東ローマ帝国とは?ビザンツ帝国との違いは?歴史年表まとめ【政治体制から文化、宗教まで紹介】

1202年 – 「第4回十字軍」

第4回十字軍とは、ローマ教皇インノケンティウス3世によって招集され、フランス諸侯とヴェネツィア共和国を中心に編成された十字軍です。

本来の十字軍は、西欧カトリック諸国が聖地エルサレムを奪還するために派遣した遠征軍でしたが、第4回十字軍は聖地エルサレムには向かわず、東ローマ帝国に侵攻しました。東ローマ帝国を攻めた第4回十字軍はコンスタンティノープルを陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたのです。

コンスタンティノープルを占領した第4回十字軍は、ギリシャ正教会を否定するカトリック国家であるラテン帝国を建国します。しかし、資本・軍事の全てをヴェネツィア共和国に頼っており、権力や経済基盤に関しては脆弱な側面がありました。

1261年 – 「コンスタンティノープル奪還」

1261年、東ローマ帝国の亡命政権の1つであるニカイア帝国が、ラテン帝国からコンスタンティノープルを奪還します。

アナトリア半島のニカイアを首都としたニカイア帝国は、ラテン帝国やルーム=セルジューク朝と戦いながら徐々に勢力を増していきました。最終的にコンスタンティノープルを奪還し、東ローマ帝国を復活させることに成功します。

しかし、東ローマ帝国に以前ほどの国力は無く、イスラム世界に対する防波堤の役割をこなすことは難しくなっていました。結果的に、イスラム王朝であるオスマン帝国のヨーロッパへの侵入を許してしまうことになります。

1326年 – 「オスマン・東ローマ戦争」

1326年に発生したオスマン・東ローマ戦争とは、トルコ人のオスマン家出身の皇帝が治める多民族国家であるオスマン帝国と東ローマ帝国の間で行われた戦争です。

両国はアナトリア半島、バルカン半島を舞台にせめぎ合います。オスマン皇帝バヤジット1世の統治下で勢力を拡大したオスマン帝国は1395年にコンスタンティノープルを包囲し、その翌年にはニコポリスの戦いでヨーロッパ諸国から派遣された十字軍に圧勝。その後もオスマン帝国はコンスタンティノープルを攻撃し続けました。

しかし、オスマン帝国は1402年に東方から来たイスラム王朝ティムールの攻撃を受け、アンカラの戦いで敗北。バヤジット1世が捕虜としてティムールに囚われ、皇帝空位の状態となったオスマン帝国は滅亡の危機に陥りました。

オスマン皇帝バヤジット1世

1453年 – 「東ローマ帝国滅亡」

オスマン帝国軍に包囲されたコンスタンティノープル

1000年以上にわたって存続してきた東ローマ帝国は1453年に滅亡しました。滅亡前夜の東ローマ帝国は、既にコンスタンティノープルとペロポネソス半島を領有するのみの小国となっていたのです。

一時は分裂し、滅亡の危機に追い込まれたオスマン帝国でしたが、第5代皇帝となったメフメト1世は帝国を再統一することに成功します。力を取り戻したオスマン帝国は再び東ローマ帝国へ侵攻。そして、1453年にコンスタンティノープルを包囲した後、都市名をイスタンブールと改めて帝都としました。その結果、東ローマ帝国は完全に滅亡することになります。

オスマン帝国を再建したメフメト1世

東ローマ帝国の滅亡とオスマン帝国の台頭は、西欧社会に衝撃を与え、政治体制に大きな変化が起こりました。また、地中海の制海権をオスマン帝国に奪われた結果、西欧諸国は新たな交易ルートを渇望して大西洋へ進出します。東ローマ帝国の滅亡は、中世と近世を繋ぐ時代の転換点だったのです。

東ローマ帝国滅亡後に東地中海を支配したオスマン帝国

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生き残った帝国ビザンティン(講談社学術文庫)

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また、有名なコンスタンティノープル、ラヴェンナ、テサロニキ、カッパドキア、さらにはキプロスやトレビゾンドに至るまでの様々なモザイクやフレスコ画を紹介してくれています。

東ローマ帝国に関するまとめ

今回は東ローマ帝国の歴史について解説しました。

東ローマ帝国は、歴史的に国家の興亡が激しい地域に位置しながら長い命脈を保ち、独自の文化を発展させた大国でした。また、中世から近世にかけての世界史を見る上では欠かせないテーマの1つです。

この記事では東ローマ帝国の歴史や政治体制、文化、宗教まで紹介しましたが、同じ時代の西ヨーロッパや中東の歴史について詳しく調べてみるのも面白いでしょう。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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