印パ戦争とは?いつどこで起きた?【原因から影響までわかりやすく紹介】

印パ戦争とは、インドとパキスタンの間で3度にわたって行われた戦争です。この時代、世界では米ソ冷戦が起きており、その中でインドやパキスタンは第三世界と呼ばれ、米国とソ連の両陣営に翻弄される立場にありました。

米ソ冷戦の時代

「印パ戦争はいつ起きたの?」
「印パ戦争の原因や歴史を詳しく知りたい!」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、印パ戦争がいつ起きたのか、また、印パ戦争が起こった原因や歴史などについて詳しく紹介していきます。

印パ戦争の原因からその後の影響まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

印パ戦争とは

インドとパキスタンによる戦争

印パ戦争とは、インドとパキスタンの間で起こった戦争です。インドはヒンドゥー教徒、パキスタンはイスラム教徒が多数を占める国家となっています。

インドとパキスタンの分離独立後の地図

かつて両国は、イギリスの植民地であるインド帝国として1つでしたが、1947年に分離独立しました。その後に発生した印パ戦争は、主に国境紛争という形でしたが、問題は現在も解決しておらず、世界に残る不安定要素の1つとして数えられます。

また、両国は中華人民共和国とも国境を接しており、その影響は印パ戦争の原因の1つとなったこともありました。特に中華人民共和国と対立していたソビエト連邦の支援を受けていたインドは、隣接する中華人民共和国の脅威を感じざるを得ない地理にあったのです。

印パ戦争はいつ起きた?

インドとパキスタンの間で行われた印パ戦争は、1948年、1965年、1971年の3度にわたって勃発しました。この時期は冷戦期と被ります。

冷戦期の勢力図(赤=ソ連とその同盟国、青=アメリカとその同盟国、緑=植民地地域、灰色=非同盟諸国)

第一次印パ戦争は、両国がインド帝国から分離独立した直後に始まりました。その後、国際連合による仲裁が入り停戦の合意がされますが、インドと中華人民共和国の関係が悪化する出来事が起こると、その隙を窺っていたパキスタンが攻め込み、第二次印パ戦争に発展してしまいます。

そして、現状最後の全面戦争となっている第三次印パ戦争は1971年に発生しましたが、この時点ですでにインドの国力が勝っており、インドの勝利に終わりました。

印パ戦争はまだ終わっていない?

3度にわたる全面戦争となった印パ戦争でしたが、両国の争いは現在も続いています。

幸い4度目の全面戦争は今のところ回避されていますが、インド国内の都市でイスラム過激派とみられる勢力によるテロ事件が起こるなど、現在も緊張は続いているのです。

2020年現在においても、国境沿いの領土を巡った対立に関するニュースが飛び込んできます。印パ戦争は現状停戦中となっていますが、この両国の対立は世界に燻ぶる火種の1つと言えるでしょう。

パキスタンのイムラン・カーン首相

印パ戦争の原因

カシミール紛争

国境紛争が繰り返されるカシミール地方

印パ戦争が発生した最初の原因は、カシミール地方の帰属問題です。第一次印パ戦争と第二次印パ戦争は、カシミール地方の領有をめぐって両軍が武力衝突しました。カシミール地方とは、インド北部とパキスタン北東部の国境に位置する地域です。

1947年にインドとパキスタンが分離独立した後、イギリスの支配下において自治権を保有していた藩王国は、両国のどちらかに帰属することになりました。しかし、カシミール地方を支配していたカシミール藩王国で1つの問題が発生します。藩王ハリ・シングはヒンドゥー教徒でしたが、民衆の多くはイスラム教徒だったのです。

カシミール藩王国の君主ハリ・シング

独立を望んだ藩王ハリ・シングに対して、パキスタンへの帰属を求めた民衆は暴動を起こします。そこへ、イスラム教徒の民兵がパキスタンから進入。これに対抗するためにハリ・シングがインドへ武力介入を要請した結果、第一次印パ戦争に発展しました。その後、1965年に勃発した第二次印パ戦争においても、カシミール地方の領有権を巡った両国の対立が発生の原因となります。

カシミール地方は、印パ戦争を含む様々な規模の衝突が巻き起こった舞台となりました。この地の緊張状態は現在も続いています。

バングラデシュの独立

パキスタンから独立したバングラデシュ

東パキスタンによる独立運動が第三次印パ戦争の原因となりました。独立運動へ軍事介入したインドが西パキスタンに勝利した後に、東パキスタンはバングラデシュとして独立することになります。

当時東西に領土が分かれていたパキスタンでしたが、政治実権を掌握していたのは西パキスタンであり、東パキスタンの民衆の間では反発する声が高まっていました。その後、東パキスタンで独立運動が始まりましたが、西パキスタンは軍隊を動員して東パキスタンの独立運動を抑え込もうとします。

この影響を受けて多くの難民が発生し、東パキスタンからインドへと流れ込んできました。難民を抱えきれなくなったインドが東パキスタン独立のために軍事介入した結果、全面戦争に発展して第三次印パ戦争となりました。この戦争の後に、東パキスタンはバングラデシュとして独立します。

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