チェルノブイリ原発事故とは?原因から被害・死者数、現在の様子まで解説

「チェルノブイリ原発事故ってどんな事故?」
「原因はなに?事故後なにが起きた?」
「いまのチェルノブイリはどうなっているんだろう?」

チェルノブイリ原発事故の名はさすがによく知られています。しかし、人類が初めて遭遇した原子炉の暴走が世界規模での放射能汚染を引き起こしたことやその原因、いま現在のチェルノブイリの状況などあまり知られていないのではないでしょうか。

今回はチェルノブイリ原発事故について解説したいと思います。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

チェルノブイリ原発事故とは

事故の概要

チェルノブイリ原発跡

チェルノブイリ原発事故とは、1986年4月26日1時23分、ウクライナ(当時はソビエト社会主義共和国連邦)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で発生した原子力事故です。

当時、1号~4号の4基の原子炉と建設中の原子炉5・6号炉を抱えていたチェルノブイリ原発。事故はそのうちの4号炉で起きました。保守点検のために原子炉を停止するタイミングで実験を行っていた4号炉が突如爆発し、燃料棒などが飛散し火災が発生したのです。周辺火災は駆けつけた消防隊の活躍により鎮火されますが、原子炉だけはどうにもなりません。地獄の蓋が開いた状態の原子炉からは、天文学的な量(14エクサベクレル)の放射性物質が拡散するという、史上最悪の原子力事故となりました。

そもそも原子力発電とは?

火力発電と原子力発電を比較するイメージ

そもそも原子力発電とはどういったものなのでしょうか。例えば、火力発電所では石油・石炭などの化石燃料を使い湯を沸かします。発生した水蒸気がタービンを回しそこから電力を生み出すしくみです。

原子力発電の場合は、化石燃料ではなくウランなどの放射性物質を使い、これらを核分裂させることにより湯を沸かします。発生した水蒸気がタービンを回し電力を生み出す点は火力発電と変わりません。

核分裂について

核分裂のしくみ
出典:中国電力

ちなみに核分裂のしくみについては、おおよそ次のようなイメージで理解することができます。

  • ①ウラン235の原子核に中性子を当てます。
  • ②ウラン235原子核が2つに分裂します。同時に中性子と高いエネルギーが生まれます。
  • ③生まれた中性子がさらに他のウラン235原子核に当たります。
  • ①~③が繰り返されることで核分裂連鎖反応と呼ばれる状態になります。

原爆との違いについて

原爆と原発を比較するイメージ

原爆も原発も、核分裂反応によって膨大なエネルギーを生み出す点では変わりません。ただ、核兵器と呼ばれる原爆がウランの濃度を100%近くにしようとするのに対し、原発のウランは3〜5%と低くなっています。原爆は無制限に核エネルギーを引き出しますが、原発は管理下において制限的に核エネルギーを引き出そうとする仕組みになっています。

事故はなぜ、どのようにして起きたのか?

実験中のトラブル

事故をおこしたチェルノブイリ原発・4号炉

事故前日の4月25日。保守点検のため4号炉の運転を停止する作業が始まりました。同時に、「タービン発電機が完全に停止するまでの慣性運転でどれくらいの発電が可能なのか」「緊急炉心冷却装置(ECCS)の電源として使えるか」を調べる実験が行われています。これは車の運転に例えると、アクセルから足を離してどこまで進むのかを調べることと似ています。

この実験には様々なトラブルがありました。

  • 出力低下準備をはじめたのに、キエフ給電所の指示で運転出力160万kwを維持した
  • 出力70〜100万kwでの実験なのにコントロールに失敗、3万kwまで出力を下げてしまった
  • その後予定の出力まで戻らず、20万kwまで出力を上げ安定したところで実験を強行した
  • 予定の循環ポンプ以上のポンプを接続して水位低下を招いた

こうしたトラブルが次々起こる中、実験の実施が強行されてしまいます。

爆発と事故の発覚

爆発直後のチェルノブイリ原発

日付が変わった4月26日、急に原子炉の温度・圧力が急上昇し爆発が起こります。原子炉と建屋が破壊され、吹き飛んだ高温の燃料などにより火災が発生しました。同時に、多量の放射性物質が漏れだし、西向きの風に乗ってベラルーシ南部からバルト海方面へとわたっています。

事故直後、すでに原子炉は破壊されていました。職員から「原子炉破壊」の報告もありまししたが、混乱する状況の中で運転班長のアキーモフは「事故は起きたが原子炉の破壊には至っていない」と判断、ブリュハノフ所長に報告します。そのため、午前3時の段階でブリュハノフ所長からソ連共産党中央委員会のマリイン原子力発電部長に対し「原子炉は無事」と報告されることになりました。その後、4月26日の昼にモスクワから政府の専門家グループが到着。事故を検分した結果、即座に原子炉破壊が結論付けられています。

一方、事故で漏れた放射性物質は、4月27日にはスウェーデンに到達しました。4月28日、スウェーデンの原子力発電所で高濃度の放射性物質が測定されたことから、スウェーデンはソ連に対し原子力事故について糾します。ソ連はいったんは否定的な回答を行いますが、やがて事故の公表を余儀なくされたのでした。

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