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アドルフ・ヒトラーとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や死因も簡単に紹介】

ヒトラーの生涯年表

1889年 – 0歳「オーストリアのブラウナウで『20世紀最大の悪魔』誕生する」

幼少期のヒトラー

1889年4月20日に税務間官の父アロイス・ヒトラーと、アロイスの従姉妹であったクララ・ヒトラーの4男として生まれました。父と母の年の差は23歳と離れており、また従姉妹であったために「血族結婚に対する特別免除」を申し出て、ローマ教皇庁に受理されています。

父アロイスは私生児であり、そのためにほとんど親戚づきあいは無かったと後年ヒトラーが語っています。一族が不明点が多いことが、後に「ヒトラーはユダヤ系」という噂が広がる原因となっていました。生前にヒトラーも気にしていたようですが、後年徹底的な調査が行われ現在はほぼ否定されています。

父アロイスが事業に失敗し、ランバッハに転居する

小学校の集合写真(ヒトラーは一番後列の中央)

1895年父アロイスの定年退職に伴って、一家はハーフェルト村という田舎に引っ越して農業と養蜂業を営むようになります。そのためヒトラーはランバッハの郊外のフィッシュルハムの国民学校に通っています。

ヒトラーは1897年まで国民学校に在籍していたことが分かっていますが、学校の規律に従わない問題児として次第に父と諍いを起こすようになっていきました。そして父が事業に失敗し、一家は郊外の農地を手放してランバッハ市内に定住しています。

教会の華やかな建築物が好きだったという

この時にヒトラーはベネディクト修道会系の小学校に転校し、聖歌隊に所属しこの頃は聖職者になりたいといっていたといいます。本人の回想によると、信仰心というよりも、華やかな式典や建築物への憧れが強かったそうです。

中学校を退学となる

ギムナジウムは中高一貫教育のようなシステムでヒトラーはそちらに進学したかった

ヒトラーは母との関係は良好でしたが、父とは不仲でした。父は自身のように息子を税務官にしたいと思っていましたが、ヒトラーはギムナジウム(大学予備課程)の入学を希望しています。しかし父はレアルシューレ(実科中学校)への入学を強制しました。

ヒトラーは反抗のために露骨に授業をサボタージュして反抗しましたが、成績が悪くなっても父は決して認めなかったと「我が闘争」でいっています。この頃には学友に「大ドイツ主義」を宣伝し、仲間内で「ハイル」の挨拶を交わし合っていたといいます。

学校でも父への反抗からほとんど真面目に勉強しなかったという

1901年には田舎の小学校出身のヒトラーには、中学校の授業がついていけず、数学と博物学の試験がとおらず留年となり、翌年には数学を、また次の年にはフランス語を落とし扱いに困った学校によって4年生の時に退学処分にされてしまいました。

1907年 – 18歳「ウィーン美術アカデミーの受験に失敗し挫折を味わう」

受験の失敗と最愛の母の死でヒトラーは深い心の傷を負うこととなった

1907年にヒトラーは画家を志望し、ウィーン美術アカデミーを受験しています。しかし結果は不合格でした。この時ヒトラーは学長に直談判をしに行っていますが、人物のデッサンを嫌う傾向から「君は画家を諦めて建築家になってはどうか」と勧められています。

ヒトラーは学長の建築家の提案に乗り気になったといいますが、小学校までしか卒業していないため、建築アカデミーの入学条件の中学校の卒業が満たされておらず、画家の道よりも更に厳しいことを知って建築家も諦めざるえませんでした。

母クララ・ヒトラー

またこの年に母のクララが乳がんにより余命宣告を受け、ウィーンから実家に戻りやせ細って痛みにすすり泣く母の傍でずっと看病していたといいます。クララは病没し、ヒトラーの悲しみは深く、母を見てくれていた医師にお礼をいいに来たヒトラーを見て「私の一生で、アドルフ・ヒトラーほど深く悲しみに打ちひしがれている人間を見たことはなかった」と話しています。

放浪生活を送る

住所を転々としながら絵画を売る生活をしていた

1908年にヒトラーは再びウィーンに戻り、再びウィーン美術アカデミーを受験していますが、また不合格でした。その後ヒトラーは住所不定無職の浮浪者収容所に入ったり、独身用の公営寄宿舎に住んだりしています。こういった場所に住む理由は、経済的な理由ではなく兵役逃れが理由だったといわれています。

ヒトラーはディズニーのキャラクターの絵も描いていた

この頃は絵葉書や版画の模写を行って、インテリ層や商人に販売をして生活していました。この頃のことを「我が闘争」で「ささやかな素描家兼水彩画家として独立した生活を送っていた」と語っています。この頃は絵画をユダヤ人画商に好んで売り、ユダヤ系画商と食事会に参加したりしていたといいます。しかしいつ頃かはわかりませんが、徐々にヒトラーに「反ユダヤ主義」の思想が芽生えていったのです。

ミュンヘンへ移住し逮捕される

ミュンヘンはバイエルン州最大の都市であり、ドイツでも歴史の古い都市である

ヒトラーは「オーストリアとウィーンの腐敗した環境に耐えられなかった」といい、ドイツのミュンヘンに移住しています。しかし実際は兵役逃れが目的と考えられ、事実オーストリアの警察の依頼により、ミュンヘン警察によって逮捕されオーストリア領事館に連れていかれています。

ヒトラーはこの時に自らの貧困を理由に、弁明書を書いています。しかし実際は安定した収入が得られており貧困というのは嘘でした。結局ザルツブルグで兵役検査を受けますが、不適合とされたために兵役を免除され罪も免除されています。

第一次世界大戦に従軍する

従軍時のヒトラー(椅子に座っている一番右)

ヒトラーはバイエルン陸軍に志願し、バイエルン王国第16予備歩兵連隊の義勇兵として入営しています。軍ではフランス兵を捕えたり、伝令能力が評価されて計6回受勲しています。しかし受勲回数の割には階級が低いまま終戦を迎えていますが、「指導力が欠けており、伍長以上の階級は相応しくない」と司令部に判断されたからといわれています。

この時に敵のマスタードガスにより一時失明し、治療を受ける中で自分の使命は「ドイツを救うこと」ということを悟ったと後に語っています。この頃に国粋主義者の間で流行していた「背後の一突き論」を信じるようになっていきました。

1919年 – 30歳「ドイツ国家社会主義労働者党に入党する」

この頃にナチ式敬礼を採用している

第一次世界大戦後、ヒトラーはワイマール共和国の部隊に所属していましたが、ドイツ労働者党を知り活動内容に共鳴して入党しています。1921年にはヒトラーは第一議長に指名され、この頃に「ローマ式敬礼」に倣って「ナチ式敬礼」を採用しています。

1923年には「ミュンヘン一揆」を起こしますが、半日で鎮圧され逮捕されています。そして、禁錮5年の刑を受けてランツベルク要塞刑務所に収監されました。

浴槽を使わせてほしいという人までいたというから驚きだ

この頃にはヒトラーは人気が出て、花束を持った支持者が連日刑務所に押しかけ、ヒトラーの入った浴槽を使わせてくれという人もいるほどだったといいます。判決では「ヒトラーほどドイツ的な思考、感情の持ち主はいない」と言わしめ、刑務所の職員たちをも心服させたといわれています。

1933年 – 44歳「首相に就任する」

ヒトラー内閣の成立

1929年の世界恐慌の影響により、ドイツがハイパーインフレに陥ってしまい経済が混乱してしまいました。そういった中弱小政党だったナチ党が徐々に支持を集めていき、1932年にはナチ党は第一政党となったのでした。

そして1933年のヒトラー内閣が発足し、「国際社会と平和裏の共存」「ワイマール憲法の遵守」「共産党を弾圧しない」と宣言しました。しかしまもなくこの公約は破られることとなりました。

1934年 – 45歳「総統に就任し、独裁政権を行う」

ヒンデンブルク大統領とヒトラー

1934年にヒンデンブルク大統領が在任のまま死去した為に、ヒトラーはすぐに「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」を発行させ、国家元首であり大統領の仕事と職務を合体させ、「指導者兼首相 (Führer und Reichskanzler) であるアドルフ・ヒトラー」として大統領の職務を移しました。

大統領の仕事も兼任しますが、国民には従来通り「Führer(指導者)」と呼ぶことを求めました。日本では「総統」と報道されるようになります。これ以降ヒトラーの個人崇拝は国民的なものとなっていきます。1935年にはドイツ再軍備宣言、1936年にはラインライト進駐を再開し、ヴェルサイユ条約を破る政策を行っています。

1939年 – 49歳「第二次世界大戦が勃発する」

多くの犠牲者を出した独ソ戦が始まる

1939年にヒトラーはポーランドに進軍したことにより、第二次世界大戦が勃発しました。これに対してフランスとイギリスがドイツに宣戦布告をしています。1940年にはデンマークとノルウェーに進行し、フランスを降伏させました。当初はイギリスとの戦いを望まない姿勢を示していましたが、結局はイギリスと戦うこととなっています。

そのためにヒトラーは「ソ連が粉砕されれば、英国の最後の望みも打破される」とソ連との開戦を決意しました。そのため1941年にはバルバロッサ作戦が発動され、独ソ戦が開戦されることとなりました。当初は優勢だった独ソ戦も、ロシアの冬将軍には勝てずに次第に劣勢となっていき、ヒトラーの不眠症は悪化を辿り、健康状態が悪化しています。

1944年 – 54歳「ヒトラー暗殺計画が起こる」

暗殺未遂現場を視察するヒトラーとムッソリーニ

1944年の7月20日に陸軍のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐が仕掛けた爆弾による暗殺未遂事件が起こり、数人の側近が死亡、参席者全員が負傷しましたが、ヒトラーは奇跡的に軽傷で済んでいます。事件直後に暗殺計画関係者の追及を行い、処罰を行った人数は4,000名に及んでいます。また、かつては英雄視されたエルヴィン・ロンメル元帥も、関わりを疑われて自殺を強要されました。

ヒトラーが奇跡的に死を免れたことは、彼が特別な能力を持っている証拠であるとされ、国民のヒトラーに対する忠誠心もやや持ち直したといわれていますが、人間不信が助長されることとなり、体調悪化が益々進むようになりました。

1945年 – 56歳「ピストルで自殺を遂げる」

ヒトラーが最後を迎えた総統地下壕の入り口

1945年にもドイツの敗戦は続き、4月には首都ベルリンまでソ連軍に囲まれる状況となりました。この頃には親衛隊すら信用できなくなり、「全員が私を欺いた、誰も私に真実を話さなかった」と極度の人間不信に陥り、体調も数メートルを歩くことも困難になってきていたといいます。

4月頃には「戦争は負けだ」と遂に認め、終わりを悟ったヒトラーは個人的・政治的な遺書を後述筆記させています。この遺書にも戦争の原因はユダヤ人であり、ユダヤ人を絶滅させようとしたことは正しかったと最後までいっていました。個人的な遺書には、エヴァとの結婚と死後は遺体の焼却を指示しています。

ヒトラーとエヴァは死ぬ間際に結婚をしている

4月28日エヴァと結婚式を挙げた後に、30日夫妻は自殺を遂げました。遺体は連合軍に渡るのを恐れ、140リットルものガソリンがかけられて焼却されたといいます。享年56歳でした。死体はソ連が秘密裏に埋めましたが、1970年に掘り起こされて完全に焼却され、エルベ川に散骨されました。

ヒトラーの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

第二次世界大戦終戦時までのドイツで聖書並みに売れたというヒトラーの自著伝です。どうしてこういった歴史が起こったのかを知るためには、読んでみると行動原理を知ることができます。第二次世界大戦時のドイツを知るならば一度は読んでみるとより歴史が分かります。

アドルフに告ぐ 漫画文庫 全5巻完結セット (ビジュアル版) (文春文庫)

手塚治虫の名作です。「ヒトラーがユダヤ人だった」という説をとって、話が構成されています。現在はユダヤ人説はほぼ否定されていますが、非常に興味深い内容となっているのでおすすめです。手塚治虫はナチスに興味があったようで、多くの作品に主に悪役として登場させています。

ヒトラーがよくわかるおすすめ本【漫画から小説、ノンフィクションまで】

おすすめの映画

ヒトラー 最期の12日間 [Blu-ray]

ヒトラーが自死を遂げるまでの12日間に焦点が置かれたドラマです。12日間の間にも、戦闘・ヒトラーの精神錯乱、全てヒトラーの秘書の話を元に作ったドキュメンタリー映画です。非常に見ごたえがあります。

帰ってきたヒトラー

歴史を知っているとより楽しめるコメディ映画です。特にヒトラーに詳しい人は思わず「くすっ」と笑ってしまうこと間違いなしです。楽しい映画が好きな人にも是非おすすめします。

おすすめドラマ

ドキュメント アドルフ・ヒトラー 狂気の野望 DVD10枚組 (ケース付)セット

第二次世界大戦の頃のドイツに興味があるならば、個人的に筆者もおすすめのDVDです。貴重なニュース映画を見ることにより、歴史を間近に感じることができます。

関連外部リンク

ヒトラーについてのまとめ

今回ヒトラーの執筆をさせていただく機会を頂き、ヒトラーの人生を振り返ってみての感想は「コンプレックスの塊」の目立たない人物ほど、狂いだしたら怖いのだなと昔から思っていたことを再確認しています。

20世紀最大の悪魔はどうして生まれたのか?その背景には、過酷な敗戦責任、経済不安定などがあります。「悪魔は人の心の中に住んでいる」とよく聞きますが、まさしくドイツ国民が生み出した心の負の部分を集結させた人物だったといえるでしょう。過去の過ちを忘れるのではなく、敢えて見ることによって未来に活かすことができ、この記事を少しでも思い出していただけたらとても嬉しく思います。長い記事にお付き合いいただき誠にありがとうございました。

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6 COMMENTS

匿名

こんばんは、ヒトラーの記事を読みたかったので早速読ませていただきました!
次は毛沢東をぜひお願いします!
リクエストがある場合はツイッターのDMでよろしいでしょうか?

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京藤一葉

> 匿名さん
ご要望ありがとうございます!
毛沢東ですね。編集部で確認で検討させていただきます!
今後ともよろしくお願いします。

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匿名

連投すみませんでした!(投稿されてないかと思ってしまいました)
近代史に興味があるので、ムッソリーニとかもぜひお願いします!
いつも素晴らしい記事をありがとうございます!

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京藤一葉

> 匿名さん
コメントありがとうございます。
ムッソリーニですね!承知しました。編集部にて検討したいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

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