【まるで帝国】イギリスの植民地はどこ?歴史的背景、与えた影響なども解説

「イギリスの植民地っていくつあるの?」
「イギリス帝国と植民地ってどんな関係?」
「イギリスの植民地支配ってどんなもの?」

「イギリスの植民地」と聞いて、上記のような疑問を持つ人は多いのではないでしょうか。イギリスの植民地とは、17世紀から19世紀頃の植民地政策によってイギリスの支配下に置かれた領土のことです。この多数の植民地獲得の甲斐もあり、イギリスは世界中から「大英帝国」と呼ばれるまでに発展しました。

古い世界地図

ただし一口に植民地といえど、イギリスの移民によって開発されたり、罪人の流刑地として活用されるなど植民地支配の方法は多岐にわたりました。この記事では、イギリス植民地について大学・大学院で6年間みっちり学んだ経験のある筆者が詳しく解説していきます!

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

そもそも植民地とは?

世界の植民地支配の様子(1800年当時)

イギリスの植民地を説明する前に、そもそも植民地とは何かについて説明しましょう。植民地とは、「海外からの移民者によって開発され、その移民国の支配下に置かれた土地」のことを示します。

イギリスでは中世のアイルランド侵略から始まり、大海原を渡る大航海時代によって本格的な植民地侵略が始まります。17世紀以降からは産業革命などを機に、世界各地に植民地を獲得するようになったのです。

イギリスの植民地はどこ?

イギリスの植民地には大きく分けて二つあります。「旧イギリス植民地」と「現イギリス植民地」です。

旧イギリス植民地は「イギリス帝国時代に植民地であったが、現在は独立している国々のこと」を示しています。現イギリス植民地は「イギリス帝国時代以降もなおイギリスの支配下として成り立つ国々のこと」です。

最初にざっくりご紹介すると、

  • 旧イギリス植民地
    • 北アメリカ大陸
    • インド
    • オーストラリア
  • 現イギリス植民地
    • バミューダ諸島
    • ジブラルタル

この5つになります。

代表的な旧イギリス植民地

1921年当時のイギリス領土

19世紀末までイギリスは世界各地に海外領土を所有していました。アヘンの密貿易をめぐって起こったアヘン戦争では香港を獲得。その他にもビルマ(現在のミャンマー)やマレーシア、アフリカ諸国も手に入れました。そんな旧イギリス植民地の中でも、代表的な三つの国を紹介します。

北アメリカ大陸

北アメリカ大陸では、現アメリカ合衆国のヴァージニア州を皮切りに東海岸沿いの13州とカナダが旧イギリス植民地になります。特に、ヴァージニア州は一度入植に失敗しているもののアメリカ大陸における最初のイギリス植民地です。

その後、多くのイギリス移民が信仰の自由や新しい生活を求めてアメリカへとやって来ました。しかし、植民地ができたばかりの頃は飢饉や先住民との戦いに見舞われ、移民たちは非常に過酷な生活を強いられることになります。この生活を終わらせたのは、労働力としてやってきた黒人奴隷でした。

綿花農園で働く黒人奴隷の家族

イギリスはアフリカ大陸に武器を得る代わりに黒人奴隷を得て、彼らをアメリカの植民地へと渡していました。黒人奴隷の労働力を導入することによってイギリス側は大きな利益を得たのです。

しかし、戦争の出費を補うためにアメリカ植民地の課税を強化したことで、1775年にアメリカ独立戦争が勃発します。この戦争でイギリス側は植民地側に負けてしまい、1783年のパリ条約においてアメリカの13州は独立してアメリカ合衆国としてアメリカ建国の歴史をたどります。

ちなみに、カナダはアメリカの独立後も植民地としてイギリスの支配下に置かれました。しかしその後、イギリス議会が制定した北アメリカ法によって、1867年にイギリスの海外領土において初の自治領となります。

インド

イギリス領インド帝国の国旗

アメリカ大陸と並びインドもイギリスに大きな利益をもたらした旧イギリス植民地として挙げられます。イギリスを大英帝国へと押し上げた産業革命は、インド由来の綿織物がきっかけでした。紅茶の国であるイギリスで飲まれているアッサムティーの茶葉もインド産です。

イギリスの発展に多大な影響を及ぼしたインドの植民地支配は、1600年にイギリス東インド会社が設立されたことから始まりました。イギリス東インド会社は、貿易に関してイギリス国王の特許状を得た現在言うところの国家企業です。

イギリス東インド会社は、インドや東南アジア、中国を含む貿易によってイギリス本国の経済に大きな利益をもたらしていました。イギリスのインド支配地域は徐々に拡大していき、支配権をめぐるフランスとの戦争にも勝利します。

インドの大反乱の様子

遂にはインド人を傭兵として雇用するようになり、軍事的にもイギリスを支援することとなりました。19世紀にはインドのアヘンを中国に売り付ける三角貿易を実施して莫大な利益を得ます。

しかし、インド人の宗教観を無視したイギリス人のやり方に反発を覚えた人々によって、1857年にインドの大反乱が起こりました。イギリスはこの反乱を鎮圧しましたが、イギリス東インド会社は解散してしまいます。

そのかわりイギリスが直接的にインドを支配することになり、インド帝国が誕生したのです。その後、独立するまでインドはイギリスの支配下に置かれ、その影響を著しく受けることとなりました。

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4 COMMENTS

岩野祐里(Iwano Yuri)

m.Aさんへ
読んでいただき、ありがとうございます!帝国時代の植民地政策は様々な国が関わり合い複雑で難しいですよね。少しでもお役に立てたなら、嬉しい限りです!

植民地政策というと「自国の文化を押し付ける」「悪い」というイメージが多いと思います。確かにその通りの場合もありますが、視点を変えるとまた違った見方もできますよね。過去の出来事ではなく現代に生きる出来事。すごく読み込んでくださったことが分かり、著者として大変感激しております。ありがとうございます!
これからも興味深いと思ってもらえるような記事をお届けできるよう、精進いたします!

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m.A

最近各国の植民地政策、言語帝国主義に興味を持ち出し、でも難しすぎて勉強を投げ出していた所でした。
分かりやすくまとめられており、大いに学ばせて頂きました。ありがとうございます!

昔は自国の言語や文化を押し付けるやり方がまかり通っていたのか〜と初めは思いましたが、ユリさんが書かれている通り、現代でも英語話者の多さなどに影響を見ることが出来ますものね。
良い悪いは置いておいて、決して「過去の出来事」だけでは終わらない問題ですね。

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Lioco

とてもわかりやすくまとめられていて
読みやすく参考になりました。
イギリス:ビクトリア調時代に興味を持っていらっしゃるとのこと… 今まで全く興味のなかった”ビクトリア調” 何故か読み終わった後に興味を感じさせていただきました。^ – ^ ありがとうございます!

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iwano yuri

Liocoさんへ
コメントしていただきまして、ありがとうございます!そして、ヴィクトリア朝に興味を持っていただけたとのこと。とても嬉しく思います!これからも興味を持っていただける記事をお届けできるよう精進いたします。

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