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ロシアの歴史とは?年表まとめ【重要人物や出来事、日本との関係についても紹介】

ロシアと日本の関係

日露戦争

川を渡って進軍するロシア帝国軍

1904年に大日本帝国とロシア帝国による日露戦争が起こりました。大日本帝国と、南下政策を推し進めたいロシア帝国の朝鮮半島・満州の権益を巡る争いが原因です。

この戦争に勝利したのは日本でした。大日本帝国は、アメリカ合衆国の仲介の下でロシア帝国と結んだポーツマス条約の中で朝鮮半島における権益を認めさせ、ロシア領南樺太を割譲させます。さらに大連と旅順の租借権も奪いました。

実はロシア帝国内では民衆の不満の高まりや経済の停滞が原因となり、サンクトペテルブルクの労働者達によるデモ隊に対して軍隊が発砲する、という血の日曜日事件が起きていました。

大国ロシアが日本に敗北した事実は多くの国に衝撃を与えましたが、実際にはロシア帝国は内政に異変が起きていたため、戦争を継続することが困難な状況にありました。

ノモンハン事件

ノモンハン事件とは、1939年に満州国とモンゴル人民共和国の国境線を巡って起こった紛争です。当時満州国は大日本帝国が支配しており、モンゴルはソビエト連邦の衛星国となっていました。

日ソ国境紛争は度々起こっていましたが、このノモンハン事件が最大規模の軍事的衝突です。結果はソビエト連邦の勝利に終わりました。

ノモンハン事件の停戦協定が成立する直前にはドイツ軍によるポーランド侵攻が始まり、第二次世界大戦が始まることになります。

ロシアの歴史年表

882年 ‐ 「キエフ大公国の建国」

キエフへの入り口「黄金の門」

ロシア最古の都市ノブゴロドを建設したリューリクの子が、882年にドニエプル川流域のキエフを占領して建設した国家がキエフ大公国です。

キエフを首都としたキエフ大公国は、南に位置するビザンツ帝国と接触し、その際にビザンツの文化が北方へと流れ込んできます。10世紀までにはキリスト教を受容し、キエフ大公国はキリスト教文化圏の1つとなりました。

しかしモンゴル帝国の侵攻によって1240年にキエフが陥落。それ以後、ロシアは200年以上に渡ってモンゴルの支配を受けることになります。

1223年 ‐ 「タタールのくびき」

タタールのくびきとは、モンゴルによるロシアへの侵攻とそれに続く支配を指します。モンゴル帝国最初のロシア襲撃は1223年のカルカ河畔の戦いでした。

1240年にはキエフ大公国が陥落。多くの都市が焼き払われ、首都キエフも骸骨が散乱する廃墟となってしまいます。ロシアを征服したモンゴルはそのままヨーロッパへと大規模侵攻を開始しました。

侵略を重ね巨大帝国を築いたモンゴル帝国でしたが、実は宗教的には非常に寛容です。モンゴルは地域に根付いていたイスラム教やキリスト教を根絶しようとはせず、むしろ被征服民の宗教的影響を自ら受けてしまうこともありました。

1480年 ‐ 「モンゴルの支配から解放される」

1480年にロシアはモンゴルの支配から解放されることになります。タタールのくびきからロシアを解放した人物として知られるのが、モスクワ大公イヴァン3世です。

名君とされるモスクワ大公イヴァン3世

ロシア帝国の前身であるモスクワ大公国は、イヴァン3世の治世で支配領域を多く広げることになりました。強力な統一国家を生み出したイヴァン3世は名君とされています。

また、正式に用いられたのはもう少し後ですが、ロシア語で皇帝を意味する「ツァーリ」の称号が初めて使われたのはこの時代であると言われています。

1547年 ‐ 「ロシア・ツァーリ国の誕生」

1547年、モスクワ大公国のイヴァン4世が正式にツァーリの称号を用いました。それ以後から18世紀前半まで、ロシア国家の公称はロシア・ツァーリ国となります。

イヴァン4世はツァーリの独裁権力を振りかざし、強国化政策を行いました。その治世では長く戦争が続き、ロシア史上最大の暴君と言われるイヴァン4世は「雷帝」と呼ばれます。

また、後にソビエト連邦の最高指導者となり、国内外で大規模な政治弾圧を行ったスターリンは、ロシア屈指の暴君であるイヴァン4世を英雄として信奉していました。

1613年 ‐ 「ロマノフ朝の成立」

1613年にミハイル・ロマノフがツァーリに選出され、ロマノフ朝が始まりました。対外戦争や内戦に悩まされながらも、ミハイルとその息子アレクセイの時代に帝政の基盤固めと西洋化が進みます。

その後、ロシアの専制国家体制を確立したピョートル1世の治世には、首都がモスクワからサンクトペテルブルクに移りました。ロシアは北方で最強の国家となり、ヨーロッパ列強国の仲間入りを果たします。

初代ロシア皇帝ピョートル1世

帝政の基礎が安定し、ピョートル1世がインペラートルの称号を得た1721年以降のロマノフ朝はロシア帝国と呼ばれました。

帝政ロシアによる南下政策

ピョートル1世以降、年間を通して凍結しない不凍港の獲得を目指し、ロシア帝国は南下政策に乗り出します。海洋進出を図るロシア対して地政学的な脅威を感じたのがヨーロッパ諸国でした。

ロシアの影響が強く及んだ東ヨーロッパの地図

黒海を狙うロシアはエジプト・トルコ戦争にてオスマン帝国を支援しますが、イギリスの介入により挫折。続いて1853年にはクリミア戦争でオスマン帝国と直接対決を試みますが、オスマン帝国をヨーロッパ諸国が支持し、再び失敗に終わります。

その後の露土戦争ではロシアがオスマン帝国に勝利し、サン・ステファノ条約を結んでバルカン半島を獲得しました。ヨーロッパ列強の圧力により条約は破棄されますが、第一次世界大戦に繋がる火種がバルカン半島内で燻り始めることになります。

1904年 ‐ 「日露戦争」

1904年に満州と朝鮮半島の権益を争う大日本帝国とロシア帝国による日露戦争が起こります。この戦争の原因もロシアの南下政策にありました。

1891年にシベリア鉄道が開通されると、ロシアは南下政策の一環として太平洋を目指し、満州への進出を図ります。ロシアと対立が深まる日本はイギリスと軍事同盟を締結しました。

最終的にロシアは敗北し、アメリカの仲介でポーツマス条約を締結。実はロシア国内では民衆の帝政に対する不満が増大し、首都サンクトペテルブルクでは「血の日曜日事件」が発生していたため、戦争継続は困難な状況にありました。

1917年 ‐ 「ロシア革命」

連合国軍側として第一次世界大戦に参戦していたロシア帝国でしたが、長引く戦争に疲弊した民衆の不満が高まり、1917年に2度に渡る革命が国内で起こります。

2月革命で戦争反対や専制君主制打倒の声が高まり、デモやストライキ、兵士による反乱が起こりました。ロシア最後の皇帝ニコライ2世が退位すると、ロマノフ朝による帝政は終焉を迎えます。

ロシア帝国最後の皇帝ニコライ2世

10月には社会主義左派勢力ボリシェヴィキによって2度目の革命が引き起こされ、2月革命後より置かれていた臨時政府のメンバーが逮捕されました。その結果、労働者・農民・兵士の評議会であるソビエトに権力が集中することになります。

1922年 ‐ 「ソビエト社会主義共和国連邦が成立」

10月革命後に起きたロシア内戦が終結すると、1922年に史上初の社会主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦が誕生しました。

1924年に初代指導者であったレーニンが死去すると、スターリンが政権を握ります。スターリンは世界革命を目指したレーニンの方針から転換し、一国社会主義論を主張しました。その際に、反対派を徹底的に排除しています。1928年に始まった第一次五カ年計画では、重工業に重点を置く工業化と農業の集団化を目指しました。

しかし、ソビエト連邦は非民主的な一党独裁国家であり、これらの政策は全て独裁者スターリンによって敷かれた恐怖の下に行われていました。

1939年 ‐ 「第二次世界大戦」

1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発します。開戦当初、ソビエト連邦は枢軸国であるナチス・ドイツと独ソ不可侵条約を、大日本帝国とは日ソ中立条約を結んでいました。

ナチス・ドイツとソビエト連邦の間で結ばれた独ソ不可侵条約

しかし1941年にドイツがバルバロッサ作戦を発動し、ソビエト連邦に侵攻を開始。ソビエト連邦は連合国側として第二次世界大戦に参戦することになりました。日本に対しては1945年に一方的に不可侵条約を破棄し、侵攻を開始します。

最終的に戦勝国となったソビエト連邦でしたが、ソビエト連邦は民間人を含めると2000万~3000万人の死者を出したとされています。これは第二次世界大戦における全ての交戦国の中で最も多くの死傷者数です。

1945年 ‐ 「米ソ冷戦の始まり」

1945年に第二次世界大戦が終わると、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営とアメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営の対立が激化します。

2大国の対立構造は世界に大きな影響を与えます。ソビエト連邦の核開発によって互いの緊張はさらに高まり、一時は核戦争寸前の状態にまで対立は深まりました。

東西のユーラシア大陸に影響力を持つソビエト連邦とアメリカが対立していく中で、アメリカと日本が軍事同盟を結んだ結果、敗戦国であった日本の再軍備が開始されます。

1991年 ‐ 「ソ連崩壊」

1991年、ソビエト連邦最後の最高指導者ミハイル・ゴルバチョフが辞任を表明したことによってソビエト連邦共産党が解散。長くアメリカと争ってきたソビエト連邦が崩壊を迎えます。

レーガン大統領とゴルバチョフ書記長の会談

これによりアメリカ合衆国が名実ともに世界で唯一の超大国となり、消滅したソビエト連邦はロシア連邦に生まれ変わります。

また、それまでソビエト連邦を構成していた国々が独立し、それぞれの国家が別々の外交政策を採り始めました。この出来事をもって米ソ冷戦は終結します。

ロシア歴史に関するまとめ

今回はロシアの歴史について解説しました。

ユーラシア大陸北部に位置し、東西に渡って広がるロシア。しかしその長い国境線は、ロシアが常に周辺諸国の脅威に晒されていることを意味していました。

この記事ではロシアの特徴や歴史について紹介しましたが、宗教や民族、文化などについて詳しく調べてみるのも面白いかもしれません。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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