戦艦「大和」
「大和」は大日本帝国海軍によって建造された戦艦で、姉妹艦である「武蔵」とともに世界で一番の大きさを誇りました。排水量64000トンと主砲として搭載された3基の46センチ砲はどちらも史上最大級です。
昭和16年に竣工したあとは連合艦隊の旗艦となり、翌年の6月にミッドウェー海戦で初陣を飾ります。その後「史上最大の海戦」とも呼ばれたレイテ沖海戦に旗艦として姉妹艦「武蔵」とともに出撃しますが、「武蔵」は撃沈されその他多くの艦艇を失います。
「大和」のような巨大な艦で大口径の砲を備える「大艦巨砲主義」は、ワシントン海軍軍縮条約を機に勢いを失っていました。太平洋戦争時にはいかに制空権を奪うかが戦術の要となっていて、「大和」の建造は時代の流れに反した動きといえました。
それを証明するように1945年4月7日の坊ノ岬沖海戦において、アメリカ軍戦闘機からの総攻撃を受けて撃沈されています。
空母「赤城」
「赤城」は日本海軍初の大型空母です。当初「赤城」は空母としてではなく天城型巡洋戦艦として建造が開始されましたが、1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約によって主力艦の建造が制限されたため計画が変更され空母「赤城」が誕生しました。
初期の赤城は三段式の甲板を備えており中段の甲板に20cm連装砲2基、後部両舷にそれぞれ単装砲を3基ずつを装備していました。その後、一段全通式の甲板に延長され、一般的に知られる大型空母の形に改造が施されました。
1942年6月に「赤城」は、同じく空母「加賀」「蒼龍」らとともにミッドウェー海戦に出撃します。しかしアメリカ軍により暗号を解読され作戦が筒抜けだったため、先制攻撃された「赤城」他2隻の空母はなすすべなく撃沈させられてしまいました。
戦後の日本:第二次世界大戦が日本に与えた影響とは?
帝国主義から民主主義へ
明治時代から第二次世界大戦が終結するまで日本は帝国主義国家でした。「大日本帝国」としていくつもの植民地を抱え、軍事力を最優先する軍国主義国家でもありました。
明治維新後の日本は列強諸国に追いつくため日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦などを経験し、着実に力を付けていました。そして第二次世界大戦中には軍国主義を振りかざして国民を強制的に徴兵し、国の決定に従わぬものは非国民として処罰したのです。
敗戦後、アメリカは日本を「GHQ」の監督下に置くと民主主義を植え付けるべく、教育の自由、男女平等、労働組合の推進、農地解放などの政策を推し進めました。そして大日本帝国憲法を改正を迫り、「日本の民主的変革の基本原理」とする日本国憲法を施行させました。
経済復興と産業の発展
太平洋戦争後における日本の「戦後復興期」は最も成功した例として世界的にも有名で、復興期から高度経済成長期を迎えた日本の戦後は「奇跡の復興」とも呼ばれました。
戦後すぐは食糧難や失業などで混乱を極めましたが、進駐軍工事や公共施設の復興工事などで立ち直った建設業が一早く復興のため立ち上がります。さらに1950年から始まった朝鮮戦争が大きな需要を生み戦後不況を脱することが出来ました。
その後、1955年ごろから本格的な高度経済成長期を迎え、「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」などの好景気が日本の経済と産業の発展のきっかけとなりました。
もし日本が勝っていたらどうなってた?
もし日本がミッドウェー海戦で勝利していたとしたら、または第二次世界大戦で連合国と敵対したドイツや日本を含む枢軸国が勝利していたとしたら今の日本はどうなっていたでしょうか。
戦争終結後には帝国主義や軍国主義は一旦は身を潜め、天皇と一部の位の高い軍人が権力を持つ国家になっていたのではないでしょうか。とは言えひとたび戦争となれば、また帝国主義や軍国主義が顔を出して第二次世界大戦の二の舞となり、いつの日か敗戦国になっていたでしょう。
第二次世界大戦中の日本を描いた作品
映画「トラ・トラ・トラ!」
日米合同で制作され1970年に公開された大日本帝国海軍による真珠湾攻撃をめぐる映画です。1970年のアカデミー賞で視覚効果賞を獲得しました。作品名の「トラ・トラ・トラ」とは日本軍の真珠湾攻撃成功を知らせる暗号で、「ワレ奇襲ニ成功セリ」という意味があります。
映画「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」
クリント・イーストウッドが監督を勤めた2部作で、第二次世界大戦中で最大の戦闘といわれた硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いたアメリカの戦争映画です。両作ともに日本での評価が高く、ブルーリボン賞や日本アカデミー賞など数々の賞を受賞しています。
第二次世界大戦中の日本に関するまとめ
いかがでしたか?
現在の日本が生まれる大きなきっかけとなった第二次世界大戦への参戦。太平洋戦争が起こらなかったら今の暮らしは無かったかもしれません。現在の豊かな日本が生まれるために大きすぎる代償と犠牲を払ったことを、私たちは決して忘れてはいけません。
過去を知ることによって学ぶことは数多いです。ぜひ今一度、第二次世界大戦について勉強し直しませんか?