英蘭戦争の歴史年表
1623年 – 「アンボイナ事件」
アンボイナ事件とは、オランダ領東インドにあるモルッカ諸島アンボイナ島で、1623年にオランダが起こしたイギリス東インド会社商館襲撃事件です。商館員が全員殺害されたことから、アンボイナの虐殺とも呼ばれています。
この事件によりイギリス勢力は東アジア、東南アジアから締め出されます。東アジア、東南アジアの支配力を強めたオランダは、香辛料貿易の中心となり、ヨーロッパにおける海上覇権を握りました。
一方、撤退したイギリスはその矛先をインドに向けますが、国内では反オランダ感情が高まり始めることになります。
1651年 – 「航海法の制定」
航海法とは、1651年にイングランド共和国にて制定された法律です。その内容は、イギリスおよびイギリスの植民地以外の船の入港を認めないというものでした。
実はこの条例を発布した真意はオランダ商人による中継貿易を妨害することにありました。保護貿易体制による重商主義政策である航海法の制定によって、イギリスとオランダの対立は決定的なものとなります。
これをきっかけに、ヨーロッパの海上覇権を争う2大国による第一次英蘭戦争が勃発します。
1652年 – 「第一次英蘭戦争」
1652年に勃発した第一次英蘭戦争は、オリバー・クロムウェル率いるイングランド共和国とネーデルラント連邦共和国の間で行われました。
当初はイギリス海峡の制海権が焦点となって争います。この戦争は海戦が中心となっており、両国ともに相手の本土に侵攻することはありませんでした。そのため、どの戦いも中途半端な終わりを迎えることになります。
最終的にイングランド共和国が勝利し、1654年にウェストミンスター条約を締結。オランダがイギリスの航海法を承認し、公海上でのイギリスの優位を認めることになりました。
1665年 – 「第二次英蘭戦争」
1665年から1667年にかけて行われた第二次英蘭戦争は、チャールズ2世率いる王政復古後のイングランド王国が、北アメリカにあるオランダ植民地ニューアムステルダムを占領したことをきっかけに始まります。
しかし、この戦争が始まった頃に、イングランド国内では感染症であるペストの流行やロンドン大火が重なり、財政難も相まって早々に厭戦ムード漂っていました。一方オランダでは、ネーデルラント継承戦争の影響でフランス軍による侵攻が始まっており、対処せざるを得ない状況となっていました。
1667年に締結されたブレダの和約で第二次英蘭戦争は終結。フランスとの対立が深まっていたことから、優勢だったオランダが早期の終結を望んため、イングランド側に譲歩した形となりました。
1672年 – 「第三次英蘭戦争」
1672年に始まった仏蘭戦争において、フランスに協力する形で局地戦として始まったのが第三次英蘭戦争です。
ネーデルラント継承戦争で妨害してきたオランダに対して怒りを覚えたフランスは、イングランドと密約を交わしました。予定通りフランス側で参戦したイングランドはオランダ上陸作戦を計画しましたが、奇襲を受けて失敗。その後も敗北が続きます。
その頃イングランド議会ではフランス重商主義の台頭を恐れ、親仏路線を撤回すべきという声が上がっていました。最終的にイングランドはオランダと和睦を結んで停戦。両国は同盟を結び、国内に溢れる不満の鎮静化を図りました。
1780年 – 「第四次英蘭戦争」
1780年、オランダがアメリカ独立戦争においてアメリカを援助したことから、イギリスと再び対立することになり、第四次英蘭戦争が始まります。
3度にわたる英蘭戦争の後、経済的に大きな成長を遂げたイギリス。それに対し憤りを感じていたオランダでしたが、既に黄金期は終わり、オランダの力はイギリスよりも遥かに弱っていました。
第四次英蘭戦争において、オランダは壊滅的な結果に終わります。経済的にも大打撃を受けたオランダは、自ら自国の衰退を証明したことになりました。17世紀に黄金時代を迎えたオランダでしたが、イギリスに取って代わられることになります。
1824年 – 「英蘭協約」
英蘭協約とは、1824年にイギリスとオランダの間で成立した条約です。
この条約によってオランダの海外領土は大きく縮小し、オランダ領東インド、オランダ領ギニア、商館を設置している日本の出島のみとなりました。
その一方で、イギリスは東南アジアに海峡植民地を設置。新大陸から東アジアにまで影響力を持ったイギリスは、後に世界史上最大面積を誇る大英帝国へと発展していきます。
英蘭戦争に関するまとめ
今回は英蘭戦争について解説しました。
英蘭戦争は、17世紀から18世紀にかけてイギリスとオランダの2大国間によって行われた、ヨーロッパの海上覇権をかけた戦いでした。最終的にはイギリスが覇権を握り、オランダは衰退することになります。
この記事では英蘭戦争の歴史について紹介しましたが、同じ時代にヨーロッパ全体がどのような動きを見せていたかについて詳しく調べてみるのも面白いかもしれません。
それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。