アメリカ大陸の発見者は誰?いつ発見した?【大陸発見の経緯や影響について紹介】

アメリカ大陸発見後の出来事

先住民族とヨーロッパから持ち込まれた疫病

アメリカ大陸に上陸したヨーロッパ人と先住民族

アメリカ大陸を発見し上陸したヨーロッパ人は先住民族と接触します。アメリカ大陸の先住民族はユーラシア大陸の風土病に対する免疫を保有していなかったため、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病の影響を大きく受けました。

特にアメリカ大陸には生息していなかった大型の家畜が由来の天然痘が大流行し、先住民族の人口は激減し社会や文化、政治に大打撃を受けてしまいます。

持ち込んだ側のヨーロッパ人は、ユーラシア大陸に生息する家畜との長い関わり合いの中で免疫を獲得していたため征服活動に支障は出ず、それに対して先住民族は抵抗する余裕もありませんでした。

強制労働や虐殺も相まって多くの部族が疫病により絶滅。ヨーロッパ人と先住民族の間には文明レベルの差がある以前の問題があったことがわかります。

ヨーロッパ諸国による征服活動

インカ皇帝アタワルパの死

ヨーロッパ人はアメリカ大陸に疫病と共に上陸し、先住民族が暮らしていた土地に対して征服活動を行いました。代表的な征服者として、1521年にメキシコ中央部で栄えたアステカ王国を侵略したエルナン・コルテス、1533年に世界遺産「マチュピチュ」で有名なインカ帝国を侵略したフランシスコ・ピサロがいます。

強大な国家を築いていたアステカ王国を、5万人の兵士を引き連れて侵略したコルテスに対し、ピサロは馬や鉄器などの兵器を駆使し約180人の兵力でインカ帝国を侵略しました。

スペインが中央アメリカやメキシコを征服している頃、ポルトガルは南アフリカの征服活動に力を入れていました。その後イギリスやフランス、オランダなどのヨーロッパ諸国も続々と参入し、北アメリカやカリブ海までヨーロッパ人に征服されてしまいます。

アメリカ大陸発見の歴史年表

1万年以上前 ‐「先住民族の祖先がユーラシア大陸より移住」

ユーラシア大陸とアメリカ大陸を繋いでいたベーリング海峡

アメリカ先住民族の祖先はユーラシア大陸から移住してきました。太平洋やベーリング海峡を船で渡ってきた説が有力ですが、シベリアとアラスカが陸続きだった時代に陸路で移動してきた説もあります。

詳しい年代はわかりませんが、シベリアからベーリング海峡を渡ってアラスカへやって来た場合、1万年以上前にはアメリカ大陸に人類が到達していたと考えられます。

10世紀頃 ‐ 「赤毛のエイリークの息子がニューファンドランドに到達」

10世紀頃、ヴァイキングと呼ばれていたノース人である赤毛のエイリークが北ヨーロッパから旅立ち、アメリカ大陸北東にあるグリーンランドに上陸しました。そして赤毛のエイリークの息子であるレイフ・エリクソンはグリーンランド南方に位置するニューファンドランド島に到達します。

ニューファンドランド島は現在のカナダにあり、1960年にヴァイキングの遺跡「ランス・オ・メドー」が発見されたことで伝説が真実であったことが証明されました。

1492年 – 「コロンブスがサン・サルバドル島に到達」

コロンブスの船、サンタ・マリア号のレプリカ

1492年にスペイン王国のカトリック両王による支援を受けたコロンブスは、地球球体説に基づき、従来の地中海ルートではなく西方ルートでインドを目指し出航します。

しかし西へ向かったコロンブスが辿りついたのは、アメリカ大陸周辺に浮かぶサン・サルバドル島でした。

他のカリブ海に浮かぶ複数の島にも上陸しましたが、アメリカ大陸をインドだと思い込んでいたコロンブスは、自身が到達したアメリカ大陸を新大陸として認識していませんでした。

1493年 – 「ヨーロッパ人による植民地化の開始」

コロンブスがサン・サルバドル島に到着したことをきっかけに、ヨーロッパ人が続々と西廻りのルートで海外進出することを試みます。

先住民族と比較して圧倒的な軍事力を保有していたヨーロッパの先進諸国は、新大陸に上陸するや否や征服活動を開始しました。ヨーロッパ人は侵略と同時にユーラシア大陸原産の伝染病をアメリカ大陸に持ち込み、先住民族の社会を壊滅に追い込んでしまいました。

1500年 – 「カブラルがブラジルを発見」

南アメリカ大陸に上陸しブラジルを発見した航海者、カブラル

スペインが中央アメリカを中心に征服活動を行っていた頃、ポルトガルから出航した航海者カブラルは南アメリカ大陸に上陸し、ブラジルを発見しました。

ブラジル発見が意図的だったか偶然だったかは未だに議論されています。その結論は一部の学者の間では永遠に解決しないとも言われています。

1503年 – 「アメリゴ・ヴェスプッチが論文『新世界』を発表」

1503年に地理学者アメリゴ・ヴェスプッチが論文『新世界』を発表します。

コロンブスがサン・サルバドル島に到着した後に3度アメリカ大陸を調査しに行ったヴェスプッチは、アメリカ大陸が未知の新大陸であると論じました。

そして、ヴェスプッチが新大陸の真の発見者であると考えていたドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーは、世界地図を作成する際、新大陸の名称を「アメリゴ」のラテン語名から取って「アメリカ」と名付けました。

1521年 ‐ 「コルテスがアステカ王国を侵略」

アステカ王国を侵略したコンキスタドール、
コルテス

1521年、スペインの征服者コルテスがアステカ王国を侵略しました。5万人の兵士を引き連れてメキシコ中央盆地に位置する首都テノチティトランを攻略。アステカ王クアウテモックを捕らえ、アステカ王国の征服に成功します。

アステカ王国を征服したコルテスは、奪った土地を部下に分け与えながら自身も広大な土地を手に入れることとなりました。

1533年 ‐ 「ピサロがインカ帝国を侵略」

インカ帝国を侵略したコンキスタドール、
ピサロ

1533年にはスペインの征服者ピサロがインカ帝国を侵略しました。

1531年に僅か180人程度の兵士を引き連れて乗り込み、圧倒的な軍事力の差をもってインカ皇帝アタワルパを捉え、1533年に処刑しました。ピサロは首都クスコに無血入城し、インカ帝国を滅亡に追い込んだのです。

少人数対大人数という一見スペイン側が不利に見える状況でしたが、アメリカ大陸には無かった鉄器と馬を駆使し、さらには伝染病がピサロに味方したことが圧倒的な勝利の要因となりました。

アメリカ大陸発見に関するまとめ

今回はアメリカ大陸発見の歴史について解説しました。

アメリカ大陸発見の歴史には未だに多くの謎が残されています。コロンブスやヴェスプッチの発見もヨーロッパ中心主義の価値観に過ぎず、大昔に何らかの方法でアメリカ大陸に辿りついた先住民がいる事実だけが存在しているのです。

これから先の時代、アメリカ大陸に到達した最初の人類の謎が解明される日は来るのでしょうか?様々な説を自ら考察してみるのも面白いかもしれません。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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