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マルタ会談とは?内容や参加者、ヤルタ会談との違いを分かりやすく解説

「マルタ会談ってどんな会談?」
「マルタ会談とヤルタ会談の違いは?」
「マルタ会談は誰と誰がおこなった?」

この記事をご覧のあなたはそのような疑問を持っているのではないでしょうか?マルタ会談とは、 1989年12月にアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がマルタ沖の船上で行った会談のことです。

マルタ会談では軍縮や革命が続く東欧の問題、ドイツの再統一などについて話し合われました。具体的な決定事項はありませんでしたが、両首脳はそろって冷戦の終結を宣言します。

今回はマルタ会談とは何か、マルタ会談とヤルタ会談の違い、マルタ会談の参加者などについてまとめます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

マルタ会談とは?

マルタ会談のきっかけとなったベルリンの壁崩壊

マルタ会談とは、1989年に地中海の中心にあるマルタ島で米ソの首脳が行った会談のことです。この会談では1989年に起きていた東欧諸国での革命の動きや、マルタ会談直前の11月におきたベルリンの壁崩壊とそれに関連してドイツ統一などについて話し合われました。

しかし、具体的な取り決めはなく、アメリカとソ連の首脳が冷戦の終結を宣言するという象徴的な意味合いが強い会談となりました。これにより、ヤルタ会談から続いた東西冷戦に終止符が打たれます。冷戦がはじまったヤルタ会談との比較から、「ヤルタからマルタへ」といわれました。

ヤルタ会談とマルタ会談の違いとは?

ヤルタ会談に参加したルーズベルト大統領、スターリン首相、チャーチル首相

ヤルタ会談は冷戦の始まりとなった会談で、マルタ会談は冷戦の終結を宣言した会談でした。ヤルタ会談は1945年2月にアメリカのルーズベルト大統領、ソ連のスターリン首相、イギリスのチャーチル首相が黒海沿岸の保養地ヤルタに集まって開かれます。

ヤルタ会談の議題は第二次世界大戦の戦後処理でした。当時、ナチスドイツは敗北間近となり、太平洋方面でもアメリカの優位が確立しつつありました。ヤルタ会談は戦後の世界の覇権を誰が握るかを話し合ったものであり、アメリカ・イギリスの資本主義陣営とソ連率いる社会主義陣営の対立が浮き彫りとなりました。そのため、ヤルタ会談後から冷戦が始まります。

一方のマルタ会談は冷戦の終結を宣言した会談でした。そのため、冷戦は「ヤルタに始まりマルタに終わる」といわれました。ヤルタとマルタは名前が似ているため混同しやすく、注意が必要です。

会談が行われた場所は?

マルタは地中海の島

マルタ島の位置

マルタ島はシチリア島の南に浮かぶ島で地中海のほぼ中央に位置します。1522年、オスマン帝国に敗れロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団はマルタ島を本拠地とします。マルタの首都バレッタはオスマン帝国のマルタ攻撃を退けた騎士団長の名前に由来します。

1795年、ナポレオンはエジプト遠征の途中にマルタ島を占領します。ナポレオン戦争後、マルタ島はイギリスの所有となりました。第二次世界大戦中は、連合軍の拠点となり枢軸国の激しい空爆にさらされます。戦後、マルタはイギリスから独立しマルタ共和国となりました。

現在、マルタは地中海の中心という立地を生かし貿易や観光を主要産業としています。騎士団時代の遺跡が残る首都バレッタの市街地は世界遺産となっていて重要な観光資源となっています。

会談は船の上で開かれた

マルタ会談は首都バレッタの市街地ではなく、ソ連が所有する客船「マキシム・ゴーリキー号」の船上で行われました。この船は1969年にドイツで建造されます。その後、4年間ドイツで運行された後、ソ連に売却されました。

マキシム・ゴーリキー号が停泊したマーサシュロック

両首脳はマルタのマーサシュロック(マルサシュロック)湾に停泊したマキシム・ゴーリキー号の中で会談を行いました。

ちなみに船名の「マキシム・ゴーリキー」とは、ソ連を代表する作家の名前です。1895年の『チェルカシュ』や1898年の『記録と物語』、1902年の『どん底』などの作品で一躍有名となり、ロシアではチェーホフやトルストイに並ぶ名声を得た作家です。

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