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印パ戦争とは?いつどこで起きた?【原因から影響までわかりやすく紹介】

印パ戦争とは、インドとパキスタンの間で3度にわたって行われた戦争です。この時代、世界では米ソ冷戦が起きており、その中でインドやパキスタンは第三世界と呼ばれ、米国とソ連の両陣営に翻弄される立場にありました。

米ソ冷戦の時代

「印パ戦争はいつ起きたの?」
「印パ戦争の原因や歴史を詳しく知りたい!」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、印パ戦争がいつ起きたのか、また、印パ戦争が起こった原因や歴史などについて詳しく紹介していきます。

印パ戦争の原因からその後の影響まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。

印パ戦争とは

インドとパキスタンによる戦争

印パ戦争とは、インドとパキスタンの間で起こった戦争です。インドはヒンドゥー教徒、パキスタンはイスラム教徒が多数を占める国家となっています。

インドとパキスタンの分離独立後の地図

かつて両国は、イギリスの植民地であるインド帝国として1つでしたが、1947年に分離独立しました。その後に発生した印パ戦争は、主に国境紛争という形でしたが、問題は現在も解決しておらず、世界に残る不安定要素の1つとして数えられます。

また、両国は中華人民共和国とも国境を接しており、その影響は印パ戦争の原因の1つとなったこともありました。特に中華人民共和国と対立していたソビエト連邦の支援を受けていたインドは、隣接する中華人民共和国の脅威を感じざるを得ない地理にあったのです。

印パ戦争はいつ起きた?

インドとパキスタンの間で行われた印パ戦争は、1948年、1965年、1971年の3度にわたって勃発しました。この時期は冷戦期と被ります。

冷戦期の勢力図(赤=ソ連とその同盟国、青=アメリカとその同盟国、緑=植民地地域、灰色=非同盟諸国)

第一次印パ戦争は、両国がインド帝国から分離独立した直後に始まりました。その後、国際連合による仲裁が入り停戦の合意がされますが、インドと中華人民共和国の関係が悪化する出来事が起こると、その隙を窺っていたパキスタンが攻め込み、第二次印パ戦争に発展してしまいます。

そして、現状最後の全面戦争となっている第三次印パ戦争は1971年に発生しましたが、この時点ですでにインドの国力が勝っており、インドの勝利に終わりました。

印パ戦争はまだ終わっていない?

3度にわたる全面戦争となった印パ戦争でしたが、両国の争いは現在も続いています。

幸い4度目の全面戦争は今のところ回避されていますが、インド国内の都市でイスラム過激派とみられる勢力によるテロ事件が起こるなど、現在も緊張は続いているのです。

2020年現在においても、国境沿いの領土を巡った対立に関するニュースが飛び込んできます。印パ戦争は現状停戦中となっていますが、この両国の対立は世界に燻ぶる火種の1つと言えるでしょう。

パキスタンのイムラン・カーン首相

印パ戦争の原因

カシミール紛争

国境紛争が繰り返されるカシミール地方

印パ戦争が発生した最初の原因は、カシミール地方の帰属問題です。第一次印パ戦争と第二次印パ戦争は、カシミール地方の領有をめぐって両軍が武力衝突しました。カシミール地方とは、インド北部とパキスタン北東部の国境に位置する地域です。

1947年にインドとパキスタンが分離独立した後、イギリスの支配下において自治権を保有していた藩王国は、両国のどちらかに帰属することになりました。しかし、カシミール地方を支配していたカシミール藩王国で1つの問題が発生します。藩王ハリ・シングはヒンドゥー教徒でしたが、民衆の多くはイスラム教徒だったのです。

カシミール藩王国の君主ハリ・シング

独立を望んだ藩王ハリ・シングに対して、パキスタンへの帰属を求めた民衆は暴動を起こします。そこへ、イスラム教徒の民兵がパキスタンから進入。これに対抗するためにハリ・シングがインドへ武力介入を要請した結果、第一次印パ戦争に発展しました。その後、1965年に勃発した第二次印パ戦争においても、カシミール地方の領有権を巡った両国の対立が発生の原因となります。

カシミール地方は、印パ戦争を含む様々な規模の衝突が巻き起こった舞台となりました。この地の緊張状態は現在も続いています。

バングラデシュの独立

パキスタンから独立したバングラデシュ

東パキスタンによる独立運動が第三次印パ戦争の原因となりました。独立運動へ軍事介入したインドが西パキスタンに勝利した後に、東パキスタンはバングラデシュとして独立することになります。

当時東西に領土が分かれていたパキスタンでしたが、政治実権を掌握していたのは西パキスタンであり、東パキスタンの民衆の間では反発する声が高まっていました。その後、東パキスタンで独立運動が始まりましたが、西パキスタンは軍隊を動員して東パキスタンの独立運動を抑え込もうとします。

この影響を受けて多くの難民が発生し、東パキスタンからインドへと流れ込んできました。難民を抱えきれなくなったインドが東パキスタン独立のために軍事介入した結果、全面戦争に発展して第三次印パ戦争となりました。この戦争の後に、東パキスタンはバングラデシュとして独立します。

印パ戦争の影響

マハトマ・ガンディー暗殺

インドの独立運動を指導したマハトマ・ガンディー

第一次印パ戦争の際、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の融和を目指していたマハトマ・ガンディーが、ヒンドゥー原理主義者に暗殺されてしまう事件が起こりました。

マハトマ・ガンディーとは、イギリス領インド帝国の時代に非暴力・不服従を提唱し、インドの独立運動を指揮した政治指導者です。ガンディーは統一インドの独立を望んでいましたが、国内で宗教間の対立が深刻化していたインド帝国はインドとパキスタンに分離独立してしまいます。

ガンディーは両者の融和を求めて独立後も活動を続けましたが、パキスタンへ譲歩するような態度が同じヒンドゥー教徒の反感を買ってしまい、最終的に暗殺されてしまいました。

両国が核兵器を保有

インドの地下核実験場跡

第三次印パ戦争の後、インドとパキスタンは両国ともに核兵器を保有することになります。

1960年代に中華人民共和国が核兵器保有国となったことで、更なる脅威に晒されることになったインドは、これに対抗せざるを得ませんでした。1974年に核実験を行い、インドは世界で6番目の核保有国となります。

インドが核保有国となったことで、パキスタンと4度目の全面戦争となることはありませんでしたが、一方的に不利となってしまったパキスタンも当然核保有を目指しました。その結果、1998年に核実験を行い、パキスタンは世界で7番目の核保有国となったのです。

ムンバイ同時多発テロ

テロ攻撃を受けたムンバイのホテル

2008年、インドの大都市ムンバイでイスラム過激派とみられる勢力による同時多発テロが発生し、ムンバイの様々な施設が襲撃されてしまいした。この事件でおよそ400人にも及ぶ死傷者が出てしまいます。

最終的にインド政府が治安部隊を動員して鎮圧しました。逮捕されたテロリストの1人はパキスタンとの関与を供述しましたが、パキスタン政府はこれを否定しています。

しかし、インド政府はパキスタンから生まれたテロリストを自国内で抑え込めなかったとして公式に抗議しており、印パ関係は再び悪化し始めているのです。

印パ戦争の歴史年表

1947年 – 「インド・パキスタンの分離独立」

イギリス領インド帝国の国旗

1947年、イギリス領インド帝国が解体され、インドとパキスタンが分離独立しました。

イギリスの植民地だったインド帝国は、長きにわたる抵抗運動の末に独立に成功します。しかし、イギリス統治下においてヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は深刻化。ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドと、イスラム教徒が多数を占めるパキスタンの2国に分かれてしまいました。

宗教的に対立している両国が横並びになった結果、国境では紛争や混乱、難民が発生し、その対立は現在に至るまで続くことになります。

1948年 – 「第一次印パ戦争」

第一次印パ戦争中のインド兵

1948年、インドとパキスタンの間で第一次印パ戦争が勃発します。この戦争は、インド北西部のカシミール地方の領有を巡った争いから武力衝突に発展しました。

カシミール藩王国は住民の8割がイスラム教徒でしたが、藩王はヒンドゥー教徒でした。その結果、帰属問題を巡って対立が発生。パキスタンへの帰属を求める民衆による暴動が起こります。そこへイスラム教徒の民兵がパキスタンから進入し、これに対抗するために藩王はインドへ軍事介入を要請しました。

最終的には国際連合の仲裁によって停戦し、カシミール地方の6割をインドが支配。残りをパキスタンが支配することになります。

1959年 – 「中印戦争」

1959年、中華人民共和国とインドの間で武力衝突が起こりました。隣接する2国は国境の解釈を巡って以前から対立していたのです。

この紛争は中国人民解放軍の圧勝に終わり、インド・中華人民共和国の国境係争地域であり、パキスタンとも隣接するアクサイチンは、中華人民共和国の支配下となります。

中華人民共和国が実効支配したアクサイチンの位置

また、当時の中華人民共和国はソビエト連邦と対立しており、その影響でソビエト連邦はインドを支援していました。そして、印パ戦争では中華人民共和国がパキスタンを支援していました。中ソの対立と印パの対立、中印の対立関係が印パ戦争の背景にあったのです。

1965年 – 「第二次印パ戦争」

1965年、第一次印パ戦争の際と同じカシミール地方の全域の領有を巡り、インドとパキスタンによる第二次印パ戦争が起こりました。

1959年から1962年にかけて、大規模に行われた中印戦争の影響を受けたパキスタンは、1965年にインドの支配領域へ武装集団を送り込みました。これにインドが反応し、武力衝突に至ります。

最終的には再び国際連合が仲裁に入り、年内に停戦。1967年に和平協議が合意されましたが、双方共にカシミール地方の領有権の主張は取り下げておらず、国境問題は未解決のまま現在に至ります。

雄大な自然に囲まれているカシミール地方

1971年 – 「第三次印パ戦争」

1971年、東パキスタンの独立運動に介入したインドとパキスタンが衝突し、第三次印パ戦争が勃発しました。東西に領土が分かれているパキスタンでは、西パキスタンが政治実権を掌握しており、東パキスタンは植民地のような扱いを受けていたのです。

東パキスタンで開始された独立運動をパキスタン軍が制圧すると、東パキスタンから多くの難民がインドへやってきました。しかし、当時のインドには大量の難民を抱えきれる力がなかったため、東パキスタンの独立運動を支援したのです。

最終的にインドが勝利し、東パキスタンはムガル帝国時代から繁栄してきたダッカを首都とする、バングラデシュとして独立します。

バングラデシュの国旗

1998年 – 「両国が核兵器保有へ」

世界の核兵器保有数

1998年までに、インドとパキスタンの両国が核兵器を保有することになります。その背景にはインドとパキスタンの対立だけでなく、1950年代から続く中華人民共和国の脅威に対抗する意図もあったのです。

1974年、インドが初の核実験を行いました。インドが世界で6番目の核保有国になったことで、パキスタンと4度目の全面戦争になることは回避されましたが、パキスタンを核開発へと走らせてしまうことになります。そして、パキスタンは1998年に核実験を行い、世界で7番目の核保有国となりました。

一時は両国間で緊張が高まり、全面核戦争の危機もありましたが、1999年にパキスタン国内で軍事クーデターが起こり新政権が樹立。その後、インドとの協調路線をとったため、インドとパキスタンの関係は安定し始めます。

2008年 – 「ムンバイ同時多発テロ」

世界でも有数の大都市ムンバイ

2008年、インド最大の都市であるムンバイで、イスラム過激派とみられる勢力による同時多発テロが発生しました。この事件がインドとパキスタンの関係に再び緊張を走らせます。

テロ発生時、ムンバイは立てこもりや爆発、銃撃戦など様々な形の攻撃を受けました。インド政府は軍の治安部隊を動員し鎮圧しましたが、最終的にはおよそ400人に及ぶ死傷者を出してしまいます。その中には日本人も含まれていました。

逮捕されたテロリストの1人は、パキスタンを本拠地とするイスラム主義組織のラシュカレトイバに所属していると供述していますが、パキスタンはテロリストへの支援を否定しています。この事件以降、印パ関係はさらに悪化し現在に至ります。

カシミール地方を守るインドの治安部隊

印パ戦争に関するまとめ

今回は印パ戦争の歴史について解説しました。

印パ戦争とは、インドとパキスタンの間で行われた国境紛争・独立戦争であり、戦後に始まってから現在に至るまで続く、現代史のアジアを語る際には欠かせないテーマの1つとなっています。

この記事では印パ戦争の原因からその後の影響まで紹介しましたが、同じ時代に日本では何が起こっていたのかについて調べてみるのも面白いでしょう。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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