに参加し、党の宣伝に尽力したのです。

ルドルフ・ヘスの名言

演説するヘス

「党はヒトラーに忠誠を誓う。ヒトラーはドイツそのものである。」

名言と言うべきか、迷言と言うべきかといった言葉ですが、ヘスのヒットラーへの尊敬を伺い知ることができます。ヘスは演説の時に、全能の神について語るような口調でヒトラーを紹介したそうです。そして群衆の熱狂的な「ハイル・ヒトラー」の音頭をとっていました。

ルドルフ・ヘスにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1 「オカルトオタクだった」

18世紀のダウジングをしている人

ヘスは幼少期から大変なオカルトオタクでした。幼少期は瞑想の呼吸法を自分なりにアレンジして神秘主義に夢中になっていたといいます。そして、ナチの副総統に就任し、身体の不調が続き、ナチ党で冷遇され始めると、占星術やダウジング、夢占い、千里眼などに没頭していったといいます。

ヘスのもとにはそういった専門家がたくさん集まってきたそうです。第二次世界大戦を題材とした映画で、ナチスの描写にオカルト的な描写があるのは、ヘスのオカルト趣味のイメージが影響していると言われています。

都市伝説・武勇伝2 「ナチ党でも変人扱いだった」

食卓を囲むナチ党幹部

ヘスはプライベートで酒は飲まない、たばこは吸わない、ダンスは踊らない、肉を食べずに菜食主義と、真面目な一面がありました。ドイツ人が好むビールもワインも飲まず、あの当時喫煙をしない男性は珍しいのもあり、ナチ党でも変人扱いをされていたといいます。

ある時ヒトラーとの食事会でヘスは出された料理には手を付けず、自宅から弁当箱に入った茹でブロッコリーとレタスを持ってきてそれを食べ始めたといいます。ヒットラーがどうして弁当を持参しているのかを聞くと「食事療法です。」と答えたという逸話も残っています。

都市伝説・武勇伝3 「実はイギリスに行ったヘスは替え玉だった!?」

ニュンヘンベルク監獄でのヘス

イギリスの歴史作家ヒュー・トマスは1941年5月以降のヘスは替え玉だったという説を言っています。本物のヘスはイギリスに着く前に、ヘルマン・ゲーリングの陰謀で撃ち落されたというのです。

ただしイギリスに到着してすぐ逮捕され、ニュンヘンブルグ裁判のためにわざわざドイツに後で連れ戻されているので、そんなことをする必要はないと根拠は薄く、あくまで都市伝説のようです。

ルドルフ・ヘスの簡単年表

1894~1912年 - 0歳~18歳
エジプトとドイツで育つ
青年期のヘス

厳格なドイツ人家庭で育ったヘスは、神秘主義に引かれる内向的な少年だったといいます。14歳の時にドイツのギムナジウムに入学しますが、学友に「エジプト人」と馬鹿にされたそうです。その後、父の貿易商の家業を継ぐためハンブルグで年期奉公しました。

1920~1932年 - 26~38歳
ナチ党に入党しヒットラーの右腕として活躍する
オリンピック開会式のヘスとヒットラー

ヒットラーの演説を聞いたヘスは感銘を受け、ナチ党に入党しました。その後、ヒットラーの秘書としてスケジュール管理など裏方の仕事をサポートしました。ヒットラーも公式場面では、「あなた」と呼び合っていましたが、私的な間では「君」と親しい間柄で話す呼称で呼び合っていたといいます。ナチ党が政権獲得まで、広報部門も担当していました。

1933~1940年 - 39~46歳
ナチ党副総統時代、そしてイギリスへ飛行する
ヘスが乗っていた飛行機のエンジン

ヒットラーが首相に任命されたときに、ヘスも副総裁に任命されました。また、ナチスの親衛隊に入隊し、親衛隊大将の階級を与えられました。しかし実態は大した権限はなく、それに伴ってノイローゼ気味になっていったといいます。そして1940年、イギリスとの和平を望んでいたヘスは、和平協定を結ぶために単独でイギリスに飛び立ったのでした。

1941~1987年 - 47~93歳
長い囚人生活後自殺する
ヘスが収監されていたシュパンダウ戦犯刑務所

イギリスで逮捕されたヘスは、1945年にニュンヘンベルク裁判にかけるためにニュンヘンベルグ刑務所に入れられました。しかしヘスは記憶喪失を主張し、精神鑑定が行われました。裁判中も奇行が目立ったため、責任能力があるかが焦点でしたが最終的に責任能力ありと判断され、終身刑を言い渡されました。その後シュパンダウ刑務所で米英仏ソの4国で共同管理され、50年近い年月を刑務所で過ごし93歳の時に電気コードによって首つり自殺をしました。

ルドルフ・ヘスの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

贖罪 ナチス副総統ルドルフ・ヘスの戦争

戦中に突然英国に飛び、そのまま拘束され、戦後終身刑で93歳で自ら命を絶った、ナチスの副総統ルドルフ・ヘスと著者の人生を対比させながら人生の終わりに見えてくるものを重ねて語っています。ルドルフ・ヘスの人生を知るには最適な一冊です。

おすすめの動画

ヒトラーと6人の側近たち 第3回 「ルドルフ・ヘス」

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ルドルフ・ヘス

ルドルフ・ヘスの人生を写真を見ながら見ることができる動画です。ナチ党全体ではなく、ヘスに重点をおいて説明されているので、短い時間でヘスを知ることができます。

おすすめドラマ

ドキュメント アドルフ・ヒトラー 狂気の野望

ナチスのお抱え映画監督だったレニ・リーフェンシュタールの作品です。ニュルンベルク裁判も収録されています。第二次世界大戦時のドイツの歴史を知るのにおすすめのドキュメンタリーです。

関連外部リンク

ルドルフ・ヘスについてのまとめ

ナチスの副総統ルドルフ・ヘスの記事を書くにあたって、筆者は改めてドキュメンタリーを見直してみて、戦争の狂気と人の狂気に再度驚かされました。

恐ろしいのは、ルドルフ・ヘス個人が地味で目立たない人物だったということです。厳格な両親によってドイツの愛国心が叩きこまれて、ヒットラーに出会ってしまい最終的にナチ党の副総統まで登り詰めました。

本人は死亡するまで自分が悪いことをしたと思っていなかったといいます。普段は地味で目立たない人物ほど、狂気にとりつかれると恐ろしいものだと感じてしまいます。

ドイツ人への優人思想と、ユダヤ人への差別で凝り固まった戦犯たちの末路は哀れなものでした。人は強い生き物ではない、ルドルフ・ヘスの生涯を見ても感じることです。

自分の中の狂気に気付き、正しい方向に導かなければならないと感じるのではないでしょうか。誰しもが持っているかもしれない人間の負の部分を、二度と同じ歴史を繰り返さないように振り返るのも必要と感じました。

この記事を読んで、少しでも戦争というものを反省してもらえると幸いです。最後まで読んで下さりありがとうございました。

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