【年表付】安土桃山時代とは?いつから?活躍した人物や文化の特徴も紹介

「安土桃山時代って西暦何年から何年までなの?」
「安土桃山時代に活躍した人物は誰?」「安土桃山文化はどんな文化なの?」

安土桃山時代に関して、以上のような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか?安土桃山時代は織田信長や千利休が活躍した時代で、戦国時代と時期が重なっています。また、ゲームや小説など様々なメディアで取り上げられることも多く、日本の歴史の中でも特に人気があり、多くの方が関心を持つ時代です。

清洲公園の織田信長像

そこでこの記事では、安土桃山時代とはいつからいつまでなのか?安土桃山時代と戦国時代に違いはあるのか?あるいは、どんな人物が活躍しどんな文化が栄えたのか?など、安土桃山時代に関してわかりやすくお伝えしていきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

安土桃山時代とはどんな時代だったのか?

いつからいつまでの時代を指すの?

安土桃山時代の始まりと終わりには諸説あるものの、概ね元亀4年(1573年) から慶長8年(1603年)までの約30年間を指しています。「織田信長と豊臣秀吉が権力を握っていた時代」と定義されるのが一般的で、江戸時代以前の日本史の中では、最も短い時代区分となっています。(後醍醐天皇による建武の新政を除く)

元亀4年(1573年) 、織田信長によって室町幕府第15代将軍の足利義昭が京都から追放され、室町幕府が滅亡し室町時代は終焉、安土桃山時代を迎えます。そして、徳川家康が江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)を持って安土桃山時代は終わり、江戸時代へと突入していきます。

室町幕府最後の将軍 足利義昭座像

この30年間には、天正10年(1582年)本能寺の変、天正18年(1590年)豊臣秀吉による天下統一、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いなど、歴史を動かす大きな出来事が起こりました。

安土桃山文化の特徴とは?

安土桃山文化の象徴でもある姫路城

この時代には、戦国大名や豪商の経済力をバックボーンとして、豪華絢爛な文化が誕生しました。この文化を「安土桃山文化(または桃山文化)」と呼びます。安土桃山文化には以下の特徴があります。代表的なものを列挙します。

  • 安土城、大坂城、姫路城などに代表される雄大な天守閣を持つ城が築城されました。また、城内には金箔を施した屏風絵や壁画を設え、豪華絢爛な大広間がありました。
  • 茶の湯が流行し、千利休によって質素さを追求した「侘び茶(わびちゃ)」が完成、これが現在の茶道へと繋がっていきます。
  • ヨーロッパのカトリック宣教師が多く来日したことで、西洋文化(南蛮文化)が流入。鉄砲、油絵、銅版画、地球儀、時計、眼鏡、オルガン、カステラ、金平糖などが日本に持ち込まれました。これらは南蛮文化を象徴する品々です。
  • 現在の能の原型とされる「幸若舞(こうわかまい)」が流行。幸若舞の演目のひとつ「敦盛」を織田信長が好んでいたことでも知られています。また出雲阿国(いずものおくに)によって、現在の歌舞伎の原型が誕生しました。

戦国時代との違いとは?

戦国時代の始まりとされる応仁の乱(応仁・文明の乱)

前述の通り、安土桃山時代は戦国時代と時期が一部重なっています。とは言え、安土桃山時代と戦国時代が全く同じ時期なのかと言うと、そうではありません。

厳密に言うと、日本の時代区分は室町時代→安土桃山時代→江戸時代と続いており、「戦国時代」という区分は存在しません。戦国時代とは室町後半、安土桃山、江戸初期の3つの時代に跨って存在する戦乱の時代、と定義されています(終焉をいつにするかによって、江戸時代とは被らない場合もあります)。

ゆえに戦国時代の期間は非常に曖昧であり、その始まりと終わりにも諸説入り乱れています。最も広域な捉え方では、応仁元年(1467年)の応仁の乱勃発を戦国時代の始まりとし、慶長20年(1615年)大阪夏の陣で豊臣家が滅亡したことで終焉としています。

つまり、「安土桃山時代は戦国時代の終盤あたりと重なる時代」となります。

「安土桃山」の意味とは?

現在の安土城址

ところで「安土桃山」とは一体どういう意味なのでしょうか?

「安土」とは、織田信長の居城として有名な「安土城」に由来しています。一方の「桃山」とは、豊臣秀吉の隠居所として築城された伏見城が、京都の「桃山」と呼ばれる地域にあったことに由来します。なお「桃山」という地名は、江戸時代になってからの呼称とされ、伏見城の跡地に桃の木が植えられたことが、「桃山」の由来と言われています。

つまり、織田信長と豊臣秀吉にゆかりの深い「安土」と「桃山」が語源となっているのです。以上のことからも、安土桃山時代とは「織田信長と豊臣秀吉が権力を握っていた時代」と定義されています。

安土桃山時代に活躍した人物は?

安土桃山時代は戦国時代終盤と時期が重なっているため、歴史に興味のない方でも知っている有名な人物がたくさん存在しています。その中から、特に実績と知名度に優れた人物を戦国武将と文化人を合わせて計10名ご紹介します。

活躍した戦国武将

織田信長:天文3年(1534年)~天正10年(1582年)

織田信長

戦国時代のみならず、日本の歴史全体を通しても人気の人物です。永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元を破ると徐々にその頭角を現し、戦国時代を代表する大大名へと成長していきました。一向宗などの抵抗勢力に苦しみながらも、天下布武を掲げ勢力を拡大、天下統一まであと一歩まで迫りました。しかし、天正10年(1582年)明智光秀の謀反により本能寺に散りました。

豊臣秀吉:天文6(1537年)~慶長3年(1598年)

豊臣秀吉

その出自ははっきりわかっていませんが、かなり貧しい身分だったとされています。織田信長の家臣として実力をつけ、本能寺の変の後には信長の覇道を引き継ぐ形で天下統一を成し遂げました。わずか一代で貧しい身分から天下人に成りあがった、戦国一の出世頭としても知られています。

徳川家康:天文11年(1543年)~元和2年(1616年)

徳川家康

幼少期は人質として、そして青年期は織田信長への同盟という名の臣従、三方ヶ原の戦いでは武田信玄に完膚なきまでに叩きのめされ、豊臣政権下ではその臣下となるも、関ケ原の戦いに勝利し江戸幕府を開府、最後は豊臣家を倒し、戦国時代の最終勝利者となりました。徳川家の江戸時代は、明治維新までの約260年間の太平をもたらしました。

石田三成:永禄3年(1560年)~慶長5年(1600年)

石田三成

子供の頃から豊臣秀吉に仕え、豊臣政権の優秀な官僚として辣腕を発揮しました。しかし、その政治姿勢が情け容赦なかった為、人望が薄かったとも言われています。秀吉没後の関ヶ原の戦いでは、西軍を率いて徳川家康と戦いますが敗北。間もなく捕縛され斬首されました。

伊達政宗:永禄10年(1567年)~寛永13年(1636年)

伊達政宗

「独眼竜」の異名で知られる隻眼の戦国武将。現在の宮城県や福島県を中心に活躍し、豊臣秀吉や徳川家康にも一目置かれる実力者でした。また、西洋への関心が強く「慶長遣欧使節団」を派遣したことでも知られています。かなりの洒落物だったそうです。

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