ヨーロッパ諸国
世界恐慌の影響をまともに、しかも早い段階で受けたのは「列強」と呼ばれていたヨーロッパ諸国も同様でした。今よりも国土が広かったこともあり、各国ともその対応に追われたのは想像に固くありません。
アメリカの不況で物が売れない
第一次世界大戦の主戦場となったヨーロッパは、戦勝国も敗戦国も戦後復興に力を入れていました。独自で生産が続けられなかった国々は、先進国からの援助と輸入で復興への足がかりを模索していました。とりわけ植民地を持つイギリス、フランスなどの大国は戦後の混乱に乗じて影響力を拡大。ドイツから獲得した多額の賠償金もあって、必ずしも苦しいと言える状況ではありませんでした。
しかし、一部の製品をアメリカからの輸入に頼っていた影響で、世界恐慌によるアメリカの不況をもろに受けたのもヨーロッパ。アメリカと同じくものが売れなくなり、アメリカからの輸入に頼っていた国々はモノが売れない状況でも輸入しなければならない事態になりました。
ブロック経済の成立
対外貿易の影響で悪化する経済状態を回復するため、植民地を持つヨーロッパ諸国は自国の貿易の保護を理由に「ブロック経済」政策の実施に踏み切ります。これは植民地を含む同一通貨を使用する地域との貿易を優遇する政策で、対外貿易については重い関税を課す形で貿易を守ろうとしました。
それぞれの国により、使用していた通貨の名前を取って「ポンドブロック」「フランブロック」などと呼ばれています。これによりヨーロッパ諸国は経済回復を試み、イギリスなどの大国はある程度の回復に成功しました。
ソビエト
世界が不況にあえぐ中、その影響が薄かったのがソビエトです。それどころかソビエトはこの間に国力増進のための経済政策に打って出ます。
影響が薄かったソビエト
世界恐慌の波は東へ東へと向かう中で、ソビエトだけは普段と変わらない経済状況でした。まったく影響がなかったわけではありませんが、他の国に比べ被害は最小限で済んでいました。
その理由は社会主義経済による計画経済にありました。
具体的には後ほど触れますが、年間の生産量を国が管理することでものや通貨の余剰が少なかったことがその最大の理由です。資本主義の国々が不況に見舞われる中、ソビエトの指導者・スターリンはこのタイミングで大々的な国力増強に打って出たのでした。
5か年計画
その最大の計画こそ「5カ年計画」です。
年間でのものの生産量や通貨の流通量を国がコントロールしているソビエトは、世界経済の先行きが見通せない中にあって、むこう5年間の経済計画を公表。これに基づいて重化学工業と農業を進歩させ、アメリカやヨーロッパ諸国とは違った意味での大国化の道を歩むことになります。
結果としてこの政策は成功。第二次世界大戦後には、大国の一国として世界中から認識されるほどの成功を収めることとなります。
ドイツ
第一次世界大戦の敗戦国であり、状況が苦しい中で多額の賠償金の支払いを余儀なくされたドイツだけは事情が異なりました。できる政策もなく、今後の先行きが見えなかった中でドイツは一体どういう方法に出たのでしょうか?
対応しきれず大不況に
ハイパーインフレーションと呼ばれるような物価の高さからすでに未曾有の不況にあったドイツ。復興のためにアメリカなどの大国からの援助を受けていました。そのおかげでやや復興の兆しを見せていたものの、世界恐慌の影響が到来。国民の3人に1人は失業者という恐ろしい事態にまで発展したのです。
これに対応するため、大規模な雇用安定政策が打ち出されるも経済基盤が不十分であったため失敗。他のヨーロッパ諸国のように植民地の数も多くなかったためブロック経済の実施も難しく、ドイツ経済は再び悪化していったのです。
侵略政策とファシズム
このドイツの経済混乱に乗じて、ナチスが勢力を伸ばします。
ヒトラーが首相に就任すると更に行動は激化。やがて列強に近づくためには軍事力による侵略が必要と唱えて再軍備を開始します。その過程でユダヤ人や反ナチス勢力を弾圧。世にいうファシズムを本格的に開始し、第二次世界大戦の契機となったのです。
この中で行われた公共事業、アウトバーン建設により失業者数は激減しました。一定の成果は上げたものの、軍事費に多額の資金が投入されたことにより、効果は本当に一時的なものにとどまってしまったのです。
世界恐慌で割れた経済システムの強さと弱さ
不況での強みを見せたソビエトですが、その背景には社会主義という経済の考え方がありました。一方で世界のという当時はソビエト独自であった経済システムが深く関係しています。一方の資本主義経済はこの一件で弱みを見せたことで、第二次世界大戦後には若者の間で社会主義へのシフトを呼びかける声が高まりました。
では、この経済システムがなぜ世界恐慌の影響に深く関係しているのでしょうか?
資本主義
まず資本主義経済の特徴として、需要と供給は個人・企業間の裁量によって決められる特徴があります。
どういうことかというと、企業は売れると判断すればいくらでもモノを作りだし、市場に流すことが可能です。もちろん無尽蔵に販売を続けてもいつかは飽和状態になるのも企業はわかっていますので、ある程度生産量のめどはつけています。
しかし、世界恐慌の引き金となったアメリカにおけるバブル経済はそんな事お構いなしに物品の生産を続け、いつしか在庫が余剰に。そうなると値下げ合戦が始まり、デフレーションのきっかけとなってしまうのです。ゼネラルモーターズの株価が急落した原因も「車を売っても儲けは薄いのではないか」という不安から起きたものなのです。
市場の需要と供給のバランスが成り立たなければ資本主義経済は成立しないのです。
社会主義
社会主義経済は、ソビエトの項目でも簡単に触れましたが、国が年間の物品の生産量と貨幣の流通量を決めています。つまり、国が取り決めた分だけ作ればそれでいいというシステムだったのです。
ソビエトは、世界恐慌の影響が波及してもなお、独自の経済システムによって深刻な影響を受けることなく済みました。それどころか長期的な成長戦略に転換し、大国の一員となることさえできたのです。
ただし、確かに不景気には強いのですが、国がすべての生産量を管理しているため誰か一人が利益を出そうとするのは社会的にアウト。厳しく罰せられる対象となりました。そのため、貧富の差はないものの富裕層もおらず、ただ機械的に労働に従事することになります。
この反動が起きたのは第二次世界大戦終結から50年近くたった1991年。ソビエトの崩壊により社会主義が崩壊するまで続いたのです。
世界恐慌の影響に関するまとめ
世界恐慌の影響は、一部の地域を除いて深刻な経済的打撃を与えました。その状況から新しい政策で打開を試みた国、なすすべなく武力に訴えるようになった国とさまざまですが、後者が後に始まる第二次世界大戦の引き金を引いたのはまず間違いありません。
日本とドイツはその境遇の近似性から急接近。イタリアを含む三国同盟を結成し、世界を巻き込んだ戦争を起こしたことは、彼らなりの世界恐慌の影響からの脱出を試みるために必要だった行為だったのかもしれません。
しかし、事態は彼らの思うようには進まず、イタリア、ドイツ、そして日本の順番に連合国軍に降伏。
またしてもマイナスからのスタートを切ることになってしまったのです。
難しい話しもありましたが、この記事をきっかけに理解を深めてもらえたなら幸いです。
長文にお付き合いいただきありがとうございました!