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卑弥呼の時代はどんな時代?近年わかってきた真実に迫る!【出来事、経済、文化なども紹介】

1700年以上も昔、日本は卑弥呼と呼ばれる女王が統治していたと言われています。卑弥呼の時代のことは、魏志倭人伝や近年発掘された古代遺跡により少しずつわかってきましたが、1700年以上も前の日本がどのような時代だったのか、ご存知ではない方も多いでしょう。

卑弥呼の時代の集落

「卑弥呼の時代はどんな時代だったの?」
「卑弥呼の時代の文化や起きた出来事とは?」

そんな疑問に答えるために、ここでは卑弥呼の時代について紹介していきます。

卑弥呼の時代は弥生時代

卑弥呼が生きていた弥生時代の風景

卑弥呼が統治していた時代は「弥生時代終期」で、それは西暦200年代前半です。次の古墳時代とほぼ重なる時期に卑弥呼の時代があり、卑弥呼の墓が建てられた時期から古墳時代が始まったという説もあります。

ちなみに、弥生時代の始まりについては諸説あり、紀元前5世紀頃が始まりという説もあれば、紀元前10世紀頃が始まりという説もあります。今後の研究や遺跡の発掘しだいで、これらの説は変化していくでしょう。

弥生時代は水稲農耕の時代だった

水稲農耕が渡来した弥生時代の風景

弥生時代は、狩猟社会だった縄文時代と違い水稲農耕(すいとうのうこう)が盛んで、水稲農耕は縄文時代後期に北九州に上陸した渡来人によってもたらされたと言われています。自然環境に左右されにくい水稲農耕(主に米の栽培)は、またたく間に周辺地域に広がったとされています。

縄文時代と弥生時代を分ける差異は、この水稲農耕が行われたか否かが大きく、水稲農耕により縄文時代の土器と弥生時代の土器は形状が変化しました(今後、紀元前10世紀以前に制作された弥生土器が発見された場合、弥生時代の起源は紀元前10世紀以前にあるという説が浮上する可能性があります)。

紀元前2世紀頃から日本は小国に分立していきましたが、国同士で争うようになったのはこの頃だと言われています。弥生時代後期になると内乱が起こるようになり、それを治めるために、女の王が国を統治するようになりました。その女の王が、邪馬台国の女王、卑弥呼です。

卑弥呼は大衆を陽動するのが上手く、鬼道をもって国を統治したとされています。卑弥呼が国を統治したことで内乱は収まりましたが、隣国である狗奴国(くぬのくに/くぬこく)との関係は悪く、弥生時代の末期に邪馬台国と狗奴国は戦争をしています。

卑弥呼の時代の政治や外交は?

卑弥呼は鬼道をもって大衆を陽動していたと言われていますが、それはいわゆる占いのようなもので、骨を焼いてその割れ目を見て吉凶を占う、という方法で国を動かしていたようです(魏志倭人伝の記述による研究者たちの見解)。

卑弥呼は民の心を掴むのが上手い女王だったようで、卑弥呼が王になってからは国の内政は整い、内乱は鳴りを潜めたとされています。

また、卑弥呼は魏(現在の中国)との交流に力を入れ、魏に使者を派遣して親魏倭王の金印を受け取るなど外交に尽力したとされています。その甲斐あって、邪馬台国が狗奴国と戦ったときには、魏は張政という役人を派遣したとされています。

卑弥呼の時代の文化や経済は?

自給自足する弥生時代の民

弥生時代を特徴づける文化は、主に「水稲農耕」「金属器」「弥生土器」の三つです。

弥生時代の金属器とは主に青銅器と鉄器のことで、青銅器は主に祭祀の道具として発展を遂げて、鉄器は農具や武器として発展を遂げました。

弥生土器とは縄文土器を進化させた土器で、縄文土器のようにそのまま火にかける野焼きとは異なり、藁や土を被せてから焼成して作られた土器です。この焼成法により、焼き上がりが縄文土器より上質になり、より薄く硬度な仕上がりになりました。

紀元前10世紀頃から5世紀頃が弥生時代のはじまりだとされていて、これら「水稲農耕」「金属器」「弥生土器」が弥生時代を代表する文化です。

また、弥生時代の日本には通貨は存在せず、この頃は物品貨幣、すなわち水田稲作などによる食料生産貨幣が経済システムだったとされています。

卑弥呼の時代のファッションや髪型は?

縄文時代から弥生時代に移ると身分の違いから格差が生まれ、位の高い民とそうではない民とで装いに違いが見られるようになりました。

特に特徴的なのは髪型で、身分の高い男性の場合は「みづら(美豆良)」という、長髪をセンターで分けて左右の耳の横に輪をつくる髪型をしていたようです。

また、身分の高い女性は「古墳島田」という結髪にしていたとされ、これが日本独自の結髪の起源ではないかと考えられています。

ファッションに関しては縄文時代より質素になり、縄文時代に見られたような柄物の服は弥生時代では見られなくなったとされています。

卑弥呼の時代に起きた出来事

それでは、卑弥呼の時代に起きた大きな二つの出来事を紹介します。

魏に使者を派遣

三国時代の中国の図

239年、卑弥呼は魏に使者を送り親魏倭王の称号を賜り、金印と100枚の銅鏡を受け取ったとされています。これは魏に使者を送ることで外交を円滑にし、他国からの侵略を抑える狙いがあったようです。

また、親魏倭王になることで卑弥呼は周辺諸国に倭国の王と認めさせ、権力を誇示するという目的もあったと推測されます。大国である魏に認められれば、周辺諸国は手を出せないと考えたのでしょう。

狗奴国との戦い

邪馬台国九州説を取った場合の狗奴国の位置

247年、邪馬台国は卑弥呼と嫌煙の中だったと言われる隣国、狗奴国と戦争を開始しました。このとき、魏は張政という使者を派遣して邪馬台国と狗奴国の和睦に尽力したとされていますが、具体的な政策は謎に包まれています。

邪馬台国と狗奴国との争いの顛末については諸説あり、狗奴国との戦いで卑弥呼は死んだ、戦争は狗奴国が勝利を治めたなどの説がありますが、狗奴国の王は邪馬台国に破れたという説もあり、史実は明らかではありません。

卑弥呼の時代に活躍した人物

卑弥呼の時代に活躍した人物の記述は少なく、魏志倭人伝や古事記など、神話的な登場人物になぞらえる実在の証明が難しい人物が多いです。そのため、ここでは実在した可能性が高い人物を紹介します。

卑弥呼(175年?~248年?)

日本ではじめての女王卑弥呼の肖像

卑弥呼は、弥生時代終期に北九州もしくは畿内に存在したと言われる邪馬台国を治めていた女王です。鬼道(占い)を用い大衆陽動に長けたカリスマ的な指導者だったとされています。詳しい生年と没年は不明ですが、概ね175年頃~248年頃だとされています。

卑弥呼は人前に姿を表すことはなく、その姿は弟だけが見ていたということが魏志倭人伝に記述されています。

壱与(235年~不明)

壱与(いよ)は卑弥呼の姪だとされていて、卑弥呼の死後13歳のときに卑弥呼の跡を継いだとされている女性の王です。卑弥呼の死後、国は再び男の王が台頭し混乱が生じたとされていますが、壱与が女王になったことで安定を取り戻したと言われています。

壱与に関する記述は少なく謎が多いですが、266年に邪馬台国は西晋(魏の次の王朝)に使節派遣したということが晋書「四夷伝」に記述されているため、壱与は266年までは生存していた可能性があります。

しかし、266年以降、壱与はおろか邪馬台国の記述は消失したため、この頃に邪馬台国は滅んだ、もしくはヤマト政権へと変遷していった可能性が考えられます。

卑弥呼の時代の歴史年表

卑弥呼の時代(弥生時代終期)に起きた主なできごとを紹介します。

189年?
卑弥呼が女王になる

明確な時期は不明ですが、189年頃に卑弥呼が女王になり、内乱で混乱していた国をまとめたとされています。

239年
魏に使者を送り親魏倭王の称号を受け取る
卑弥呼が受け取った親魏倭王の金印

239年、魏に使者を送り、魏より親魏倭王の称号を得て、その力を利用して周辺の国を統治したとされています。親魏倭王の称号の他には金印と銅鏡を授かり、魏との外交関係を良好なものとしたようです。

247年
狗奴国との戦い

247年、邪馬台国の南側にあったとされる隣国、狗奴国との戦争が始まりました。卑弥呼は魏に援助を要請し、魏は張政という使者を送り狗奴国との和睦に尽力を注いだと言われています。

248年
卑弥呼が亡くなる

卑弥呼の死期は248年頃だと言われていますが、詳しいことはわかっていません。また、卑弥呼の死についてはさまざまな説があり、狗奴国との戦いで命を落したという説もあれば、日食が続いたことを恐れた民が卑弥呼を生贄にして日の力を取り戻そうとしたという説もあります。

しかし、どれも確証はなく、卑弥呼の死については謎が多いです。

卑弥呼の時代がよく分かるおすすめ本

卑弥呼の時代

タイトルの通り、卑弥呼の時代について包括的に書かれた著書で、外交方針や東南アジアとの国際交流について深い見解が述べられています。

日本国朝廷により封印された卑弥呼の謎と正体

各国の歴史書を参考にして、卑弥呼の時代について統一的な見解を述べた著書です。すべてに納得いく内容ではありませんが、興味深い論理を展開しています。

卑弥呼をよく知れるおすすめ本6選【伝記から評伝、漫画まで】

卑弥呼時代に関するまとめ

卑弥呼の時代である弥生時代終期に関して紹介しました。

  • 弥生時代は「水稲農耕」の時代だった
  • 弥生時代は物品通貨(食料生産貨幣)の時代だった
  • 弥生時代終期はカリスマ的指導者だった卑弥呼が統治していた

この記事では、以上のことがわかりました。

邪馬台国をはじめ謎が多い弥生時代ですが、遺跡の調査や新たな発見に伴い、新たな事実が浮上してくるでしょう。この記事に書かれていることも、その内、古くなるかもしれません。

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