【まるで帝国】イギリスの植民地はどこ?歴史的背景、与えた影響なども解説

オーストラリア

オーストラリアの国旗

オーストラリアも旧イギリス植民地です。国旗にイギリスの国旗を示す「ユニオンジャック」が描かれていることからも、その影響が伺えますね。隣国のニュージーランドも旧イギリス植民地でした。イギリスはオセアニア大陸にも勢力を伸ばしていたのです。

オーストラリアは17世紀に新大陸として発見され、18世紀後半からイギリスの植民地として利用され始めました。当初、オーストラリアの植民地としての役割は罪人の流刑地です。

18世紀のイギリスでは、産業革命による急激な社会の変化により犯罪が多発していました。そのため、大勢の囚人を収容する場所が必要だったのです。初めの頃はアメリカを流刑地として使っていましたが、アメリカ独立後はオーストラリアを流刑地として多くの犯罪者を送り込みました。

犯罪者だけでなく、新天地を求めた人々も移民としてオーストラリアへ移り住むようになります。彼らは原住民であるアボリジニの人々を迫害しつつ領土を広げ、19世紀前半にはオーストラリア全土がイギリスの植民地となりました。

1869年にオーストラリアで発見された世界最大の金塊

また、19世紀後半に金鉱が発見されると一攫千金を狙った人々がオーストラリアに押し寄せる「ゴールドラッシュ」が始まります。その結果、有色人種の人々もオーストラリアへ移民としてやって来たため、白人優位の白豪主義による人種差別も起きました。

このような歴史をたどりながらも、オーストラリアは1901年にイギリスから独立。しかし、イギリスとのつながりは消えておらず、二度の世界大戦にイギリスとともに参戦し、現在でもそのつながりは健在しています。

代表的な現イギリス植民地

ジブラルタル領土の大半を占める巨大な岩「ザ・ロック」

19世紀までに多くの植民地を所有していたイギリスですが、今ではその大半が独立しています。しかし、2020年現在においてまだイギリスの植民地である国も存在します。

バミューダ諸島

バミューダ諸島は北大西洋に位置する島国です。17世紀の初め頃、アメリカへ向かうイギリス船が嵐に巻き込まれてバミューダ諸島へたどり着いたのが植民地のきっかけとなりました。17世紀後半に正式なイギリス植民地となり、19世紀にはリゾート地として栄え、経済を支えるほどの観光収入を得ます。

バミューダ諸島の風景

観光産業は現在でもバミューダ諸島の経済の軸となっており、現イギリス植民地の中でも高い自立力を持つ要因です。1995年にイギリスからの独立を考えての住民投票も行われましたが否決。現在もイギリス領のままになっています。

ジブラルタル

ジブラルタルは、ヨーロッパの南西に位置するイベリア半島の南東を占める領土です。18世紀初頭にイギリスの植民地になりました。ジブラルタルは経済的な支援より軍事的な支援として注目され、数多くの戦いにおいてイギリス軍隊に活用されます。

ジブラルタルの国旗

二度の世界大戦中も重要な軍事拠点となり、イギリス海軍部隊がジブラルタルに配置されました。世界大戦後もジブラルタルの位置的に軍事的に利用され、現在もイギリス軍が在駐しています。

イギリス帝国は植民地獲得によって生まれた

1886年当時のイギリス帝国の勢力範囲を示した地図

17世紀から20世紀にかけて、イギリスは世界から大英帝国と呼ばれていました。その中心にあったのが植民地支配です。そのため、イギリスの植民地を理解するには、「イギリス帝国」について知る必要もあります。

世界各地に植民地を生み出したイギリス帝国は、第一帝国時代と第二帝国時代の二つに分けられます。第一帝国時代で各国に植民地を築き始め、第二帝国時代には大英帝国と呼ばれるほどの大国となり、イギリスは国力的に最盛期を迎えました。それぞれを詳しく見てみましょう!

第一帝国時代

イギリスの第一帝国時代は17世紀から18世紀後半までを表します。イギリス東インド会社の設立から始まり、北アメリカ大陸のヴァージニアへイギリス移民が移り住むようになりました。そして、北アメリカの東海岸沿いに13州の植民地が出来たのです。

その後、イギリスはフレンチ=インディアン戦争(1775年から始まった7年戦争の中で北アメリカにて行われた戦争)での勝利によって北アメリカ大陸においての植民地支配を確立させました。他には、セネガルなどのアフリカ大陸にも領土を広げています。

アメリカ独立戦争中のイギリス軍の攻撃

しかし、フレンチ=インディアン戦争での出費を補うべく13州のアメリカ植民地に課税をしたためにアメリカ独立戦争を引き起こしました。この独立戦争は1783年のパリ条約にてアメリカ側の勝利で終わります。アメリカという大きな領土を失ったことで、イギリスの第一帝国時代が終わりを告げました。

第二帝国時代

イギリスの第二帝国時代は19世紀から20世紀初頭までを表します。この期間はヴィクトリア女王がイギリスを統治していた時代のため、ヴィクトリア朝とも呼ばれています。他にも、産業革命による工業化の最盛期として「世界の工場」とも呼ばれました。

第二帝国時代は、植民地支配や産業においてイギリスが世界の頂点に立った時期です。アヘン戦争によって香港を獲得し、インドの大反乱を鎮圧したことでインド支配を直接的なものにして「インド帝国」を築きました。

アヘン戦争にてイギリス軍艦が中国の軍艦を吹き飛ばす様子

第一帝国時代にイギリスはアメリカという植民地を失いましたが、それを乗り越えて更なる植民地を獲得し、国力を世界最大のものとしたのです。しかしながら、どんなに栄華を誇っても必ず終わりが来るもの。19世紀末にはドイツやアメリカの工業力に追いつかれ始めます。

さらには自国の領土を拡大しようとする帝国主義が広まったために、各国との競争や対立に巻き込まれていきました。20世紀に入り、第一次世界大戦後は世界の大国はアメリカになります。植民地の多くも独立し、イギリスの第二帝国時代は終わりを告げたのです。

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4 COMMENTS

岩野祐里(Iwano Yuri)

m.Aさんへ
読んでいただき、ありがとうございます!帝国時代の植民地政策は様々な国が関わり合い複雑で難しいですよね。少しでもお役に立てたなら、嬉しい限りです!

植民地政策というと「自国の文化を押し付ける」「悪い」というイメージが多いと思います。確かにその通りの場合もありますが、視点を変えるとまた違った見方もできますよね。過去の出来事ではなく現代に生きる出来事。すごく読み込んでくださったことが分かり、著者として大変感激しております。ありがとうございます!
これからも興味深いと思ってもらえるような記事をお届けできるよう、精進いたします!

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m.A

最近各国の植民地政策、言語帝国主義に興味を持ち出し、でも難しすぎて勉強を投げ出していた所でした。
分かりやすくまとめられており、大いに学ばせて頂きました。ありがとうございます!

昔は自国の言語や文化を押し付けるやり方がまかり通っていたのか〜と初めは思いましたが、ユリさんが書かれている通り、現代でも英語話者の多さなどに影響を見ることが出来ますものね。
良い悪いは置いておいて、決して「過去の出来事」だけでは終わらない問題ですね。

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Lioco

とてもわかりやすくまとめられていて
読みやすく参考になりました。
イギリス:ビクトリア調時代に興味を持っていらっしゃるとのこと… 今まで全く興味のなかった”ビクトリア調” 何故か読み終わった後に興味を感じさせていただきました。^ – ^ ありがとうございます!

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iwano yuri

Liocoさんへ
コメントしていただきまして、ありがとうございます!そして、ヴィクトリア朝に興味を持っていただけたとのこと。とても嬉しく思います!これからも興味を持っていただける記事をお届けできるよう精進いたします。

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