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ロシアの歴史とは?年表まとめ【重要人物や出来事、日本との関係についても紹介】

ロシアはユーラシア大陸北部の大部分を領土とする連邦共和制国家です。

この記事で取り上げるロシアの歴史というと、第二次世界大戦でヒトラー率いるナチス・ドイツと戦った指導者スターリンや、日本のテレビ番組に何度も出演していたミハイル・ゴルバチョフが思い浮かぶのではないでしょうか?

ソビエト連邦の最高指導者スターリン

しかし、スターリンやゴルバチョフは20世紀始めに成立したソビエト連邦の指導者です。実はロシアの歴史はさらに奥深く、起源は1000年以上も昔に遡ります。

この記事ではロシアの歴史や特徴について迫っていきます。

ロシアとはどんな国?

ロシアはどこにある?

ロシアはユーラシア大陸北部に位置する大国です。アジア北部から東ヨーロッパにかけて広大な土地を領土としています。

ユーラシア大陸北部に位置するロシア

土地が広いため国境線は非常に長く、ノルウェー、フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア、アゼルバイジャン、カザフスタン、中華人民共和国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国の14の国と隣接しています。

また、海上境界線として日本、アメリカ合衆国とも接しています。

ロシアはいつ誕生した?

1000年以上前の東ヨーロッパの地図

ロシアの起源は、1000年以上前に遡ります。東スラブ人が東ヨーロッパの地に定住し始めたのが6~7世紀頃で、そこへやってきたノルマン人のリューリクがロシア最初の都市ノブゴロドを建設しました。

ノブゴロドを建設したリューリク

その後、リューリクの子であるイーゴリを擁した一族のオレグが建国したのが、ロシア最初の国家であるキエフ大公国です。

キエフ大公国は、南部のビザンツ帝国と接触していく過程でギリシア文化が国内に流れ込み、スラブ文化と融合していきました。そして10世紀にはキリスト教を受容し、キリスト教国家の1つとなります。

ロシアの性質・特徴

ロシアは年間の気温差が非常に激しく、夏場は30度を超えますが、冬には厳しい寒さに襲われます。

かつて、この特徴的な気温差がロシアにとって有利に働きました。ナポレオン率いるフランス帝国やヒトラーのナチス・ドイツがロシアに攻め込んできた際、夏は乾燥、冬には極寒となるロシアの大地が自然の要塞と化したのです。

しかし厳しい環境が味方ばかりしてくれるわけではありません。ロシアは年間を通して凍結しない港を常に欲していました。政治経済、軍事などあらゆる目的をもって度々南下政策を推進します。

ロシアの歴史上で重要な出来事

ロシア革命

第一次世界大戦末期、連合国側のロシア帝国で2度に渡る革命が起こりました。

第一次世界大戦末期に起きたロシア革命

その2度の革命とは、「二月革命」と「十月革命」です。

長引く戦争に疲弊した民衆の不満が爆発した二月革命では、デモやストライキが起こります。そこに兵士も合流した結果、ロシア政府軍は統制が取れなくなりました。この影響を受けたニコライ2世の退位をもって、ロシア帝国は滅亡します。

十月革命は、社会主義左派勢力ボリシェヴィキによって起こされました。二月革命後に臨時で置かれていた政府のメンバーは逮捕され、労働者・農民・兵士の評議会であるソビエトに権力が集中します。その結果、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦社会主義共和国が成立します。

米ソ冷戦

第二次世界大戦の終結と共に、共産主義・社会主義陣営の東側諸国と資本主義・自由主義陣営の西側諸国の対立が深まります。

冷戦期に進んだ軍拡競争

主にソビエト連邦とアメリカ合衆国という2大国の対立構造となっていました。互いを常に仮想敵国としており、核兵器開発や宇宙開発競争など軍備の拡張が続きます。結果的に2大国同士の直接対決は起こりませんでしたが、1962年のキューバ危機では全面核戦争寸前の状況にまでなりました。

米ソ冷戦はソビエト連邦の崩壊と共に終結。西側諸国の勝利に終わりましたが、中華民国と中華人民共和国の対立や朝鮮戦争は未だに続いており、世界各地にその強い影響が残っています。

ロシアの歴史で重要な人物

初代ツァーリとなったイヴァン雷帝

ロシア・ツァーリ国の初代ツァーリとなったイヴァン4世はロシア最大の暴君と呼ばれ、その権威と苛烈で冷酷な性格から「雷帝」の異名を持っていました。

ロシア最大の暴君として知られるイヴァン4世

イヴァン4世の時代、対外的には東方の領土を拡大させることに成功します。しかし、西欧との通商を求めたイヴァン4世がバルト海進出を狙って西方国境で起こしたリヴォニア戦争は失敗に終わり、国力の低下につながりました。

内政的にはツァーリズムと呼ばれる専制政治を開始し、それまで権力を保有していた貴族勢力の抑圧を行います。また、行政や軍事において様々な改革を積極的に行いますが、大粛清や恐怖政治は経済に悪影響を与えました。

晩年、イヴァン4世は後継者である自身の息子に対して激怒し、我を失ったまま撲殺してしまいます。正気を取り戻した時には既に遅く、罪悪感を抱えたまま最期を迎えました。

ソ連の初代指導者レーニン

レーニンは史上初の社会主義国家であるロシア・ソビエト共和国を樹立し、後にソビエト連邦社会主義共和国の初代指導者となった人物です。

ソビエト連邦最初の最高指導者レーニン

元々は、ロシア社会民主党のボリシェヴィキ派で指導者として活動しており、1917年には十月革命を成功させました。実はレーニンの名は筆名であり、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフです。

またレーニンは革命家、政治家としてだけでなく哲学者としても様々な著書を残し、レーニン主義の思想は後世に継承されていくことになります。

ソ連最後の指導者ゴルバチョフ

1985年にソビエト連邦共産党書記長に就任したゴルバチョフは、ソビエト連邦社会主義共和国における最後の最高指導者となりました。

ソビエト連邦最後の最高指導者ゴルバチョフ

ゴルバチョフはソビエト連邦内で起きていた社会主義経済の停滞を打破するために、多方面における改革を目指した「ペレストロイカ」と、情報公開を意味する「グラスノスチ」を断行します。

外交的には東欧の民主化を支持して冷戦を終結させました。しかしこれらのゴルバチョフによる政策は国内の分裂を招き、ソビエト連邦は崩壊へ向かうことになります。

ゴルバチョフは何度も来日しており、首相との会談や大学での講演会だけでなく、バラエティ番組にも出演しています。

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