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第五福竜丸事件(ビキニ事件)とは?事件の経緯や影響を分かりやすく解説

「第五福竜丸事件って何?」
「何が原因だったの?」
「第五福竜丸事件による影響は?」

第二次世界大戦に対する日本と世界各国との平和条約である「サンフランシスコ平和条約」が締結されてから2年後の1954年に、日本のマグロ漁船が被ばくする事件が起こりました。第二次世界大戦中に広島と長崎に投下された原子爆弾による被ばくに次ぐ、「日本を巻き込んだ第三の原子力災害」です。

被ばくした船にちなんで「第五福竜丸事件」と呼ばれたり、被ばくが起こった場所がマーシャル諸島ビキニ環礁であったため「ビキニ事件」とも呼ばれています。

この事件がきっかけでのちの日本に様々な影響を与え、日本においての反核運動の原動力となり世界に誇る特撮怪獣「ゴジラ」が生まれるきっかけにもなりました。

この記事ではそんな「第五福竜丸事件」の経緯や影響、事件を扱った作品などを紹介します。

第五福竜丸事件とは何か?

事件の概要は?

第五福竜丸

1954年3月1日午前6時45分、アメリカはマーシャル諸島ビキニ環礁で水爆「ブラボー」の実験を行います。水爆の爆発によって飛散された「死の灰」と呼ばれる放射能を帯びたサンゴ片が辺りの海に降り注ぎ、近くで操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくしました。

マーシャル諸島ビキニ環礁

この時「第五福竜丸」はアメリカの設定した危険水域の外で操業していましたが、水爆の威力が当初の見積もりよりも大きく、予想より広くの範囲で放射能を帯びた灰が降り注いでしまったために被ばくしてしまいました。

危険を察知した第五福竜丸の乗組員たちはすぐに操業していた海域から脱出を図りましたが、数時間に渡り放射能を浴び続けたため船員23名全員が被ばくしました。

アメリカ政府は事件を大きくしないため第五福竜丸の被ばくを小さく見積もります。当時日本政府も平和条約を締結してすぐだったためアメリカを刺激しないようにという思惑もあり、アメリカに強く意見できなかったとみられています。

その結果、アメリカ政府は賠償金としてではなく好意での見舞金という形で200万ドル(当時約7億2000万円)を支払い、日本側はアメリカの責任は追及しないという条件で事実上の事件の終結を迎えました。

事件の原因となった水爆実験

ビキニ環礁で行われたキャッスル作戦・ブラボー実験

アメリカ合衆国は1945年7月16日に核実験「マンハッタン計画」によって史上初めての原子爆弾を炸裂させました。1946年からは現在マーシャル諸島共和国となったマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁において合計67回に渡り核実験を行っています。

1952年に行われた「アイビー作戦」において史上初の水爆の爆発実験が行われ、1954年の「キャッスル作戦」において水爆の小型化が試され合計6回の爆発実験が行われました。

第五福竜丸が被ばくしたのはこの「キャッスル作戦」の第一回目の「ブラボー実験」によってでした。当時アメリカ軍はこの水爆の威力を4トンから8トンと見積もっていましたが、実際には15トンもの威力があったとされています。

第五福竜丸事件の被害

亡くなった久保山愛吉さん

第五福竜丸に乗船していた乗組員全員はもちろんのこと、船体やこの時水揚げされていたマグロも被ばくが認められました。事件から半年後には無線長だった久保山愛吉さんが亡くなり、第五福竜丸事件における唯一の被害者となりました。

また事件後アメリカは危険海域を拡大したため、第五福竜丸以外にも数百隻の漁船、2万人を超える被ばく者がいるとみられています。

事件によって被爆したマグロは焼津や東京に水揚げされましたが、「汚染マグロ」として大量に廃棄されることになります。

水揚げされた汚染マグロ

特に3月15日の築地市場にマグロが水揚げされた際にはセリが中断され、行政の指導により敷地内の地中に埋められています。埋めた地点には第五福竜丸事件を忘れないため「原爆マグロ」の塚が建てられました。現在は東京都立第五福竜丸展示館に移設されています。

被害者の死因は放射能ではなかった?

アメリカ政府の見解では事件後に亡くなった久保山愛吉さんの死因は「放射能によるものではない」としており、現在に至るまでこの件に対する明確な謝罪は行われていません。

実際、久保山さんの死因は重度の急性肝機能障害で、放射線障害の症状には当てはまっていませんでした。同様に被ばくしたマーシャル諸島の患者には肝機能障害は発生しなかったため、肝炎ウイルスによるものではないかと疑われました。

のちに久保山さんの直接の死因は、輸血の結果感染したC型肝炎であると断定的に公表されました。1954年当時、まだC型肝炎は発見されておらず、2000年7月には保険の再適用が認められる判決が下されました。

第五福竜丸の歴史

当時の第五福竜丸

1974年にカツオ漁船「第七事代丸」として和歌山県の串本町で進水したのが最初です。その後の1953年には、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され「第五福竜丸(第五福龍丸)」となりました。

1954年の3月1日にビキニ環礁で被ばくしたのち、2週間かけて静岡県の焼津港に帰還します。検査をすると船体から30メートル離れた地点からでも放射線を観測したため、人気のない場所に移され係留されました。放射能除去が行われた後に再び改造が施され、東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として復活しています。

1967年、老朽化によって廃船となり使用できる部品を残して打ち捨てられていましたが、現在では東京都立第五福竜丸展示館(夢の島公園)にて保存され展示されています。

第五福竜丸事件が与えた影響

水産物の消費が激減した

「原子マグロは使いません」と看板を立てる魚屋

漁によって水揚げされたマグロをはじめとする水産物も放射能によって汚染されていたため世間は不安を抱え、特にマグロは「原子マグロ」「原爆マグロ」と呼ばれ人々の注目を浴びました。

水揚げされたあと検査を受けて問題がないと分かったマグロに関しては市場に流通しましたが、消費は激減し風評被害によって漁業関係者は大きな打撃を受けます。第五福竜丸の乗組員たちは放射能が伝染するという間違った情報のために、住む場所と漁師の仕事を両方奪われてしまいました。

漁港の街にある飲食店の前には「原子マグロは使いません」と看板が建てられ、人々は原子力問題に大きな関心を持つようになっていきます。

ゴジラが生まれるきっかけとなった

ゴジラのポスター

1954年11月3日に東宝が公開した日本の特撮怪獣映画「ゴジラ」が制作されるきっかけになったのも第五福竜丸事件だと言われています。

海底の洞窟に潜んでいた怪獣「ゴジラ」が度重なる水爆実験によって住処を追われ東京に上陸、破壊の限りを尽くすと言うのが初代ゴジラのストーリーです。公開されると観客動員数961万人を記録する大ヒットとなりました。

第五福竜丸事件をテーマにした作品

映画「第五福竜丸」

第五福竜丸事件から5年後の1959年に公開された、新藤兼人監督によるドキュメンタリー映画です。第33回キネマ旬報ベスト・テンでは第8位を記録しました。

絵本「トビウオのぼうやはびょうきです」

いぬいとみこ原作で津田櫓冬によって描かれた金の星社から1982年に創刊された絵本です。

いつも明るく元気なトビウオのぼうやが主人公で、お母さんと一緒に空を飛ぶ練習をしていました。すると突然火の玉のような大爆発が起こって、海の底はめちゃめちゃになってしまいます。空から降って来た白い灰を浴びてしまったトビウオのぼうやは病気になって、寝たきりになってしまいました。

教育映画として映像化され、小学校の授業で使用され上映もされています。

第五福竜丸事件に関するまとめ

第五福竜丸事件について紹介しましたがいかがでしたか?

大戦時から含めると3回にわたって被ばくを経験した日本人が、核実験について考えさせられるきっかけとなった重要な事件であることは間違いありません。現在でも第五福竜丸は保存されていて、当時のことを忘れないために展示されています。

もしよければ東京にある「第五福竜丸展示館」に足を運んでみてはいかがでしょうか?

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