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心理学の始祖!フロイトとユング、アドラーとは?人物像、関係性、学説の違いなどを紹介

現代心理学の礎を築いた人物と言えば、フロイトとユング、アドラーの名前が挙げられます。

「フロイトとユングとアドラーって何が違うの?」「三人はどんな関係性だったの?」

そう疑問を抱く方もいるでしょう。この三名は、最初は互いを尊敬し合う仲でしたが、しだいに思想の違いから決別していき、対立するようになります。

心理学の基礎を築いた三大巨匠の図

ここでは、スピリチュアルカウンセラーの経験がある筆者が、若い頃に学んだ心理学の知識を交えて、フロイト、ユング、アドラーの三名について紹介します。今回は、フロイト、ユング、アドラーの人物像、学説、関係性の視点から、個別に説明していきます。

フロイト、ユング、アドラーとはどんな人?

フロイト、ユング、アドラーの三名は、現代心理学の基礎を築いた三大巨匠で、心理学を学ぶ上では避けては通れない人物です。

それぞれ独自の学説を提唱しており、その学説は現代まで引き継がれていて、多くの後継者たちに影響を与えました。

三名とも、根底には「無意識」というテーマを扱っていますが、その捉え方には大きな差異があり、現代においても派閥ごとに思想が分かれています。個々の好みや考え方によって、フロイト派、ユング派、アドラー派に分かれていますが、近年では、それらの対立は緩和の傾向をみせはじめ、それぞれの長所を取り入れながら切磋琢磨するようになってきています。

それでは、フロイト、ユング、アドラーの人物像を個別に紹介していきます。

ジークムント・フロイト

精神科医として貫禄がでてきた晩年のフロイト

フロイトは1856年5月6日にオーストリアで生まれて、1873年(17歳)にウィーン大学に入学しました。大学では物理学を学びながら生物の脊髄神経細胞を研究して、脳科学に興味をもつようになります。

ウィーン大学を卒業した後は、20代半ばから20代後半までの間、コカインの研究をしたり、催眠によるヒステリー症状の緩和を学んだりしました。しかし、コカインは危険物質であるという見解が広まりつつあったため、彼の研究や論文は反発を生み、良い結果にはなりませんでした。

フロイトが本格的に精神分析をおこなうようになったのは、1886年(30歳)のこと。明確な治療法を確立したのは、1895年(39歳)のときでした。フロイトが精神科医として結果を残していったのは、さらにその後。中年期から晩年にかけて、フロイトは徐々に認知されはじめたのです。

カール・グスタフ・ユング

カール・グスタフ・ユング
フロイトに師事するようになり精神分析の道を志す

ユングは1875年7月25日にスイスに生まれました。1895年にバーゼル大学の医学部に入学し、若い頃はニーチェの影響を強く受けていたと言われています。

1907年にはフロイトに師事するようになり、本格的に精神分析の道を志すようになります。しかし、フロイトと交流していく過程で彼の思想に違和感を覚え、決別するようになります。

1927年には有名な著書『心理学的類型』を発表し、心理学の世界に大きな影響を残しました。

晩年は多種多様な専門家たちと交流し、多くの著書を残しました。そして現在までに、心理学の世界で最も有名な人物として語り継がれています。

アルフレッド・アドラー

アルフレッド・アドラー、個人心理学の創始者となる

アドラーは1870年にオーストリアに生まれ、フロイトとユングと同時代を生き、心理学の三大巨匠の一人となった人物です。4歳の頃に肺炎になり、死にかけたことがきっかけで医師を志すようになりました。

1888年にウィーン大学の医学部に入学し、卒業した後は、ユダヤ人の中下層階級を対象に、眼科医と内科医として治療を施すようになります。

そして、1902年にフロイトと出会い、精神分析の世界に深い関りをもつようになります。しかし、アドラーは間もなくフロイトの意見に反発を覚え、1911年には、仲間たちと共に自由精神分析協会(個人心理学会)を設立します。

その後は独自の心理学体系を築いていき、個人心理学の創始者となって、自己啓発的でより実用的な心理学を提唱するようになります。

3人の学説の違いは?

対立する心理学の三大巨匠たち

フロイト、ユング、アドラー共に、人間の心理を追求し、無意識を探求したことに共通点があります。しかし、三人の理論は個々に違っていて、独自の心理体系を築いていったのです。

ここでは、フロイト、ユング、アドラーの理論の違いを紹介していきます。

夢を重視したフロイトの「無意識論」

クラーク大学で友人と共にいるフロイト

フロイトは、人間の行動は無意識に起因しているものだと唱え、特に夢や性衝動に着目しました。

夢を分析することで無意識の正体を突き止めたり、すべての行動の原理となっているのは性衝動だと結論づけ、我々が認識している顕在意識は、氷山の一角でしかないと定義しました。それらのフロイトの主張は反発も多かったものの、心理学の世界の礎を築いたのも事実です。

フロイトが患者に施す治療法は「精神分析」と名付けられ、現代でも精神医療の現場でおこなわれることがあります。

人間の心理をいくつかの種類に分けたユングの「タイプ論」

精神科医として地位を築いた晩年のユング

ユングはフロイトと同様、無意識に着目しつつも、フロイトとは違う独自の理論を提唱するようになりました。

その中でもっとも有名なのが「タイプ論」です。タイプ論には外向と内向という二つの態度と、四つのタイプが存在します。

外向と内向

ユングは、人間の心理機能には大きく分けて二つの要素があると仮定し、外向型と内向型の人間がいると提唱しました。

外向型の人間は、周囲に同調したり反応するのが上手く、社会で上手くやっていけるタイプですが、他の影響も受けやすいと定義しました。一方、内向型の人間は、周囲に同調するのが苦手で大人しいタイプですが、代わりに周囲の影響も受けづらいタイプだと定義したのです。

4つのタイプ

次に、ユングは人間を思考・感情・感覚・直観の四つのタイプに分けました。

思考タイプは理論や理屈を重視し効率的に行動するタイプ、感情タイプは自分の好き嫌いを大事にして気分で行動するタイプ、感覚タイプは五感で事実を受け取るタイプ、直観タイプは物事の裏側を見抜き真実を見いだすタイプと定義したのです。

人間を全体性で捉えたアドラーの「個人心理学」

より独自性が高く実践的な心理学を提唱したアドラー

アドラーは、ユングのように人間をタイプごとに分けるのではなく、あらゆる要素を合わせて一人の人間の人格が形成されているという説を唱えました。

タイプ分けをすると、「あなたは○○な人間だ」という先入観をもつことになってしまうため、アドラーはそれを避けたかったのです。

アドラーは、思考も感情も、意識も無意識もすべてを合わせて一つの人格だと考え、どう生きていくべきかということに焦点を当てながら、より実践的な心理学を確立していきました。

3人の関係性とは

同じ時代を生き異なる思想をもった偉大な三人の心理学者

同時代に生き、後世の心理学にも大きな影響を与え続けている、フロイト、ユング、アドラーの三名。彼らは、どのような関係だったのでしょうか?

次からは、ユング、アドラー、フロイトの関係や、彼らが決別に至った理由を説明していきます。

ユングとアドラーはフロイトの影響を強く受けていた

晩年のフロイト、ユング、アドラーの姿

すでに述べましたが、ユングとアドラーはフロイトと出会ったことで、本格的に精神分析・心理学の世界へと身を投じることになりました。特に、フロイトとユングは密接な関係にあり、ユングは一時期、フロイトのことを父親のように尊敬していたと言われています。

そういった経緯もあり、ユングにしてもアドラーにしても、心理学の理論の根幹にはフロイトの影響を受けているのです。しかし、研究を進めていく内にお互いの考え方に相違が生じ、彼らは対立・離反するようになりました。

弟子たちはフロイトの提唱する「リビドー」に共感できなかった

自身の主張を曲げずに貫き通した晩年のフロイト

ユングやアドラーをはじめ、弟子たちがフロイトから離れていったのは、フロイトの提唱する「リビドー(性衝動)が人間の行動に起因する」という説が受け入れられなかったのが原因の一つだと言われています。

ユングとアドラーは、患者と関わったり研究を重ねていく内に、リビドーすなわち性衝動とは別の原因が人々を苦しめていると気づいたため、フロイトが提唱する論理に、どうしても共感できませんでした。

フロイトは、無意識の源泉となる心的エネルギーはリビドー(性欲)が本源的な力をもっていると頑なに主張しましたが、ユングとアドラーは、心的エネルギーの源泉は性衝動ばかりではないという見解に至り、独自に「タイプ論」や「個人心理学」を提唱する方向へと向かったのです。

ユング、フロイト、アドラーに関するまとめ

いかがでしたか? 心理学の三大巨匠である、フロイト、ユング、アドラーの人物像、学説、関係性について紹介しました。

この記事では、主に以下のことを伝えました。

  • フロイト、ユング、アドラーの人物像や提唱した論理について
  • ユングとアドラーはフロイトに師事していたが、考え方の違いから離反していった
  • フロイト、ユング、アドラーの三人は、決別してから独自の心理学の体系を突き詰めていった

三人とも同じ心理学を追求しながら、異なる理論を突き詰めていったことがわかりますね。

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