万里の長城の都市伝説
万里の長城にまつわる伝説として、中国の人々によく知られているのは孟姜女の伝説です。夫への深い愛情を感じられる伝説ですが、実はその裏には無理な労働への庶民の怒りや、人柱に頼るしかない危険な工事への恐れなどが隠されているようで、単なる伝説として見過ごせないものがあります。
孟姜女の伝説が形を変えていくつも残っているため、余計にそう感じられるのかもしれません。
長城工事で夫を亡くした女性「孟姜女」
秦の始皇帝の時代、夫が万里の長城の工事に動員されてしまった妻。名前を孟姜女(もうきょうじょ)と言いました。彼女は北の方の工事で寒いだろうと、夫に冬服を届けるために工事現場に向かいましたが、到着した時にはすでに夫は亡くなっていました。
悲しみのあまり泣き叫んでいると、城壁の中に埋められていた夫の遺体が出てきたという内容が現在でも伝説として語り継がれています。
万里の長城の山海関には孟姜女を祀った孟姜女廟がありますが、伝説自体は中国各地に残っており、話にもいくつかバリエーションがあります。孟姜女の美しさに始皇帝が心を奪われ、結婚を申し込むが、彼女は夫を始皇帝に弔わせた後に自殺をしてしまう、などという結末がプラスされているものもあります。
自殺の前には、孟姜女は始皇帝を批判していたようですから、無理な労働に駆り出された民衆の行き場のない怒りの気持ちがこの伝説には残っているのでしょう。
実は人柱だった?孟姜女の夫
万里の長城を作るためには1里につき、1人を神様への生贄として生き埋めにする必要があったという伝説も残っています。先程の孟姜女の夫は単なる工事要員ではなく、人柱にするために連れて行かれたのではないかという説もあります。
万里の長城のような大きな建造物が無事に完成した後も、災害などで壊れないように神にお願いするために、人間を生きたまま埋めて供え物にする風習は、かつては日本にもあったそうです。このことを人柱と言いました。
孟姜女の夫には不思議な力があり、人柱としては普通の人間の1万人分に当たっため、連れて行かれたということです。これらの伝説をあらためて見直すと、万里の長城建設の大変さが伝わってきて、胸が苦しくなるような気がします。
万里の長城が作られた理由
多くの人々の犠牲の上に作られた長城。しかし、その犠牲があっても、長城が必要な理由がありました。歴史とともに、国を守りたいという思いが高まり、長城を進化させていきます。
長城は人々の暮らしを守るだけでなく、交易を通じて豊かにしたのです。
異民族の侵攻を防ぐため
中国ではかつて北方から異民族が侵入してくるのを大変恐れていました。長城建設はこの侵入を防ぐためでした。
この異民族とは、紀元前4~5世紀頃に中国の北にあるモンゴル高原などで勢力を奮っていた遊牧民族のことで、匈奴(きょうど)と呼ばれていました。
現在残されている明の時代のものより以前の長城はもっと北にありましたが、それは中国が遊牧民族に対して優位に立ち、北方に向けて領土を拡大しようとしていたからです。
それに対して明の時代には領土の拡大よりも、国土を守りたいという気持ちの方が強かったために、長城の位置は南へと移動しました。
侵攻は困る!だけど貿易はしたい
農耕民族の中国人にとって、遊牧民族は警戒する対象でしたが、その生産物は魅力的でした。そして事情は遊牧民族にとっても同じでした。
このため戦いがないときは貿易をする必要があり、万里の長城は交易の場となっていました。
交易が思う通りに行かないと遊牧民族は威嚇として、長城から中国国内に侵入することがありました。特に国力が弱まるとその回数が増えたということです。
戦があるときも、そうでないときも万里の長城はお互いの境界線として機能していたのです。
とてもわかりやすかったですこれで授業に役立ちそうですありがとうございました。
すごいですね
考えた人は凄い人ですね
コメントありがとうございます!本当にその通りですね!^^