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第一次世界大戦が起きた原因とは?特徴から背景まで詳しく紹介

第一次世界大戦とは、20世紀初頭に勃発した、三国協商を中心とする連合国と三国同盟を中心とする中央同盟国によって争われた世界大戦です。

第一次世界大戦時におけるヨーロッパの地図(緑色=連合国、茶色=中央同盟国)

「第一次世界大戦が起きた原因は何?」
「第一次世界大戦が起こるまでの背景について詳しく知りたい!」

この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、第一次世界大戦が起きた原因は何なのか、また、第一次世界大戦が起こるまでの背景について詳しく紹介していきます。

第一次世界大戦が起きた原因について、その特徴から背景の歴史まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。

第一次世界大戦とは

第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて、連合国と中央同盟国の対立によって繰り広げられた世界大戦です。歴史上最大の戦争の1つとされており、非戦闘員も含めて1700万人以上の戦死者を出しました。

第一次世界大戦において繰り広げられた塹壕戦の様子

この戦争の特徴は、各国が人員や経済力、工業力などを大規模動員する国家総力戦だったことにあります。また、飛行機や化学兵器、潜水艦、戦車などの兵器や、塹壕戦などの戦術が史上初めて用いられました。

最終的に、世界中の経済大国を巻き込んだ第一次世界大戦は、連合国側の勝利に終わります。そして、多くの参戦国において革命や帝国の解体などの政変を引き起こした結果、終戦後も各国間の対立関係が残ることになりました。

第一次世界大戦が起きた原因・背景

第一次世界大戦が勃発した原因は主に以下の4つがあります。

  • 列強各国による帝国主義政策の衝突
  • 「三国協商」「三国同盟」などの同盟関係の複雑化と対立
  • 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン問題
  • オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が殺害された「サラエヴォ事件」

それでは、それぞれの要因について詳しく見ていきましょう。

列強各国による帝国主義政策の衝突

第一次世界大戦が勃発した原因の1つとして、ヨーロッパ列強各国による帝国主義政策の衝突が挙げられます。その要因には、1871年に成立したドイツ帝国の政治的・経済的な大成長と軍備の拡張があったのです。

帝国主義政策とは
帝国主義政策とは、一つの国家や民族が自分の国の利益・領土・勢力などを拡大させるために、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧して、強大な国家をつくろうとする政策のこと。

19世紀後半、ヨーロッパ世界はドイツ帝国の宰相ビスマルクによって築かれたビスマルク体制下にありました。ビスマルク体制とは、ドイツ帝国がヨーロッパの主要国と同盟を結んで良好な関係を築き、各国間の利害関係を調整することで勢力均衡を維持しようという外交関係です。このビスマルク体制は、ビスマルクの卓越した外交手腕によって成功を収め、ヨーロッパは平和な時代を迎えました。

鉄血宰相と呼ばれたドイツ帝国のオットー・フォン・ビスマルク

しかし、1888年に即位したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はビスマルクと対立。その後、ビスマルクを更迭して親政を開始したヴィルヘルム2世は、帝国主義政策を展開します。まず、太平洋へ進出するために軍艦を建造。そして、バルカン半島や中近東に勢力を拡大させるために、ベルリン、ビザンティウム、バグダードを鉄道で結ぶ3B政策を推し進めたのです。

ドイツ帝国による一連の世界政策は、イギリスやフランス、ロシアら列強諸国を強く刺激しました。海上においては、海軍の優越を巡ってイギリス海軍と軍備拡張競争が起こり、アフリカやバルカン半島、中近東においては、植民地政策を展開する各列強と激しく対立することになります。協調的な外交によって平和な時代を築いたビスマルク体制は、ビスマルクの失脚と共に崩壊したのです。

ビスマルクを更迭し、帝国主義政策を展開したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世

同盟関係の複雑化と対立

三国協商対三国同盟の構図

ヴィルヘルム2世による世界政策の展開によって各国間の対立が深まる中で、列強諸国同士の同盟関係は次第に複雑化していきました。この複雑化した同盟関係が、第一次世界大戦における対立構造に繋がるのです。

ここでは三国協商を中心とした連合国と、三国同盟を中心とした中央同盟国の2つの勢力について解説していきます。

三国協商を中心とする連合国

第一次世界大戦における連合国側とは、イギリス、ロシア、フランスによって構成された三国協商を中心とした連合国家です。

ビスマルク体制下において、ドイツ帝国は列強各国と同盟・協商関係を結び、敵対国であるフランスを孤立させながらヨーロッパの国際秩序を築き上げました。しかし、ヴィルヘルム2世が即位すると、ロシアとの独露再保障条約の更新を拒否。そして、ドイツとロシアの関係が悪化した結果、ロシアはフランスと露仏同盟を締結します。

それに続き、ドイツ帝国と対立していたイギリスも英仏協商を結びました。同時に、ロシアとも対立していたイギリスは、ロシアの極東進出を阻む目的で日本と日英同盟を結成します。しかし、ロシアが日露戦争において日本に敗北すると、イギリスはロシアに接近し、英露協商を結んだのです。その結果、イギリス、ロシア、フランスの3カ国による三国協商が成立しました。

また、日本は日英同盟の他、日露戦争後に日露協約、日仏協約も結んでいたため、三国協商側に立っていたのです。

三国同盟を中心とする中央同盟国

第一次世界大戦における中央同盟国とは、1882年に締結された秘密軍事同盟である三国同盟に、オスマン帝国とブルガリア王国を含めた同盟国家群です。

当初、三国同盟はフランスを仮想敵国としたドイツ、オーストリア=ハンガリー、イタリアの3カ国による同盟であり、ビスマルク体制の一環として形成されました。しかし、ヴィルヘルム2世による帝国主義政策が展開されると、次第にロシアやイギリスに対抗する意図が強まっていったのです。その結果、三国同盟は三国協商と対立し、第一次世界大戦の主要な対立構造が出来上がりました。

また、ドイツとオーストリア=ハンガリーが同じゲルマン人国家として結束を深める一方で、イタリアは「未回収のイタリア」問題でオーストリアと対立していました。未回収のイタリアとは、オーストリア領内にある土地のうち、イタリアが領土と主張する地域です。この領土問題が未解決だった結果、イタリアは三国同盟から離脱し、三国協商側に転じることになりました。そのため、三国同盟は実質的に二国同盟だったのです。

第一次世界大戦頃のイタリアの地図

バルカン問題

バルカン問題とは、オスマン帝国が衰退した後のバルカン半島内で起こった諸民族間の領土問題です。この時代のバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、第一次世界大戦が起きた原因の1つとされています。

ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていたバルカン問題の風刺画

かつてオスマン帝国によって支配されていたバルカン諸国は、1878年にビスマルクが主催したベルリン会議にて締結されたベルリン条約によって、新たに独立が認められました。

しかし、1908年にオスマン帝国において青年トルコ人革命と呼ばれる政変が発生し、オスマン帝国内が混乱に陥ると、それに乗じてオーストリア=ハンガリー帝国がバルカン諸国の1つであるボスニア=ヘルツェゴビナを併合したのです。

これに危機感を覚えたその他のバルカン諸国は、南下政策を目論むロシアの支援を受けて、バルカン同盟を結成しました。そして、汎スラブ主義を掲げるロシアの後ろ盾を得たバルカン同盟が、青年トルコ人革命以降に汎トルコ主義を掲げ始めたオスマン帝国と対立した結果、第一次バルカン戦争が勃発。この時、オーストリア=ハンガリー帝国はオスマン帝国を支援していました。

最終的に、この戦争はバルカン同盟側の勝利に終わります。

その後、ブルガリアの領土拡大を巡ってバルカン諸国間で対立が起こり、第二次バルカン戦争が発生。第二次バルカン戦争はブルガリアの敗北で終わりましたが、バルカン半島は深刻な領土問題を抱えたままとなり、不安定な状態が続いたのです。

バルカン戦争の対立図

サラエヴォ事件

サラエヴォ事件の現場写真

サラエヴォ事件とは、1914年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、ボスニアの州都サラエヴォにおいて、ボスニア系セルビア人の青年によって殺害された事件です。この事件は、第一次世界大戦が勃発する直接的な原因となりました。

オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ=フェルディナンドと妻のゾフィーは、軍事演習の視察をするためにサラエヴォを訪れた際に、ガヴリロ・プリンツィプというテロリストによって射殺されたのです。このガヴリロという男の背後には、セルビア民族主義者らが結成した「黒手組」と呼ばれる組織が存在していました。彼らの目的は、反オーストリア的革命運動にあったのです。

皇太子夫妻を暗殺したガヴリロ・プリンツィプ

サラエヴォ事件を受けたオーストリア=ハンガリー帝国は、黒手組を支援しているとみられるセルビア王国政府に対して最後通牒を突き付けます。しかし、その内容は受け入れ不可能なものばかりであり、セルビア政府は一部を留保した上で同意しました。

その結果、最後通牒の一部留保に不満を持ったオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国との国交を断絶し、1914年7月28日に宣戦布告したのです。その後、列強各国の同盟関係が連鎖し、ヨーロッパだけでなく世界を巻き込む大戦争へと発展し、第一次世界大戦となりました。

第一次世界大戦において進軍するドイツ兵

第一次世界大戦の原因に関するまとめ

今回は第一次世界大戦が起きた原因について解説しました。

第一次世界大戦は、ヨーロッパの列強各国による帝国主義政策によって複雑化した同盟・対立関係や、不安定な情勢が続いていたバルカン半島において発生したサラエヴォ事件など、様々な原因が絡み合ったことで勃発したのです。

この記事では第一次世界大戦が起きた原因について、その特徴から背景の歴史まで紹介しましたが、第一次世界大戦が起きた後の歴史について詳しく調べてみるのも面白いでしょう。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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