被害者の死因は放射能ではなかった?
アメリカ政府の見解では事件後に亡くなった久保山愛吉さんの死因は「放射能によるものではない」としており、現在に至るまでこの件に対する明確な謝罪は行われていません。
実際、久保山さんの死因は重度の急性肝機能障害で、放射線障害の症状には当てはまっていませんでした。同様に被ばくしたマーシャル諸島の患者には肝機能障害は発生しなかったため、肝炎ウイルスによるものではないかと疑われました。
のちに久保山さんの直接の死因は、輸血の結果感染したC型肝炎であると断定的に公表されました。1954年当時、まだC型肝炎は発見されておらず、2000年7月には保険の再適用が認められる判決が下されました。
第五福竜丸の歴史
1974年にカツオ漁船「第七事代丸」として和歌山県の串本町で進水したのが最初です。その後の1953年には、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され「第五福竜丸(第五福龍丸)」となりました。
1954年の3月1日にビキニ環礁で被ばくしたのち、2週間かけて静岡県の焼津港に帰還します。検査をすると船体から30メートル離れた地点からでも放射線を観測したため、人気のない場所に移され係留されました。放射能除去が行われた後に再び改造が施され、東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」として復活しています。
1967年、老朽化によって廃船となり使用できる部品を残して打ち捨てられていましたが、現在では東京都立第五福竜丸展示館(夢の島公園)にて保存され展示されています。
第五福竜丸事件が与えた影響
水産物の消費が激減した
漁によって水揚げされたマグロをはじめとする水産物も放射能によって汚染されていたため世間は不安を抱え、特にマグロは「原子マグロ」「原爆マグロ」と呼ばれ人々の注目を浴びました。
水揚げされたあと検査を受けて問題がないと分かったマグロに関しては市場に流通しましたが、消費は激減し風評被害によって漁業関係者は大きな打撃を受けます。第五福竜丸の乗組員たちは放射能が伝染するという間違った情報のために、住む場所と漁師の仕事を両方奪われてしまいました。
漁港の街にある飲食店の前には「原子マグロは使いません」と看板が建てられ、人々は原子力問題に大きな関心を持つようになっていきます。
ゴジラが生まれるきっかけとなった
1954年11月3日に東宝が公開した日本の特撮怪獣映画「ゴジラ」が制作されるきっかけになったのも第五福竜丸事件だと言われています。
海底の洞窟に潜んでいた怪獣「ゴジラ」が度重なる水爆実験によって住処を追われ東京に上陸、破壊の限りを尽くすと言うのが初代ゴジラのストーリーです。公開されると観客動員数961万人を記録する大ヒットとなりました。
第五福竜丸事件をテーマにした作品
映画「第五福竜丸」
第五福竜丸事件から5年後の1959年に公開された、新藤兼人監督によるドキュメンタリー映画です。第33回キネマ旬報ベスト・テンでは第8位を記録しました。
絵本「トビウオのぼうやはびょうきです」
いぬいとみこ原作で津田櫓冬によって描かれた金の星社から1982年に創刊された絵本です。
いつも明るく元気なトビウオのぼうやが主人公で、お母さんと一緒に空を飛ぶ練習をしていました。すると突然火の玉のような大爆発が起こって、海の底はめちゃめちゃになってしまいます。空から降って来た白い灰を浴びてしまったトビウオのぼうやは病気になって、寝たきりになってしまいました。
教育映画として映像化され、小学校の授業で使用され上映もされています。
第五福竜丸事件に関するまとめ
第五福竜丸事件について紹介しましたがいかがでしたか?
大戦時から含めると3回にわたって被ばくを経験した日本人が、核実験について考えさせられるきっかけとなった重要な事件であることは間違いありません。現在でも第五福竜丸は保存されていて、当時のことを忘れないために展示されています。
もしよければ東京にある「第五福竜丸展示館」に足を運んでみてはいかがでしょうか?