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明智光秀の家紋「桔梗紋」の意味とは?種類やまつわる噂も解説

大河ドラマ『麒麟が来る』でおなじみの明智光秀。戦国時代最大の裏切り者として知られる光秀の家紋が、実はあらゆる噂を呼んでいることをご存知でしょうか。形は知っていても由来までは知らないという人も、光秀の家紋の噂について知らない人も、ぜひこの機会に学んでみてはいかがですか?

今回は明智光秀の家紋の由来と種類、実際に使用していたとされる歴史上の偉人と、家紋が呼んだある噂について迫っていきます。どうぞ最後までお付き合いください。

明智光秀の家紋は「桔梗紋」

明智光秀。短期間の成功を意味する言葉を「三日天下」と呼ぶのは彼が由来。

明智光秀の家紋は、植物がモチーフとなっています。この家紋は「桔梗紋」と呼ばれ、紫色の鮮やかな花、桔梗がその形の由来となっています。では、この桔梗紋の由来はどこにあるのでしょうか。また桔梗紋の種類と、光秀が用いたと言われる「別の家紋」についてもご紹介します。

桔梗紋の由来は?

桔梗の花といえばこの色だが、白い花もある。

桔梗紋の由来は花であると先ほどお話しました。桔梗はキキョウ科の多年草で、ユリのようなベル型、青紫色の星型をしているのが特徴です。

桔梗が家紋に採用された理由は諸説ありますが、もっとも有力なのは占いの「吉凶」を表すためだとされています。桔梗は神仏に供えられる花として古くから採用されており、げんを担ぐ意味で家紋となった、と言われているのです。占い由来の家紋とは、戦国武将らしい家紋を光秀は掲げていたのですね。

桔梗紋には2つある

実は桔梗紋には形がほぼまったく同じなのに色が違う、いわゆる「色違い」が存在します。ただの色違いであれば話は簡単なのですが、使っていた家や意味合いが少し異なるのです。ここでは、色違いの桔梗紋2種類についてご紹介します。

水色桔梗

明智光秀が実際に使ったとされる「水色桔梗」。鮮やかな青色をしている。

家紋に色がついているというと不思議な感じがしますが、明智光秀が使ったとされる家紋は「水色桔梗」と言われるものです。その名のとおり水色に染め抜かれた鮮やかな桔梗が特徴的な家紋です。馬印によっては水色地の布に白で描かれている場合もあります。

最初に水色桔梗を使ったのは平安時代に起きた清和源氏の流れをくむ武将だとされています。これが美濃国にたどり着いて土岐氏となり、その家系から明智光秀が世に出たとするのが通説です。ただ、異説もあるので明確な出どころは不明。しかし、織田信長が倒された本能寺の変で本能寺を取り囲んだ桔梗は水色だったとする記録が残されています。光秀が水色桔梗を使っていたのはほぼ確実でしょう。

土岐桔梗

「土岐桔梗」。「土岐」とは美濃国の土岐氏のことを指している。

桔梗紋のもうひとつは「土岐桔梗」と呼ばれる白地に黒色の桔梗紋です。形は水色桔梗とほぼ同じで、ぱっと見た感じではただ色が違うだけです。「家紋と言えばこのカラーリング」という感じで、水色桔梗と比べるとインパクトには欠けます。

なぜ桔梗紋に2種類あるかというお話ですが、実は土岐桔梗はいわゆる後出しで出てきたものだからです。先にあったのは水色桔梗の方なのも意外な話ですが、土佐桔梗が出現したのは江戸時代以降と言われています。その理由は水色桔梗が「裏切り者」の象徴になってしまったからだと言われています。本能寺を取囲み、主君を打倒したのちすぐにやられてしまった光秀の家紋を避ける意味で使われたとする説が有力です。

「影の桔梗」と「丸に橘」

さらに光秀には、水色桔梗以外の家紋を使っていたという話があります。それが「影の桔梗」と「丸に橘」です。

「影の桔梗」のイメージ図。黒地に白の桔梗という少し奇妙なデザイン。

「影の桔梗」は、土岐桔梗に似ていますが、黒地に白でデザインされたもの。「影」とつくので、なにか陰謀めいたものを感じさせますが、あまり深い意味はないとされています。戦場や時期の関係で水色が使えなかった時期に、水色桔梗の代わりとして使われたとする説が有力です。

「丸に橘」の紋。橘の木は朝廷にも天皇の席から見て右側に植えられていた。

一方の「丸に橘」ですが、こちらは替紋と呼ばれるものだと言われています。家紋は厳密に言うと2種類あり、その家を表す正式なものである「定紋」と、何らかの事情で定紋が使えない時に使用する「替紋」がそれに当たります。「丸に橘」は光秀の替紋とされているため、こちらも光秀の家紋としては正解です。ただ、桔梗紋ほど有名ではありません。

桔梗紋の使用者は他にもいた

桔梗紋=明智光秀のイメージが強いのですが、歴史上、桔梗紋を使用したのは光秀とその本家と言われる土岐氏だけではありません。私達がよく知る歴史上の人物も、実は桔梗紋を使用してたのではないかとする説があるのです。ここでは、2人の桔梗紋を使用したとされる人物についてご紹介します。

加藤清正と桔梗紋

加藤清正の肖像画。賤ケ岳の七本槍で知られる武闘派の戦国大名。

まず最初に紹介するのは、戦国〜江戸時代にかけての大名・加藤清正です。肥後に本拠地を置き堅牢な熊本城を築城したほか、豊臣政権下でも手腕を発揮したことで知られています。

加藤家の家紋である「蛇の目紋」。蛇の目に見えることからそう呼ばれている。

加藤清正が桔梗紋を用いたのは、定紋ではなく替紋としてでした。清正の定紋は「蛇の目」と言われるもので、白の大きな円の真ん中に黒の円が描かれたシンプルな家紋でした。替紋として桔梗紋を持っていたのです。これは公式の記録にも残っています。

しかし、何故か桔梗紋を使った人間はなぜか不運に見舞われます。清正にも毒殺説がありますが、本当の不運は清正死後。改易の憂き目にあい、加藤家は没落していったのです。

あの龍馬も使っていた?子孫という噂も?

坂本龍馬の写真。彼と明智光秀の関係が囁かれたのはその死から20年ほど経ったあとだった。

桔梗紋の使用者は、光秀の時代の前後だけではありませんでした。その1人に、かの有名な幕末の英雄・坂本龍馬がいます。

坂本龍馬は明智光秀の子孫という噂があります。同じ桔梗紋を使っていたことと、龍馬の名字が光秀の居城であった近江坂本城と同じであることから、明治16年に発表されました。当時発表された内容は以下のとおりです。

坂本龍馬其人の来歴を尋るに其祖先は明智左馬之助光俊が一類にして江州坂本落城の砌り遁れて姓を坂本と改め一旦美濃国関ヶ原の辺にありしが其後故ありて土佐国に下り遂に移住て郷士となり今も家の紋処は桔梗を用ゆる…

しかしこの説は現在ではほぼ否定されています。そんな龍馬もまた、志半ばで暗殺されるという最期を遂げました。

光秀と江戸幕府にまつわる噂

明智光秀の家紋にまつわる噂は数多く、ここでは紹介しきれないほどあります。一般に桔梗紋使用者の最期は不運に見舞われることが多いのですが、この桔梗紋をめぐるひとつの噂があります。それはどのような噂なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

日光東照宮の桔梗紋

日光東照宮にある桔梗紋と思われるもの。複数あしらわれているのがわかる。

その噂の出どころは日光東照宮。言わずと知れた江戸幕府の創始者・徳川家康を祀る神社です。

その日光東照宮のある建物にあしらわれた家紋の中に、桔梗紋と思しきものがあるのです。徳川家にゆかりがあり、かつ日光東照宮建造に関わったとされる大名たちの家紋が並ぶ中に、です。当然、この当時明智家はすでに没落しています。

では一体誰が何のために桔梗紋があしらわれているのでしょうか。探っていくとある謎の人物に行き着きます。

南光坊天海という謎の人物

謎の高僧・南光坊天海。弟子に出自を語らなかったため前半生は謎だらけである。

謎の人物とは、徳川家3代に仕えた高僧・南光坊天海。草創期の江戸幕府の体制づくりに尽力した人物ですが、実は彼が明智光秀ではなかったのかとされているのです。

天海の生い立ちから江戸幕府のブレーンとして登用されるまでの期間は謎に包まれています。彼にまつわる史料を紐解いていくと、生まれ年はほぼ光秀と同じであることがわかります。これだけなら単なる偶然に過ぎませんが、日光東照宮にある滝の見える崖に「明智平」と名付けたり、光秀の出自とされている美濃一帯の有力者を登用したりと裏付けとなりそうな理由がいくつかあります。

そもそも光秀は天王山の戦い以降、首実検を秀吉がしなかったため明確に死んだと証明されていません。もし彼が生きていたとしても何ら不思議ではないのです。

噂の真相はどうなのか?

高野山にある明智光秀の墓。現在は観光地となっている。

天海の功労から、彼が持っていた明智の家紋である桔梗紋が、日光東照宮にあしらわれていたとしても何ら不思議ではありません。しかし、残念ながらこの噂は信憑性が低いとされています。

理由はいくつかありますが、家康が光秀を重用する理由がないことがもっとも力のある理由になります。光秀は、当時の家康の同盟相手である信長を倒した敵。到底自分の政権中枢に採用するような人間ではないでしょう。面識がなかったのなら正体を隠しとおせばいいのでまだわかりますが、本能寺の変の前から両者には面識があります。バレないわけはありません。そのため、光秀=天海説は多くの学者により否定されています。

そもそも日光東照宮の桔梗紋についても、違うものではないかとする説が有力です。よく似た別の家紋とする話もありますが真相は謎のままです。

明智光秀家紋に関するまとめ

明智光秀の家紋について、由来や種類・使用者から噂までご紹介しました。光秀の死後、裏切り者のレッテルを貼られてしまった桔梗紋は戦国大名や江戸時代の武士からも避けられるようになります。そのため、使用者が珍しいという理由でさまざまな噂の出どころになったのでしょう。数奇な運命をたどったのは光秀だけではないのでした。

では、長い時間お付き合いいただきありがとうございました!

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