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老子とはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や思想、老子の教えを学べるおすすめ書籍も紹介!】

老子は周の時代に生きたとされる諸子百家の1人で、同時代を生きた孔子や荘子と並んで、中国を代表する思想家としてとらえられています。しかし、その生涯は謎に包まれており、本当に老子という人物がいたのか、老子は200歳まで生きたのではないか、著書「老子道徳経」は複数の人物による共編ではないかという様々な意見が飛び交っているのです。

老子

老子は「道(タオ)」や「無為自然」を説きながら人生を全うし、「老子道徳経」の中において、「大器晩成」、「千里の道も一歩から」などの有名なことわざの語源ともなる言葉を残しました。そして、誰もその存在を確信できるものはいないにも関わらず、老子の教えを元に「道教」という宗教が成り立つことにもなるのでした。

老子は世間に注目されることを嫌い、庶民に紛れながら教えを説いていったとされていますが、諸子百家の書物「荘子」や「荀子」にもその名前が登場することから、その教えはのちの思想家たちにも影響を与えていたことがわかります。

今回は謎多き老子の生涯を詳しく調べてみたいと思った筆者が、様々な文献を読み漁った結果得た知識を元に、老子の生涯、名言、孔子や荘子との関係性についてなど幅広く紹介していきます。

老子とはどんな人物か

生年、没日、没地など不明な事柄だらけな老子
名前老子(姓:李(り)、名:耳(じ)、本名:李耳(りじ)、元服してからの字(あざな):伯陽(はくよう)、死後の諡(おくりな):聃(たん))
誕生日不明(紀元前550年代、紀元前400年代など確かな月日は定まっていない)
没日不明
生地楚の国・苦県・厲郷の曲仁里(現在の河南省周口市鹿邑県)
没地不明
宗教道教
経典老子道徳経
学派老荘思想、道家
思想道(タオ)、無為自然
配偶者不明
埋葬場所不明

老子の生涯をハイライト

中国の図書館 老子は図書館の役人をしていたとされる

老子の生涯をダイジェストすると以下のようになります(司馬遷の「史記」参照)。

  • 紀元前550年前後に老子が誕生、孔子(紀元前552年誕生)よりも数年早いとされる
  • 老子は図書室の役人を生業としていた
  • ある日、孔子が老子を訪ね「礼」について質問をしようとするも、老子は孔子の態度を罵って、追い返す
  • 周に先の未来が見えないことを嘆き、周を去ることを決意
  • 周から立ち去る際に通った関所において、関所守りの長官・尹喜と出会う
  • 尹喜に「ぜひ私のために書物を書いてください」と依頼され、上下二巻に渡る書を執筆、「老子道徳経」と名付ける
  • 「老子道徳経」を書き終え、関所を後にする、その消息を知る人は誰1人としてない
  • (老子が200歳まで生きたとする場合)紀元前350年頃、秦国のトップと面会し、「約600年後に天下統一を成し遂げる人物が現れる」と予言

数々の思想を紹介!(女性原理の哲学、水の思想、赤子の思想など)

老子は女性がより無為自然に近いと考えた

女性原理の哲学

「男性の剛強さの限界を知り、女性の柔和さを守りつづければ、やがて天下の水を集める谷となることができよう。」

老子の中では「柔弱の徳」と呼ばれていますが、処世術の中でもっとも尊重すべき考え方が、柔弱の精神を持ち、自らを低きに起き、周りと調和する精神を持つことなのです。女性は柔弱の精神を持っていることから「無為自然」の状態に近いと老子は説いているのです。

老子の理想郷は「小国寡民」

「天下には始めがあり、これを天下の母とよぶ。この母を体得した上で、その子である万物を知り、その子を知ったあとでふたたび母に帰ってこれを大切に守るようにすれば、一生その身を安らかにすることができよう。」

女性は柔弱の理想形となるばかりではなく、万物の根源でもある「母」にもなる、そして、その思想は「道(後述)」にも繋がっていくと述べられています。

老子は、女性のようにしなやかに生きることで永続的に「無為自然」を遂行できると述べており、男性のような剛強の精神では、世間から賞賛を得られるかもしれませんが、長続きはしないということを説いたのでした。これが女性原理の哲学です。

水の思想

「天下に水より柔弱なるはなし。しかも堅強なる者を攻むるに、これによく勝る者なし。その以てこれを易うるなきを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざるはなきも、よく行うとことなし。」

水はどのような器にも収まる

水はどのような器にもおさまるように、相手によってその姿を変化させ、柔軟に存在している、これほど柔弱なものは他に類を見ない、と老子は述べています。その一方で「雨垂れ石を穿つ」というように、岩を突き通すような威力を発揮することもあるため、老子の哲学の中では「水」が「女性」と並んで、生き方の参考にすべきものであるとしました。

赤子の思想

「精気を純粋に保ち、柔和の徳をきわめ、嬰児のようでありたいものだ」

意識的に心を現せることが無為自然に近づく一歩

人間の中で柔弱の最たるものは嬰児(赤子)であると老子は述べています。赤子は生まれたばかりのため、人間のうちで最も無為自然に近い、そして、自然の徳を備えた人間ほど赤子と比較されるようになると考えました。

老子・荘子・孔子について簡潔に説明

諸子百家の面々

老子は「老子道徳経」を執筆し、「道教」の始祖として信仰されている人物ですが、その実体は謎に包まれています。荘子は紀元前300年前後に活躍し、「荘子」を執筆した思想家で、老子とともに「道教」の始祖として知られていますが、荘子の生涯もベールに包まれており、詳しいことはほとんど分かっていません。

孔子は唯一、生涯に関する資料が多く残されている人物で、弟子たちによってまとめられた孔子の言語録が「論語」として出版され、現在に至るまで多くの人々に愛される書物となりました。

孔子は人々が「仁(人道的人間愛)」を身につけ、「礼(家父長制を主とする身分制度)」に従うことによって理想的な社会が成り立つと説き、老子と荘子は「老荘思想」として「無為自然」という思想を掲げました。

道教の経典「老子道徳経」とは?

「老子道徳経」 全部で八十一の章からなる

「老子道徳経」とは春秋戦国時代の諸子百家の1人である老子が書いた書物とされており、同じく諸子百家の1人である荘子の書いた「荘子」とともに道家の代表的書物として数えられています。上下二編に分かれており、全部合わせて八十一の章が収められました。

孔子 老子は度々、孔子の思想に反論した

「老子道徳経」は孔子の思想が根幹となっている儒教に関して、これを批判する形で書かれており、「仁義、善、忠誠、知恵などはそれらが現実に少なすぎるからもてはやされるのであって、道の存在する理想的世界においては必要のない思想である。」と一蹴しています。

この「老子道徳経」の思想が、のちの「荘子」や「淮南子」などに影響を与え、「道教」の信仰として確立するようになるのでした。老荘思想は中国だけでなく、日本などのアジア圏へと広まり、19世紀以降にはヨーロッパの各国語に翻訳されるなど、いまだに多くの人々に影響を与えているのです。

老子の提唱した「道(タオ)」とは?

万物の根源は「水」であると説いた世界最古の哲学者・タレス

老子は「老子道徳経」の中で、「道(タオ)」を自然の法則や道徳的規範、美や真実に至るまでの全ての根源として定義しました。実際は「道」と名付けることのできないものとされますが、解説をつけるために仮に「道」と名称をつけたとされています。

「道」には「天道」と「人道」があり、「天道」は世の中に存在する万物の、始まりから終わりに至るまでの自然法則に関わる「道」を指し、「人道」は人間世界における道徳的規範や真実に関わる「道」のことを指します。

孔子は自らは「天才」ではなく、後天的に「道」を得たと語った

儒教の祖・孔子も「道」の思想を継承し、「天道」を受け入れ、詩経・論語などの書物においては「人道」について自らの言葉を述べ、その名言が収められました。さらに、孔子は「我、生まれながらにして道を知る者(天才)に非ず。古を好み怠らず勉学して求め知った。」と述べたとされています。

老子の功績

功績1「道教の始祖」

道教の最高神・三清

道教は儒教、仏教と並んで中国三大宗教の一つに分類されています。漢民族から発生した伝統的な宗教ですが、現在でも台湾・東南アジアを中心に、道教を信仰する人々は世界各国に3000万人ほどいると言われています。

道教は老子が始祖とされ、老子が「老子道徳経」において提唱した「道(タオ)」が道教の中心的概念として掲げられました。道教の信仰においては、「道」と一体となる修行を行い、各自がそれぞれで「恒常不変の道」を見つけ出すことが最終的な目標として設定されています。

しかし、修行の結果、仮に「道」を悟るに至ったとしても、言葉を用いて言い表せる「道」は真の「道」ではないとされるため、その「道」を他人に教えることはできないと言われています。道家の書物に書かれている「道」はただの名称に過ぎず、「恒常不変の道」は人によって異なってくるのです。

不老不死の霊薬とされる「エリクサー」 老子の時代は「丹」が不老不死の霊薬とされた

さらに、不老長寿であることが、人生の時間を増やし、修行の期間を増やし、ひいては「道」を見つけ出す機会を増やす条件となるため、修行を行うために、まず不老不死の霊薬・丹を練る作業(練丹術)を行い、仙人となることが究極の理想であると説いています。

功績2「道教の三清の1人として太上老君の神名をもつ」

道教における三清 老子は「道徳天尊(太上老君)」

道教には最高神格と呼ばれる称号を持つ者がおり、その3者を「三清」と呼びます。その「三清」とは最高神「元始天尊」、「道(タオ)」の神格化である「霊宝天尊(太上道君)」、そして、老子の神格化である「道徳天尊(太上老君)」とのことを指しているのです。

道教において定義される天上界には「最高天」と呼ばれる最高神格の住居が存在し、それぞれ「玉清境」、「上清境」、「太清境」と名付けられています。つまり老子は「霊宝天尊(太上道君)」としての神名を持ち、「太清境」と呼ばれる最高天に住んでいると伝えられているのです。

老子の名言

老子の珠玉の名言

「寵辱に驚くが若くし、大患を貴ぶこと身の若くす。」

意味は「褒められたい」という気持ちが強いと「貶されるかもしれない」という不安も強くなるということで、解釈としては自分を無理に良く見せようとせず、自然のままでいること、人の評価に振り回されず、自然体の自分でいる方が力を大いに発揮できるということです。

「信言は美ならず、美言は信ならず。」

意味は自分の為になる言葉は心地よく聞こえない、心地よく聞こえる言葉は自分の役に立たないということで、解釈は自分が心地よく感じる言葉と本当に必要な言葉は全く別であり、自分の耳に痛い言葉にも耳を傾けなけばならないということです。

「企つ(つまだつ)者は立たず、跨ぐ者は行かず。」

意味は爪先立ちでは長く立っていられない、大股で歩いても疲れてしまうということで、解釈は他人に良いところを見せたくて見栄を張ってしまっても、それを長く続けることはできない、自然な自分でいる方が物事を長く続けられる上に、自分の力を発揮できるということです。

「大器晩成」

意味は大きな器は晩年に至るまで完成することがないということで、解釈は真に偉大な人は若い頃は目立たず、年を取ってから才能を現す、そして、いつまでも完成することはないということです。

「千里の行も足下より始まる。」

意味は千里の旅もまず一歩から始まるということ、解釈は大きなことを成し遂げるためには小さなことを積み重ねるのであるということです。

老子にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「孔子を罵倒した?」

孔子が「礼」について聞こうとしたところ、老子はそれをはね退けた

老子と孔子は同時代に会見したとされるエピソードが存在し、その話によると、老子は孔子の先輩として扱われており、孔子が老子に「礼」の教えを請おうとしたとされています。その際、老子は孔子に対して次のように述べたそうです。

「君がありがたがっているのは昔の死人ばかりで、残っているのはその言葉だけではないか。そんなものは一文の価値もない。それに、第一、君の態度が鼻持ちならない。良い商売人は品物を深く蔵して、人前に見せびらかそうとはしないし、立派な人物は内に優れた徳を持ちながらも、外面は愚人のように見えるものだ。」

老子は上記のような話をして孔子を追い返したとされていますが、このエピソードは「老子道徳経」の老子の思想と、孔子の「論語」の思想を比較して、後年に作成された作り話や伝説の類ではないかとされています。

都市伝説・武勇伝2「知識は真理を捉えないとし、知識を否定した」

老子は知識を人為ありきのものとして否定

老子は一切の人為をなくして自然のままに生きることを思想の根本としていましたが、その自然に反する人為の中には知識をはじめとして、学問、欲望、技術、道徳、法律などが含まれていました。

なぜ知識を否定したのかというと、人間が物を知るというのは分析・理解という過程があるように、一つの物を二つに分解して理解しようとする、すなわち、相対的に判別をするという行為を行うことになります。

彼と此、前と後、善と悪、美と醜のように二つを比べてとらえるということはその時点で人為が加えられており、元々は一つであるはずの自然の物をゆがめ、破壊してしまうことに他ならないのであると結論づけました。ありのままの物、自然の物はあくまで一つであって、分断を許さないというのが老子の考え方なのです。

都市伝説・武勇伝3「母親は老子を懐妊してから62年間も胎内に宿していた?」

老子の母・「真砂玉女」は梅の木にもたれかかり、脇腹から老子を出産

老子はその存在が不明瞭であることから、様々な伝説が作られている人物でもあります。「神仙伝」によると、老子の母親である「真砂玉女」が紀元前600年頃、流れ星を見た際に老子を懐妊し、以後62年間(72年間説、80年間説、3700年間説もある)に渡って胎内に宿していたと伝えられました。

また、出産の形式も変わっており、「真砂玉女」が梅の木にもたれかかったときに、彼女の左脇腹から老子を出産したとされています。そして、生まれ出た老子は白髪混じりのあご髭と長い耳たぶを携えた老人のような姿をしていたそうです。

都市伝説・武勇伝4「不老長寿の秘術を修得し、200歳まで生きた?」

不老長寿の霊薬を作る練丹術の様子

道教では修行をする期間をできる限り長くするために、不老長寿の秘術を習得することが理想であるとされていますが、老子自身もその秘術を身につけ、200歳まで生きたという伝承が語り継がれてきました。

そのため、老子の生涯年表は紀元前550年頃に生まれたにも関わらず、それから200年後の紀元前350年頃に秦国の長に意見を述べたとされるエピソードが残されているのです。

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