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スペインの無敵艦隊とは?名前の由来や船の構造、敗因についても紹介

「無敵艦隊ってなに?名前の由来は?」
「無敵艦隊が戦ったアマルダの海戦について知りたい!」
「無敵艦隊ってなんで負けちゃったの?」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。

無敵艦隊とは、16世紀スペインの艦隊です。当時最強だったオスマン帝国の海軍を打ち破り、海上の覇権を手に入れてスペイン黄金時代を築きます。しかし、アマルダの海戦でフランシス・ドレイク率いるイギリス海軍に敗北してしまいました。

スペインから出港する無敵艦隊

本記事では、そんな無敵艦隊の名前の由来や船の構造、敗因についてご紹介します。また、無敵艦隊ができた背景や重要人物についても解説しますので、ぜひ参考にしてください。

無敵艦隊とは?

スペイン国王2世時代の艦隊

航行中の無敵艦隊

無敵艦隊とは、全盛期のスペイン国王フェリペ2世の艦隊を指します。

約130隻(ガレオン船20、ガレー船4、ガレアス船4、その他武装キャラック船とハルク船)で構成された艦隊で、航海士8000人と兵士1万8000人を載せていました。さらに大砲は真ちゅう砲が1500門、鉄砲砲が1000門装備されており、かなりの重装備でした。

名前の由来はイギリスの皮肉?

無敵艦隊という言葉は威容をあらわす代名詞として現代でも使われている

無敵艦隊という名前は実はイギリスが皮肉で呼び始めた名前、と言われていますがそれは2つある由来の1つです。もうひとつの由来は、スペインが最強の海軍として名をはせるようになったレパントの海戦です。

レパントの海戦とは当時、強大な力を持っていたオスマン帝国とスペインを含めた連合軍との戦いです。スペインはこの戦いで主力の1つとして戦い、オスマン帝国を打ち破りました。この戦いでスペインの海軍は最強の名前を得て、無敵艦隊と呼ばれるようになったのです。

対して、イギリスとぶつかったアマルダの海戦では、国力に劣るイギリスに敗北してしまいます。誰もがスペインの勝利を疑わなかったアマルダの海戦で勝利できたことにより、イギリスとしては艦隊の威容さの割りにと皮肉り「無敵艦隊」と呼んだそうです。

スペインでは単に「大艦隊(アルマダ)」と呼ばれていました。

いずれにせよ、無敵艦隊に勝利したイギリスが「無敵艦隊」と呼び始めたのなら、皮肉以外のなにものでもありませんね。

スペインの無敵艦隊はどんな船だった?

ガレー船・ガレアス船

ガレー船

ガレー船とガレアス船は、オールを漕いで進む人力の軍艦です。

ガレー船は人力で進むため長距離の航行には適さない船ですが、帆船と比べて風の弱い日でもある程度自由に航海ができるという利点を持っています。急な加速や減速、旋回など細かい操作においては帆船よりも優れており、また人員を多く必要とすることから海上の戦闘に用いられていました。

船体は同時代の帆船と比べると細長く、また水面から甲板までの距離が短いことから荒天に弱いうえに積載容量が少ないという欠点を持っていました。

ガレアス船

ガレアス船はガレー船よりも船体が大きく、さらに軍用目的に特化した船です。ガレー船に帆船の機能を足したような船で、3本のマストと32本のオールがついていました。軍用に特化したため、13〜16門ほどの大砲を積めました。

しかし、重装備だったため機動力に問題があり、一隻あたりの製造コストも維持費もかかるという欠点も持っていました。

キャラック船

キャラック船。画像は有名なサンタ・マリア号の復元

キャラック船とは、15世紀に開発された帆船です。遠洋航海を前提に開発された船であり、高波でも安定する巨大な船体と、大量輸送に適した広い船倉を持っています。

全長は30mから60mあり、船の全長と幅の比率は3:1とずんぐりとした形をしています。マストは3〜4本備えられており、船倉は複数の層からできていました。

スペースが豊富にあったため、物資の輸送に都合が良く、貿易船として用いられていました。また大きい船体を持っていたため、船の安定性が良く戦闘用としても使用されました。しかし、強い風に弱く、突風による転覆の危険性は高かったようです。

ガレオン船

ガレオン船。フランシス・ドレイクが世界一周に使用したゴールデン・ハインド号が有名

ガレオン船とは、戦闘用に使われた帆船でキャラック船の発展系として作られました。キャラック船よりも小さい船倉を船の前方と後方に1つずつ持っていました。特に後方の船倉は最大2層から構成されており、甲板には3本のマストを搭載。船体は500〜600トンほどありました。

スペインの船は性能よりも見た目を重視していたため、スピードはあまりでませんでした。無敵艦隊の旗艦であったサン・マルティン号は50門ほどの大砲を備え、1000トンほどもありました。このことから、スペインの船は速度よりも火力を意識していたと言えます。

ガレオン船は大砲や人を多く乗せられることから、無敵艦隊の中でも主力を担う船種でした。

無敵艦隊ができた背景

ガレオン船やガレー船など、当時の船は製造費も維持費もかかった

レパントの戦いに勝利したスペインは、交易により国力が強化され、無敵艦隊を作るに至りました。

この頃は、世界史で言うところの大航海時代です。スペインは国が、当時交易が盛んだった地中海と大西洋に面していました。またアメリカ大陸やアフリカ大陸へのアクセスも良く、好条件がそろっていたのです。

さらに、1580年にスペインはポルトガルを併合しました。ポルトガルにはリスボンやポルトと行った優れた港があり、スペインの発展に拍車をかけたのです。有力な航海士もそろっており、スペインは交易で得た利益を、艦隊へ投資しました。

結果、無敵艦隊と呼ばれるほどの海軍へ成長できたのです。

無敵艦隊に関わった重要人物

フェリペ2世

フェリペ2世。スコットランド女王メアリー・スチュアートを王位につけようと画策したがエリザベス1世に阻止されてしまう

フェリペ2世は、無敵艦隊の設立の関わったスペインの王です。さらにイギリスへ無敵艦隊を派遣した王でもあります。

1571年のレパノンの海戦に勝利したスペインは、最強の海軍を持つ国として有名になりました。また1580年にはポルトガル併合によって莫大な富を得て「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれる最盛期を迎えることとなります。

順調だったスペインですが、イギリスの女王にエリザベスがつくと事情が変わります。今まで親スペインだったイギリスは反スペインの国になってしまったからです。イギリスの反スペインはフェリペ2世にとって頭の痛い問題でした。

イギリスへの無敵艦隊派遣は、詳しくは後述しますがイギリスの反スペインな態度に耐えかねたのが理由です。

エリザベス1世

エリザベス1世。スペインの無敵艦隊の撃退はエリザベス伝説として後世に残った

エリザベス1世は、無敵艦隊と戦ったイギリスの王女です。1558年に王位を継承し、宗教改革を行ってスペインと敵対しました。

オランダ独立戦争を陰ながら支援するだけでなく、イギリスの財政難を補うために海賊を援助しスペインと戦わせていました。また、スペインの港や艦隊を襲撃して多大な戦果をあげた海賊フランシス・ドレイクを「ナイト」の爵位を与えました。

アルマダの海戦では国を守る兵士たちを激励するために、ティルベリーの演説を行いました。ドレイクらの活躍によりスペイン軍はイギリスの土を踏むことなく、エリザベス1世の名を高めました。

この戦いの後、セント・ポール大聖堂にはエリザベスに感謝の祈りを捧げる行列ができたといいます。

フランシス・ドレイク

フランシス・ドレイク。実は12人兄弟の長男だった

フランシス・ドレイクは無敵艦隊に勝利したイギリスの海軍中将です。

もともとは当時合法だった奴隷貿易で生計を立てていた船乗りだったのですが、航海の途中でスペイン軍の奇襲にあってしまい死にかけます。その出来事をきっかけに海賊となり、スペイン船を襲い始めました。

スペイン船から得た戦利品は当時のイギリスの国家予算を超えており、それをエリザベス女王に献上したことによりイギリス海軍へと迎え入れられます。

そういった経緯からアルマダの海戦では海軍中将という立場で参加し、小型船の機動力を活かしてスペインの無敵艦隊を翻弄。さらに火をつけた小型船をスペイン艦隊の中央に突撃させるなどの奇策を取りました。

結果、アルマダの海戦はイギリスの勝利で終わり、ドレイクは積年の恨みをはらすことに成功しました。

無敵艦隊の活躍と衰退

無敵艦隊編成のきっかけとなったレパントの海戦

レパントの戦い。連合国側はスペイン・ヴェネツィア・ジェノヴァ共和国を含む8ヵ国が参加した

レパントの海戦は1571年にギリシア西方沖で起こった、スペイン含む連合軍とオスマン帝国軍の戦いです。この戦いは連合軍が勝利し、主力の一角を担ったスペインの勢力を強め「無敵艦隊(アルマダ)」と呼ばれる大艦隊を編成するきっかけとなりました。

レパントの海戦とは?起こった場所や原因、結末を分かりやすく解説

レパントの海戦が起きた16世紀後半は、貿易の中心が地中海から大西洋に移る時代でした。当時新興国であったオランダやイギリスは、スペイン船が南アメリカから運ぶ銀を狙い、海賊行為を行っていました。

そこでスペインは海賊行為から船を守るために、大西洋方面の艦隊を貿易で得たお金で強化していきます。艦隊はみるみる成長していき、最強の海軍は無敵艦隊と呼ばれるまでに強大になっていきました。

無敵艦隊が出撃したアルマダの海戦

アルマダの海戦を描いた絵『無敵艦隊の敗北』

アルマダの海戦とは、1588年にドーヴァー海峡で起こったイギリスとスペインの戦いです。

この頃のスペインはイギリスに手を焼いていました。理由は大きく分けて2つです。

  • オランダの独立戦争を支援していた
  • 海賊を支援し、スペイン船を襲っていた

以上の問題を解決するべく、スペインのフェリぺ2世は無敵艦隊をイギリス制圧のために派遣しました。130隻の戦艦から構成される無敵艦隊に対して、イギリスは戦艦34隻と武装商船163隻(ほとんどが海賊船)で迎え撃ちました。

当初は国力で勝るスペインが勝つと思われた戦いですが、世界1周を成功させていたドレイクの経験と計略により、戦局は引き分けに終わります。それほどダメージのなかった無敵艦隊ですが、帰り道で遭遇した嵐によって大きく戦力を削がれたため敗北しました。

アルマダの海戦とは?原因や経緯、勝敗、その後の影響まで解説

このアルマダの戦いをきっかけに、スペインは衰退していきます。対して、制海権を得たイギリスは海洋帝国として繁栄するきっかけを掴みました。

無敵艦隊の敗因

船が大きすぎた

ドーヴァー海峡での海戦の進路。中央のばつ印が戦った場所。左上が船が難破した場所

無敵艦隊の敗因は、戦った海域の地形に対して船が大きすぎたことです。

ドーヴァー海峡は、大西洋のように広い海ではありません。むしろイギリス海峡の中でも最も狭い海でした。最も狭い場所は34kmほどしかなく、船体に対して海が狭かったため、スペインの船では小回りがききません。

このように、機動力に欠けていたスペインに対してイギリス海軍は、小型のガレオン船を使って縦横無尽にスペイン軍を翻弄しました。

また、戦術にも問題がありました。この頃の海戦は敵船に船をつけて人を送り込み、斬り合いで決着をつけていました。当然今回もそうなると思われましたが、予想に反し戦闘は大砲の撃ち合いとなってしまいます。

しかし、スペイン側の大砲は射程が足りず、イギリス側は大砲の威力が足りず、決着が付きませんでした。

機動力不足により接近戦に持ち込むことができず、天気が急変したためスペイン軍は撤退を余儀なくされたのです。

暴風雨

無敵艦隊に大打撃を与えた嵐についてフェリテ2世は「私は艦隊を人間に対して送ったのであり、神の風や波浪に対してではない」と語った

イギリス海軍に翻弄されたとはいえ、ダメージ自体は大したことがなかったスペイン。しかし、自国へ帰る途中に遭遇した暴風雨により、壊滅的なダメージを負ってしまいます。

この時代の船はほとんどが風に頼る帆船でした。暴風雨はそんな帆船にとって大敵です。さらにスペインの航海士はイギリスの海に不慣れで、うまく舵をとることもできませんでした。

結果、スペインの艦隊は船の損壊や食料・水不足によりスペインにつく頃には半数が脱落。なんとか帰国できた船もその半数が再使用に耐えられない状態でした。

日本で言うところの神風がスペインの敗因となったのです。

無敵艦隊に関するまとめ

無敵艦隊について紹介しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

  • 無敵艦隊は130隻の軍艦で構成されたスペインの艦隊。名前はレパノンの海戦での活躍と、イギリスの皮肉が由来となっている
  • 無敵艦隊の敗因は、船が大きすぎたことと帰り道の暴風雨で艦隊が壊滅状態になったこと

本記事を書くにあたり、無敵艦隊について調べたのですが、イギリスが海賊を支援していたことには驚きました。海賊と言えば船を襲って金品を強奪する悪者のイメージがありますが、イギリスにとっては敵国を襲って、自国の財政難を解決してくれるありがたい存在だったのかもしれませんね。

この記事が無敵艦隊を知る手助けになれば嬉しいです。レキシルでは、他にも歴史上のさまざまな事柄について解説した記事があります。興味のある方はぜひご覧ください!

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