第一次世界大戦とは、20世紀初頭に勃発した、三国協商を中心とする連合国と三国同盟を中心とする中央同盟国によって争われた世界大戦です。
「第一次世界大戦が起きた原因は何?」
「第一次世界大戦が起こるまでの背景について詳しく知りたい!」
この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、第一次世界大戦が起きた原因は何なのか、また、第一次世界大戦が起こるまでの背景について詳しく紹介していきます。
第一次世界大戦が起きた原因について、その特徴から背景の歴史まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
第一次世界大戦とは
第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて、連合国と中央同盟国の対立によって繰り広げられた世界大戦です。歴史上最大の戦争の1つとされており、非戦闘員も含めて1700万人以上の戦死者を出しました。
この戦争の特徴は、各国が人員や経済力、工業力などを大規模動員する国家総力戦だったことにあります。また、飛行機や化学兵器、潜水艦、戦車などの兵器や、塹壕戦などの戦術が史上初めて用いられました。
最終的に、世界中の経済大国を巻き込んだ第一次世界大戦は、連合国側の勝利に終わります。そして、多くの参戦国において革命や帝国の解体などの政変を引き起こした結果、終戦後も各国間の対立関係が残ることになりました。
第一次世界大戦が起きた原因・背景
第一次世界大戦が勃発した原因は主に以下の4つがあります。
- 列強各国による帝国主義政策の衝突
- 「三国協商」「三国同盟」などの同盟関係の複雑化と対立
- 「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン問題
- オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が殺害された「サラエヴォ事件」
それでは、それぞれの要因について詳しく見ていきましょう。
列強各国による帝国主義政策の衝突
第一次世界大戦が勃発した原因の1つとして、ヨーロッパ列強各国による帝国主義政策の衝突が挙げられます。その要因には、1871年に成立したドイツ帝国の政治的・経済的な大成長と軍備の拡張があったのです。
帝国主義政策とは、一つの国家や民族が自分の国の利益・領土・勢力などを拡大させるために、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧して、強大な国家をつくろうとする政策のこと。
19世紀後半、ヨーロッパ世界はドイツ帝国の宰相ビスマルクによって築かれたビスマルク体制下にありました。ビスマルク体制とは、ドイツ帝国がヨーロッパの主要国と同盟を結んで良好な関係を築き、各国間の利害関係を調整することで勢力均衡を維持しようという外交関係です。このビスマルク体制は、ビスマルクの卓越した外交手腕によって成功を収め、ヨーロッパは平和な時代を迎えました。
しかし、1888年に即位したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はビスマルクと対立。その後、ビスマルクを更迭して親政を開始したヴィルヘルム2世は、帝国主義政策を展開します。まず、太平洋へ進出するために軍艦を建造。そして、バルカン半島や中近東に勢力を拡大させるために、ベルリン、ビザンティウム、バグダードを鉄道で結ぶ3B政策を推し進めたのです。
ドイツ帝国による一連の世界政策は、イギリスやフランス、ロシアら列強諸国を強く刺激しました。海上においては、海軍の優越を巡ってイギリス海軍と軍備拡張競争が起こり、アフリカやバルカン半島、中近東においては、植民地政策を展開する各列強と激しく対立することになります。協調的な外交によって平和な時代を築いたビスマルク体制は、ビスマルクの失脚と共に崩壊したのです。
とても分かりやすく、社会のレポートに役立ちました!
これからも書き続けてほしいです。お体に気お付けて
ムフフ
ムフフ