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アルバートフィッシュとはどんな人?起こした事件や結末、生涯を紹介

アルバート・フィッシュは19世紀のアメリカの猟奇殺人者です。犯行は異常かつ残忍であり、当時のアメリカを震撼させました。シリアルキラーであり、正確な人数は分からないけれども本人の自供では400人といわれています。その異常さからついた別名は「満月の狂人」「グレイマン」「ブルックリンの吸血鬼」といわれている人物です。

アルバート・フィッシュ

「彼を超える異常性癖者はみたことがない」といわれる程の、アメリカ犯罪史上最悪の殺人犯といわれています。犯罪経歴、詳細を見ていると残酷な内容が多く、見るに堪えない内容ばかりです。しかし今後、「満月の狂人」がまた現れないために、どうして狂人が現れたのか目を向けることも必要と感じます。

今から残酷な内容の記事が続きますが、今後「満月の狂人」が現れないようにどうして狂人が生まれたかを解説していきます。

アルバート・フィッシュとはどんな人物か

名前アルバート・ハミルトン・フィッシュ
誕生日1870年5月19日
没日1936年1月16日
生地アメリカ合衆国 ワシントンD.C
没地アメリカ合衆国 ニューヨーク州
犠牲者数正確な数は不明
犯行期間1910年~1934年
死因電気椅子での処刑による刑死

彼が起こした数々の事件とは?

注意!

今から「満月の狂人」の犯罪内容を綴っていきたいと思います。非常に残酷な内容が続きます。苦手な方はご注意の上、次の項目を読むことや、年表を読むなど自衛をお願いします。

アルバート・フィッシュは、数ある犯罪者の中でも特に「倒錯した人物」と評されることが多い人物です。余りにも性癖が異常な為、世間を震撼させることとなりました。被害者は特に多かったのは6歳以下の子供だったといいます。

彼は1934年に逮捕された時に自供した数は「400人以上の子供を殺した」と自供したそうです。余りに数が多いですが、それでも15人は殺害したことは間違いないといわれています。彼の多くの残虐行為を全て記すのは難しいため、代表的な3件を紹介したいと思います。以下詳細を明記していきたいと思います。

第1の犠牲者「トーマス・ケッデン」

男性の性器を切除という異常性癖を持っていた

1910年、アルバート・フィッシュがまだ結婚生活を続けていた時に起こした事件です。フィッシュは、当時19歳だったトーマス・ケッデンという少年を殺害しました。ケッデンは知能に障害があったといいます。

フィッシュはケッデンを農家の小屋に連れ込むと、そこで2週間、拷問を加え続けます。最終的にフィッシュは、ケッデンを拘束した上で性器を切り落とすという凶行に及びました。殺害後、腐敗臭を防ぐために傷口に過酸化物を塗布すると、切断した性器と10ドル札だけを持ってその場を後にしたといいます。

第2の犠牲者「ビリー・ガフニ―」

親は言うことを聞かない子供に「ブギーマンに連れていかれるよ」と脅すといわれています

1927年に起こった事件です。犠牲者となったビリー・ガフニーは当時4歳で、ブルックリンのアパートで友達2人と遊んでいた時に、伝説上の怪人である「ブギーマン」にさらわれたといわれました。逮捕後にアルバート・フィッシュはこの事件に自身の弁護士に対し、異常な手紙の内容を送っています。内容は以下の通りです。

「私は坊やの裸のお尻を、血が流れるまで鞭で叩きました。そして、耳と鼻を削ぎ落し、口の両側を耳まで切り裂き、目玉をくり抜きました。その時はもう、坊やは死んでいました。好きな部分の肉は家に持って帰りました。まず耳と鼻と顔や腹から削いだ肉をシチューで作りました。たまねぎとニンジンとカブとセロリを入れて、塩と胡椒で味付けしました。なかなかいい味でした。」

食人の様子を赤裸々に記す異常さが分かる

4歳の男の子に対する犯罪の残虐さに、アメリカ国民は驚愕しました。この時には既に食人を行っていたことが分かります。この事件の被害者ガフニーの遺体は見つかっていません。

第3の犠牲者「グレース・バッド」

グレース・バッド

1928年の事件です。アルバート・フィッシュは犠牲者となった当時10歳のグレース・バッドを自宅から連れ出します。フィッシュはエドワード・バッドが新聞に掲載した求人広告をたどってバッド家を訪れます。そしてグレースを家からうまく連れ出したフィッシュは彼女を殺害し、食人に及びました。

この事件は犯行から解決まで2年かかっています。そのため、バッド家の人間が疑われたりしたといわれています。しかし犯人から送られてきた異常な手紙で遂にアルバート・フィッシュが逮捕されることになるのです。

第3の犠牲者バッド家に送られてきた異常な手紙

1934年偽名でバッド夫人に手紙を送っていた

1934年グレース・バッドの事件は手がかりがないまま6年が過ぎていました。そんな時に、バッド夫人は不気味な手紙を受け取ったのです。内容は要約すると、

「1928年、私はカッテージチーズを持ってあなたのお宅を訪ねました。私たちが一緒に昼食をとっていると、グレースが膝の上に乗り、私にキスをしました。その時、私は彼女の肉を食べてみようと決めたのです。パーティーと偽って彼女を連れ出そうとしました。あなたは行ってもいいと言いました。」

手紙には「NYPCBA」の刻印が記されていたという

と書かれておりこの後は、犯行の詳細と人肉の感想が綴られていました。手紙の内容は犯人しか知らない「カッテージチーズ」が書かれており、夫人はすぐに警察に通報しました。手紙の入っていた封筒の折り返しにインクで消された刻印を発見し、分光器にかけると「NYPCBA」と読めたといいます。これは「ニューヨーク顧客専属運転手共済組合」のことでした。

組合に封筒を私用で持ち出した者はいないか訊ねると、何枚かを西52丁目200番地のアパートに置いてきたという情報があったため、現地に出向きこれにより「満月の狂人」アルバート・フィッシュは逮捕されたのです。

アルバート・フィッシュの生涯をハイライト

父は鬱病を患い、母と兄も精神疾患があったという

1870年、ワシントン・D・Cでハミルトン・フィッシュとして生を受けました。フィッシュ家は代々精神疾患者が多く父は鬱病であり、母は幻覚をよく見る上に兄は精神薄弱者であったといいます。そして、伯父も鬱病を抱えており、親族の中で少なくとも2人は精神病院で死亡したといわれています。アルバート・フィッシュが生まれた時父は75歳と高齢で母と43歳も離れていました。

5歳の時にフィッシュは、父の死により孤児院に預けられここで成長しました。この孤児院時代の懲罰に「鞭打ち」があり、お尻を出して鞭で叩かれることに快感を覚えていたといいます。このころ自分だけが、鞭打ちを楽しみにする子供だったと後年回想しています。

アルバート・フィッシュは結婚をしても異常性癖は治らなかった

1898年9歳年下の女性と結婚し、6人の子供をもうけています。フィッシュの息子の回想によると、父親にぶたれたこともなく至って普通の家庭だったといいます。しかし子供に釘がついた板を渡して、お尻をぶたせていたと証言しています。子供がどうしてかを問うと、「これによってキリストの受難を味わっている」と語っていたといいます。1910年に最初の殺人を犯したと供述しており、結婚中のことでした。

この頃のアルバート・フィッシュは「物静かで熱心なクリスチャン」で模範的な市民であったといいます。しかしその裏では貧民街の子供たちにわいせつ行為をしたり、1902年には800ドルを盗んで逮捕されおり2年服役しています。

離婚すると異常性が増しシリアルキラー化を加速させた

1911年に19年連れ添った妻の浮気を理由に離婚しています。その後は塗装工をしながら全米を放浪したといいます。この時にますますシリアルキラー化していき、23州で殺人を犯したと後に自供しています。そして被害者への手紙が元で逮捕され、1935年に死刑判決を受けました。翌年に死刑が執行され、65歳で生涯を終えました。

「満月の狂人」はなぜ殺人を犯すようになったのか

満月に犯行に及ぶことが多く付いた異名だった

アルバート・フィッシュは、満月の時に犯行に及ぶことが多かったため「満月の狂人」と呼ばれました。また肉を食べる目的で殺害をしたことから、「ブルックリンの吸血鬼」という異名も持っています。この異常な殺人鬼は自分の欲望を満たすために、殺人を犯していったと考えられています。

大きく作用してる精神的倒錯部分は「マゾヒズム」「サディスティック」「食人」「排泄物の飲食」「同性愛」「少児愛好」などがあげられます。驚くべき数ですが、それを全て持ち合わせていた怪物がアルバート・フィッシュだったのです。異常性癖の詳細を以下紹介していきたいと思います。

異常なマゾサド思考

残酷表現・残酷な写真が続きます。ご注意ください。

アルバート・フィッシュは異常といわれるほどの、「マゾヒズム」であり、「サディスティック」でした。逮捕後警察が耳にしたとこは、信じられないような内容だったのです。

マゾヒズムな行動内容

針が刺さったままのアルバート・フィッシュの陰嚢のレントゲン写真

アルバート・フィッシュは異常な「マゾヒズム」でした。その内容は、自身の肉体に痛みを与えることにより快感を覚えるというものでした。それ故に自分の子供に釘が打ち付けてある板でお尻をぶたれたりしていましたが、特に象徴的なエピソードが、自分の陰嚢に針を打ち込んでいたといいます。

最初はすぐ引き抜いていたそうですが、徐々に取り出しが不可能なほど深く打ち込むようになったといいます。こうした自傷行為を逮捕されるまで継続していました。そして、逮捕時に証拠として提出されたレントゲン写真によれば、彼の陰嚢には大量の針が刺さったままになっていたのです。その数は29本といわれています。

火が付いた綿球を肛門に挿入するという異常行為を行っていた

そして陰嚢に針を打つという行為では飽き足らず、オイルを染み込ませた綿球を肛門に挿入し、それに火を着けるという異常な行為を行っていたといいます。これによってアルバート・フィッシュは、直腸が焼けるような感覚に酔いしれていたのです。

サディスティックな行動内容

アルバート・フィッシュは被害者に拷問を繰り返していた

アルバート・フィッシュはさらに、非常な「サディスティック」でした。内容は、子供を残虐な行為で苦しめ、泣きわめく姿に異常な興奮を覚えていたと言います。こうした拷問行為については彼自身が「犠牲者の悲鳴やその姿が忘れられない」と発言していたといいます。

その犯行供述は残酷極まりなく、幾多の事情聴取に慣れていた警察官も驚くものでした。前述した被害者への残酷な拷問を大人から子供まで繰り返していたのです。その様子を見て性的に興奮する犯人の異常性は他の犯罪者と比べてみても、余りにも異常かつ残酷なものだったのです。

カニバリズム(食人)に代表する異常な性癖

食人嗜好は兄の戦争での目撃談から影響されたといわれている

アルバート・フィッシュは、殺害した被害者の肉を食べるという恐ろしい習慣がありました。殺害の動機が被害者を殺害する目的ではなく、人肉を食すことが目的だったということも恐ろしい猟奇性を表しています。

こうした食人思考は、兄の影響が関係しているといいます。フィッシュが孤児院から帰ってきた時に、彼の兄も軍隊を除隊し家に帰ってきました。そこで兄は、フィッシュに戦場で食人を目撃した話をしたそうです。この話を聞き、殺害をした後に調理して人肉を食すようになったといわれています。

食糞と飲尿も行っていた

食糞・飲尿も行っていたという

アルバート・フィッシュは、排泄物を食べるという性癖も持っていました。きっかけは12歳の時に知り合った電報配達をしている少年が、食糞と飲尿をすることに性的な興奮を覚えるという異常性癖の持ち主だったそうです。その少年の影響を受けて、自身も排泄物を口にする行為に快感を覚えるようになっていったといいます。

同性愛者でもあった

サウナで少年を誘い強姦していたという

孤児院を出たアルバート・フィッシュは、19歳の時に家族と一緒にニューヨークに移住します。そこで彼は、男性の裸を覗き見ることを目的としてサウナに入り浸るようなったといいます。さらにそれだけでは飽き足らず、次第にサウナに来た少年たちを言葉巧みに誘い、強姦するようになったといいわれています。

何故犯行がすぐ明らかにならなかったのか

恐ろしい事にこの異常者は24年もの間犯罪を繰り返していた

彼は24年という四半世紀犯行を繰り返していました。なぜこんなにも被害が拡大してしまうことになったのか。理由として考えられるのは以下となります。

容姿は紳士的だった

アルバート・フィッシュは容姿を最大限に利用した

被害が拡大した背景に、彼の容姿が関係していたといいます。彼の風貌は老紳士と言う言葉がぴったりで、真っ先に子供を預けたくなるとも称されるほど殺人と無縁そうな風貌でした。アルバート・フィッシュは自分の容姿を活かし、被害者を誘い出し強姦したり殺害したりしていたのです。

貧民層をターゲットとしていた

アルバート・フィッシュは黒人の貧民層をターゲットにしていた

アルバート・フィッシュの犯罪がなかなか表ざたにならなかった理由に、彼が貧民層をターゲットにしていたからといわれています。犠牲者の多くは黒人の貧しい家の出身であり、貧しい黒人たちはフィッシュの犯罪に対して十分な行動が出来る見込みは薄かったといいます。

そういったアメリカの当時の格差社会も、殺人鬼が長らくのさばり続けた原因といえるのではないでしょうか。

アルバート・フィッシュの裁判の様子

裁判はアルバート・フィッシュが精神疾患の責任能力が争点となった

1935年に開かれた公判で、フレデリック・ワーサム博士は精神異常としてアルバート・フィッシュを弁護しました。そしてフィッシュ自身は、子供を殺す旨を神から啓示で聞いたと主張したといいます。幾人かの精神科医は糞性愛、尿性愛、ペドフィリア、マゾヒズムなどの多くの彼の持つ嗜好を主張しました。それらの活動により責任能力の有無が争点となったのです。

正気であると判断され最終的に死刑判決となりました

被告側主任鑑定人であるワーザム博士は、フィッシュは精神異常であるときっぱり言い切っています。しかし弁護側は、フィッシュの歪んだ性癖は彼自身の気質ではなく、不幸な環境によって作り上げられたものであって、彼も被害者であると主張したのです。しかし、世論の多くはアルバート・フィッシュの死刑を望んでいました。最終的に陪審員は彼の精神喪失を認めず、有罪との評決を下し、裁判官は、アルバート・フィッシュに死刑判決を下しました。

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