米西戦争とは?なぜ起こった?【原因から結果、その後の影響までわかりやすく紹介】

米西戦争とは、アメリカ合衆国とスペインの間で起きた戦争です。大西洋を挟んで離れている両国の争いでしたが、アメリカ側にはスペインからの独立を目指すフィリピンやキューバの勢力も含まれていました。

アメリカ合衆国とスペインの間で起きた米西戦争

「米西戦争はなぜ起きたの?」
「米西戦争の原因やその後の影響を詳しく知りたい!」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、米西戦争はなぜ起きたのか、また、米西戦争の原因やその後の影響などについて詳しく紹介していきます。

米西戦争の原因から結果、その後の影響まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

米西戦争とは

アメリカ合衆国とスペイン帝国による戦争

米西戦争とは、海外領土の拡大を目論むアメリカ合衆国と、15世紀から17世紀にかけて黄金時代を築き、「太陽の沈まない国」と呼ばれたスペイン帝国の間で発生した戦争です。

当時のアメリカ合衆国は、南北戦争の終結と奴隷解放宣言の発表により、国内の完全な分裂を回避した状況にありました。その後、鉄道網の発達と共に西部開拓時代が始まります。この時代に、アメリカ合衆国では鉄鋼業や石油業が繁栄し、経済の大きな発展を迎えたのです。

一方で、スペイン帝国は中南米やアジア、アフリカに植民地を保有し、世界中に領土を持つ大帝国へと成長しました。しかし、16世紀にスペインの無敵艦隊がイングランド海軍に敗北。植民地の支配は継続していましたが、海上覇権を握る史上最大の帝国の座はイギリスへと移っていました。

太陽の沈まない国と呼ばれたスペイン帝国の版図

米西戦争はいつ起きた?

米西戦争は1898年4月25日に始まり、同年の8月12日に終結しました。そして、同年の12月10日にはパリにおいて平和条約を締結することになります。

この時代、かつて大帝国を築いたスペイン帝国の国際的な地位は大きく下落し、スペイン帝国の支配下にあったキューバでは1868年から独立運動が起こっていました。同様に、フィリピンでも独立を目的とした闘争が発生していましたが、当時のスペイン帝国に植民地諸国の独立運動を抑える国力は残っていなかったのです。

アメリカ合衆国は、19世紀初頭にジェームズ・モンロー大統領が提唱したモンロー主義に従い、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を宣言していました。しかし、アメリカ合衆国の本当の狙いは、アメリカ大陸内での勢力拡大にあったのです。インディアンの掃討作戦が完了し、フロンティアの消滅を宣言したアメリカ合衆国は、太平洋へ進出していきます。

モンロー主義を提唱したアメリカ大統領ジェームズ・モンロー

米西戦争はどこで起きた?

1898年に勃発した米西戦争は、キューバのハバナ湾から始まり、フィリピンのマニラ湾、グアム島など、アメリカ大陸からアジア太平洋地域の広範囲を舞台に繰り広げられました。

米西戦争が行われた太平洋の地図

フィリピンで最初に起こった戦闘はマニラ湾海戦です。この戦いはアメリカ合衆国の完勝に終わり、スペインの太平洋艦隊は壊滅。アメリカ海軍がフィリピン周辺の制海権を掌握することになります。

また、キューバやプエルトリコでは海戦だけでなく、本土での戦いも巻き起こりました。この戦争で活躍した人物が、後にアメリカ合衆国大統領となり、中南米諸国に対して棍棒外交を展開したことで知られるセオドア・ルーズベルトです。

後にアメリカ大統領となったセオドア・ルーズベルト

米西戦争の原因

スペイン植民地による独立運動

米西戦争が勃発した原因の1つとして、スペイン帝国の植民地であるキューバやフィリピンにおいて独立運動が起こっていたことが挙げられます。

スペイン帝国はかつて黄金時代ともいわれ、世界中に植民地を持っていましたが、19世紀末にはその面影すら見られないほどに国力が弱体化していました。フィリピンやキューバ国内では革命家たちによってゲリラ戦争が展開されていましたが、衰退しつつあったスペイン帝国には反抗勢力に対抗する予算も人的資源も残っていなかったのです。

キューバ革命運動の指導者ホセ・マルティ

そこで、スペイン帝国は住民と独立軍を分断することで、キューバの独立運動に対する支援を滞らせる作戦に出ます。また、民衆に紛れている反逆者と疑わしい人々を次々と処刑していきました。

しかし、読者数を伸ばそうと企むアメリカの新聞は、スペインの分断作戦や処刑などの残虐行為を誇大に報道し、民衆の人道的感情を刺激したのです。その結果、アメリカ国民の間で反スペイン感情が高まり始めました。

アメリカ海軍が保有する戦艦の爆発事故

沈没するアメリカ海軍の戦艦メイン号

1898年2月15日、ハバナ湾に停泊していたアメリカ海軍の戦艦メイン号が爆発し、沈没する事故が発生しました。この事故により、アメリカ海軍は266人の乗組員を失ったのです。

その後、爆発の原因に関する決定的な証拠が無かったにもかかわらず、アメリカの主要メディアはこの爆発事故をスペインによる破壊工作であると報道しました。そして、アメリカ世論は戦争へと一気に傾いたのです。一方で、スペイン側は戦争に対して消極的な姿勢を見せていました。

その後、アメリカはキューバの自由と独立を求めた共同宣言を承認。スペインの撤退を要求するために、軍事力を行使することをキューバと約束します。その結果、スペインはアメリカとの外交関係を停止し、両国は交戦状態となりました。

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