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万里の長城とは?いつ、どこで、誰が作った?【長さ、歴史、目的などをすべて解説】

万里の長城の歴史

2200年以上の歴史を振り返ってみよう

歴史とともに変化した長城。放置されていた時代もありましたが、人気の観光地となった現代では、新たな課題も出てきました。長い歴史を振り返り、古の人々の苦労を思うことで、自ずとこれからどうしたら良いかがわかるのではないでしょうか。

最初は各国で長城を作っていた

紀元前260年ころの中国の様子
それぞれの国で長城を作っていた

秦の始皇帝が万里の長城を1つにまとめる以前、春秋時代(紀元前771年から紀元前5世紀)には小さな国が数多く存在しました。

それが戦国時代(紀元前5世紀から紀元前221年)には7つの国にまとまり、それぞれ防衛のために長城を作りました。北方に面していない国も国境に長城を作っていましたが、秦が中国を1つの国に統一したために、北方に面している長城以外は必要なくなったのです。

そのため始皇帝は不要になった長城は壊し、北方の長城を修復、さらに延長しました。完成は紀元前214年のことでした。

長城を修復延長した人がいた

前漢の第7代皇帝・武帝は領土を大きく拡大しようとした

秦が崩壊した後は、遊牧民族が猛威を振るうようになりました。長城は修理をする程度で現状維持されていましたが、前漢の武帝の時代に大きく状況が変わります。

武帝は領土を大きく拡大。その領土を守るために長城を延長したのです。河套平原(かとうへいげん)を占領して耕地を確保した後は、オアシス都市群を占領、そして河西回廊を獲得して西の国々へのルートも確保。こうして広大な砂漠と草原が漢の領土になり、これを守るために長城がさらに建設されました。完成は紀元前100年のことでした。

武帝の時代に長城は2万里を越えました。漢の時代の長城は、すべての時代の長城の中でももっとも長かったと言われています。

荒廃と復活、そして現代も残る長城へ

明の永楽帝・この人が首都を南京から北京に移した

こうして武帝により復活した長城でしたが、後漢の頃(西暦25年)には再び荒廃。遊牧民族の勢力が強くなり、三国時代(西暦184年から280年頃・三国志でおなじみの時代)や五胡十六国時代(西暦304年から439年)にかけて事実上長城の防衛は放棄されてしまいました。

この後、金(1115年から1234年)の時代には国境を守ることの重要さが見直され、明(1368年から1644年)の時代になってからは、首都を南京から北京に移したことで、再び北方を警戒する必要が出てきました。

明の時代の中で長城は土壁の低いものから、レンガ造りの高くて丈夫なものへと進化をしていきます。現在も私たちが見ることができる万里の長城は、明の時代に作られたものなのです。

現代の長城

今でも万里の長城は人気の観光地だ

誰もが1度は行きたいと願うのが万里の長城です。長い歴史と壮大なスケールで、中国だけではなく、世界中の人々を魅了しています。

中国でもっとも有名な政治家・毛沢東は「万里の長城に登らなくては、男ではない」という意味のことを言いました。このため、現在でも中国の人々は、万里の長城に登って初めて一人前になると考えているようです。

世界遺産に登録された万里の長城

北京市内から八達嶺長城まではツアーバスが使われることが多い

1987年、万里の長城のうちの八達嶺長城、山海関、嘉峪関の3箇所が世界遺産に登録されました。

八達嶺長城(はったつれいちょうじょう)は万里の長城の中でもっとも有名な観光地です。北京市から60kmと近いために、多くの観光客が訪れています。

山海関(さんかいかん)は、中国北部地方である華北と東北の境界となっています。かつては山海関の老龍頭(ろうりゅうとう)が長城の東端だと考えられていました。また、山海関の西側を関内、東側の満州を関東や関外と言いました。かつて日本が統治していた満州を関東州、駐留させた軍隊を関東軍と言ったことの由来となっています。

嘉峪関(かよくかん)は長城のもっとも西にあり、一部はゴビ砂漠を横切って建っています。嘉峪関は建設当時の姿のままで現在も残っているため、歴史が感じられる場所でもあります。また、シルクロードの交通の要所でもあり、近辺には有名な史跡が残っています。

このように、それぞれ見どころがたくさんある万里の長城ですが、観光客が多いことで問題も起こっています。

長すぎて困難!保護と修復作業

保護されていない野長城は見るからに危険そうだ

万里の長城は中国政府によって、歴史的な文化財として保護されています。しかし、あまりにも長すぎるためにその保護が行き届いているとは言えません。

すべてが観光用に整備されているわけではないため、経年劣化が進むに任せている場所もたくさんあります。整備されていない長城を野長城と言い、最近ではこれに風情を感じる人も多いようです。しかし、整備されていない野長城は危険で、入り込んだ観光客が遭難、死亡する事故も起きています。

また、地元住民が長城のレンガを建築資材として使ったり、貴重品として販売したりすることで破壊が進んでいる箇所、ダム工事で水没したり、道路建設で分断されたりしている箇所もあります。

長城を破壊した者には罰則があるにも関わらず、長城の破壊は確実に進行している状態です。中国の保護と観光客の心構えの両方が大切ではないでしょうか。

万里の長城に関するまとめ

万里の長城とは何なのかをできるだけ詳しく説明してきました。長い歴史の中では、放置され、忘れられている時代があったのは意外でした。

しかし、それでも現在、私たちが万里の長城を実際に訪ねることができるのは、中国政府が保護をしていくれているおかげです。それに感謝して、古い長城を労る気持ちを忘れずに、古の人たちが残してくれた大きな遺産を眺めてみたいですね。

機械も何もなかった時代に、人の手と目をフルに使って作られた長城を眺めるだけで、私たちはたくさんのことを学べるのではないでしょうか。

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4 COMMENTS

SK_KH

とてもわかりやすかったですこれで授業に役立ちそうですありがとうございました。

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