スペインの無敵艦隊とは?名前の由来や船の構造、敗因についても紹介

「無敵艦隊ってなに?名前の由来は?」
「無敵艦隊が戦ったアマルダの海戦について知りたい!」
「無敵艦隊ってなんで負けちゃったの?」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。

無敵艦隊とは、16世紀スペインの艦隊です。当時最強だったオスマン帝国の海軍を打ち破り、海上の覇権を手に入れてスペイン黄金時代を築きます。しかし、アマルダの海戦でフランシス・ドレイク率いるイギリス海軍に敗北してしまいました。

スペインから出港する無敵艦隊

本記事では、そんな無敵艦隊の名前の由来や船の構造、敗因についてご紹介します。また、無敵艦隊ができた背景や重要人物についても解説しますので、ぜひ参考にしてください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

無敵艦隊とは?

スペイン国王2世時代の艦隊

航行中の無敵艦隊

無敵艦隊とは、全盛期のスペイン国王フェリペ2世の艦隊を指します。

約130隻(ガレオン船20、ガレー船4、ガレアス船4、その他武装キャラック船とハルク船)で構成された艦隊で、航海士8000人と兵士1万8000人を載せていました。さらに大砲は真ちゅう砲が1500門、鉄砲砲が1000門装備されており、かなりの重装備でした。

名前の由来はイギリスの皮肉?

無敵艦隊という言葉は威容をあらわす代名詞として現代でも使われている

無敵艦隊という名前は実はイギリスが皮肉で呼び始めた名前、と言われていますがそれは2つある由来の1つです。もうひとつの由来は、スペインが最強の海軍として名をはせるようになったレパントの海戦です。

レパントの海戦とは当時、強大な力を持っていたオスマン帝国とスペインを含めた連合軍との戦いです。スペインはこの戦いで主力の1つとして戦い、オスマン帝国を打ち破りました。この戦いでスペインの海軍は最強の名前を得て、無敵艦隊と呼ばれるようになったのです。

対して、イギリスとぶつかったアマルダの海戦では、国力に劣るイギリスに敗北してしまいます。誰もがスペインの勝利を疑わなかったアマルダの海戦で勝利できたことにより、イギリスとしては艦隊の威容さの割りにと皮肉り「無敵艦隊」と呼んだそうです。

スペインでは単に「大艦隊(アルマダ)」と呼ばれていました。

いずれにせよ、無敵艦隊に勝利したイギリスが「無敵艦隊」と呼び始めたのなら、皮肉以外のなにものでもありませんね。

スペインの無敵艦隊はどんな船だった?

ガレー船・ガレアス船

ガレー船

ガレー船とガレアス船は、オールを漕いで進む人力の軍艦です。

ガレー船は人力で進むため長距離の航行には適さない船ですが、帆船と比べて風の弱い日でもある程度自由に航海ができるという利点を持っています。急な加速や減速、旋回など細かい操作においては帆船よりも優れており、また人員を多く必要とすることから海上の戦闘に用いられていました。

船体は同時代の帆船と比べると細長く、また水面から甲板までの距離が短いことから荒天に弱いうえに積載容量が少ないという欠点を持っていました。

ガレアス船

ガレアス船はガレー船よりも船体が大きく、さらに軍用目的に特化した船です。ガレー船に帆船の機能を足したような船で、3本のマストと32本のオールがついていました。軍用に特化したため、13〜16門ほどの大砲を積めました。

しかし、重装備だったため機動力に問題があり、一隻あたりの製造コストも維持費もかかるという欠点も持っていました。

キャラック船

キャラック船。画像は有名なサンタ・マリア号の復元

キャラック船とは、15世紀に開発された帆船です。遠洋航海を前提に開発された船であり、高波でも安定する巨大な船体と、大量輸送に適した広い船倉を持っています。

全長は30mから60mあり、船の全長と幅の比率は3:1とずんぐりとした形をしています。マストは3〜4本備えられており、船倉は複数の層からできていました。

スペースが豊富にあったため、物資の輸送に都合が良く、貿易船として用いられていました。また大きい船体を持っていたため、船の安定性が良く戦闘用としても使用されました。しかし、強い風に弱く、突風による転覆の危険性は高かったようです。

ガレオン船

ガレオン船。フランシス・ドレイクが世界一周に使用したゴールデン・ハインド号が有名

ガレオン船とは、戦闘用に使われた帆船でキャラック船の発展系として作られました。キャラック船よりも小さい船倉を船の前方と後方に1つずつ持っていました。特に後方の船倉は最大2層から構成されており、甲板には3本のマストを搭載。船体は500〜600トンほどありました。

スペインの船は性能よりも見た目を重視していたため、スピードはあまりでませんでした。無敵艦隊の旗艦であったサン・マルティン号は50門ほどの大砲を備え、1000トンほどもありました。このことから、スペインの船は速度よりも火力を意識していたと言えます。

ガレオン船は大砲や人を多く乗せられることから、無敵艦隊の中でも主力を担う船種でした。

無敵艦隊ができた背景

ガレオン船やガレー船など、当時の船は製造費も維持費もかかった

レパントの戦いに勝利したスペインは、交易により国力が強化され、無敵艦隊を作るに至りました。

この頃は、世界史で言うところの大航海時代です。スペインは国が、当時交易が盛んだった地中海と大西洋に面していました。またアメリカ大陸やアフリカ大陸へのアクセスも良く、好条件がそろっていたのです。

さらに、1580年にスペインはポルトガルを併合しました。ポルトガルにはリスボンやポルトと行った優れた港があり、スペインの発展に拍車をかけたのです。有力な航海士もそろっており、スペインは交易で得た利益を、艦隊へ投資しました。

結果、無敵艦隊と呼ばれるほどの海軍へ成長できたのです。

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