アングロサクソン人の歴史上重要な出来事
アングロサクソン七王国の建国
ブリテン島に上陸したアングロサクソン人は先住のケルト文化を駆逐し、島の南部から中部にかけてノーサンブリア王国、マーシア王国、イースト・アングリア王国、エセックス王国、ウェセックス王国、ケント王国、サセックス王国の7つの王国を建国します。
その他にもアングロサクソン人によって建てられた多くの小国がありましたが、覇権を広げて七王国時代を築いたのはこの7つの大国でした。
後にウェセックス王国のエグバート王がアングロサクソン諸国の覇権を握り、イングランド王国の基礎を造り上げることになります。
ノルマン・コンクエスト
ノルマンコンクエストとは、ノルマン人によるイングランドの侵略のことを指します。1066年、ノルマン人がフランスに建てたノルマンディー公国のギヨーム2世が王位継承権を主張し、イングランド王国に侵攻しました。
勝利したギョーム2世は、イングランド王ウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を開きます。実はこのノルマン・コンクエスト以降、イギリスが外国勢力によって侵略されたことは1度もありません。
また、ノルマン人もアングロサクソン人と同様にゲルマン民族の一派であり、文化的に近かったという共通点がありました。
アングロサクソン人の歴史年表
5世紀 ‐ 「グレートブリテン島を征服」
ユーラシア大陸の西端に位置するヨーロッパの中でも、ドイツ北部やユトランド半島に住んでいたゲルマン系民族がアングロサクソン人です。
アングロサクソン人は5世紀に海を渡り、ケルト系ブリトン人が住んでいたグレートブリテン島を支配し、ケルト文化を駆逐します。アングロサクソン人を構成する民族の1つであるアングル人は、後に成立するイングランドの語源になりました。
彼らが使用していた低地ドイツ語から派生した言語が英語の基礎となり、その英語がイングランド発祥の言語として、後の時代にイギリスの世界進出と共に世界へ拡散していきます。
7世紀 ‐ 「アングロサクソン七王国の建国」
ブリテン島に入植したアングロサクソン人は、島の南部から中部にかけて数多くの国を建国しました。その中でも特に覇権を広げた7つの大国は、アングロサクソン七王国と呼ばれています。
元々ゲルマン民族は多神教信仰が主流で、七王国時代の初期の王もみな多神教を信仰していました。その中で、七王国の1つであるジュート人が建てたケント王国は、ブリテン島で最も早くにローマ系キリスト教を受け入れます。
アイルランドから伝播したとされるケルト系キリスト教も国内にありましたが、カトリックの影響力に太刀打ちできず、徐々に衰退していきました。
927年 ‐ 「イングランド王国の成立」
827年、アングロサクソン七王国の1つであるウェセックス王国のエグバート王が、アングロサクソン諸国の覇権を握り、覇王を意味するブレトワルダの称号を手にします。
そして、ちょうど100年後の927年、ウェセックス王国の王であるアゼルスタンがイングランド全土統一を成し遂げ、イングランド王国が成立しました。
最初のイングランド王はエグバート王であると言われることもありますが、エグバート王の称号はあくまでブレトワルダであり、初代イングランド王はアゼルスタンであるという見方が多いです。
1066年 ‐ 「ノルマン・コンクエスト」
1066年、ノルマン人であるノルマンディー公国のギヨーム2世が、ウェセックス朝イングランドの後継者争いで王位継承権を主張し、ブリテン島に攻め込みました。
後継者争いに勝利したギヨーム2世は、イングランド王ウィリアム1世として戴冠し、ノルマン朝が始まります。
フランス王の封建臣下であったノルマンディー公がイングランド王を兼ねたことでフランス王より強大な力を持ちます。その結果、両者の争いは激化し、後に勃発する百年戦争へと繋がります。
アングロサクソン人に関するまとめ
今回はアングロサクソン人について解説しました。
アングロサクソン人によって建国されたイングランドの支配は、ノルマン人に取って代わられてしまいましたが、その系譜は血統的には薄くなりながらも現代まで続いているのです。
この記事ではアングロサクソン人の特徴や歴史について紹介しましたが、彼らの子孫が後世においてどのような歴史を築いたのか詳しく調べてみるのも面白いかもしれません。
それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。