第一次世界大戦とは、20世紀初頭に勃発した、三国協商を中心とする連合国と三国同盟を中心とする中央同盟国によって争われた世界大戦です。この戦争はヨーロッパを中心に展開されましたが、実は日本も参戦していました。
「第一次世界大戦時に日本は何をしていたの?」
「第一次世界大戦に日本が何の目的で参戦したのかについて詳しく知りたい!」
この記事を見ているあなたはこのように思っているのではないでしょうか。そこで、第一次世界大戦時に日本は何をしていたのか、また、第一次世界大戦に日本が何の目的で参戦したのかについて詳しく紹介していきます。
第一次世界大戦下の日本について、開戦までの経緯から戦後の影響まで迫っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
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第一次世界大戦とは
第一次世界大戦とは、1914年から1918年にかけて、連合国と中央同盟国の対立によって繰り広げられた世界大戦です。当時の日本は連合国側として参戦しました。
この戦争の特徴は、各国が人員や経済力、工業力などを大規模動員する国家総力戦だったことにあります。また、航空機や化学兵器、潜水艦、戦車などの兵器や、塹壕戦などの戦術が史上初めて用いられました。
最終的に、世界中の経済大国を巻き込んだ第一次世界大戦は、連合国側の勝利に終わります。しかし、この世界大戦における戦死者数は非戦闘員も含めて1700万人以上とされており、歴史上最大の戦争の1つとなってしまいました。そして、多くの参戦国において革命や帝国の解体などの政変を引き起こした結果、終戦後も各国の間に対立関係が残ることになったのです。
第一次世界大戦下における日本の立場
第一次世界大戦が始まった当初は中立の立場だった
1914年6月28日、サラエヴォ事件が発生して第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ帝国軍は対フランス侵攻計画に基づいて、ベルギー王国への侵入を開始しました。そして、フランスと英仏協商を結んでいたイギリスは、ドイツ帝国に対して宣戦布告したのです。
当時、日本はイギリスと日英同盟を結んでいましたが、この軍事同盟には、両国のどちらかが第三国と戦争状態となった場合、他の一方は中立を守るという内容が含まれていました。そのため、日本政府は、第一次世界大戦が始まった当初においては中立を宣言しています。
しかし、当時の第二次大隈内閣における外務大臣であった加藤高明は、イギリスとの関係性や国益の観点から、日本の第一次世界大戦への参戦を強く主張したのです。国内では参戦に反対する声も上がっていましたが、最終的にはドイツ帝国へ宣戦布告を行うことになり、参戦範囲を限定しないという条件で参戦が閣議決定されました。
日本が第一次世界大戦に参戦した目的は領土の拡張だった
日本は日英同盟を口実に第一次世界大戦に参戦しましたが、真の目的は中国大陸や太平洋地域に勢力を拡大し、帝国主義的な領土拡張を行うことにありました。帝国主義とは、自国の領土や利益の拡大を目的に、政治・経済・軍事的に他国や他民族を侵略・支配することで、強力な国家を築き上げようという思想です。
ドイツ帝国に対して宣戦布告した日本は、イギリスと共に中国大陸や太平洋地域にあるドイツの支配地域を攻撃しました。その後、日本は同じ連合国側である袁世凱の中華民国政府に対して、複数の領土的要求を突き付けます。この一件で日本は国際的な批判を浴びることになりましたが、アジア太平洋地域に対する日本の領土的野心は次第に本格化していったのです。
一方で、日本がアジア太平洋地域へ進出した結果、当初より日本の海外領土が膨張することを危惧する意見の多かったイギリス政府との対立が深まりました。また、太平洋地域に複数の植民地を保有しており、中国大陸への経済的な進出を狙っていたアメリカ合衆国との関係も悪化していったのです。
第一次世界大戦時の日本の動き
ドイツ帝国への宣戦布告
1914年8月15日、日本はドイツ帝国に対して最後通牒を行いました。しかし、これに回答がなかったため、1914年8月23日に日本はドイツ帝国へ宣戦布告したのです。
本格的に第一次世界大戦へ参戦した日本の陸軍は、イギリスと共に、ドイツ帝国が保有する東洋艦隊の拠点となっていた、中華民国山東省の租借地である青島と膠州湾の要塞を攻略しました。そして、山東鉄道に沿って進軍した日本は、済南までの地域を占領したのです。
一方で、日本の海軍はドイツ領南洋諸島の占領をするために太平洋へと進出。そして、赤道以北に位置するマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島などの、ドイツ領北太平洋諸島の占領に成功したのです。
その後、塹壕戦などの影響で第一次世界大戦の長期化が予想されると、イギリスを含む連合国諸国は日本軍のヨーロッパ派遣を要請しました。塹壕戦とは、陣地内に溝や穴を掘り、そこへ隠れて戦うことで敵の銃撃から身を守りながら進軍する戦法です。
しかし、歩兵を殲滅する威力がある機関銃の大規模な運用や、鉄道網の発達により迅速な増援や補給を行えるようになった結果、両軍は長大な塹壕地帯を形成することになり、長期間にわたる睨み合いが続いていました。
その中で、日本政府がヨーロッパへの派兵要請を頑なに拒否した結果、連合国は日本のヨーロッパ戦線への参戦を条件に、山東半島およびドイツ領北太平洋諸島におけるドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認するという内容の秘密条約を提示。これを受けて、日本は海軍をインド洋や地中海へ派遣しました。
その結果、日本海軍は護衛や救助活動において大活躍し、連合国の勝利に貢献したのです。