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アドルフ・ヒトラーとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や死因も簡単に紹介】

人々を惹きつけたヒトラーの政治手法とは?

夢想家なだけではやはり総統まで昇り詰めることはできない

最初は画家でありながら、最後は総統まで昇りつめたヒトラーですが、やはり総統まで昇り詰めるまでには理由がありました。今からヒトラーの政治手法を見ていきます。

演説が得意だった

演説をするヒトラー

ヒトラーが総統まで昇りつめた理由の一つに、演説を得意としていたことがあります。ヒトラーは、「人を味方につけるには、書かれた言葉よりも語られた言葉のほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」と考えていました。

演説は大きな興奮状態で金切り声で話す演説は、大衆を魅了したといいます。一見変わった話し方をしている場合も、敢えて民衆の関心を引くための手法だったといいます。平行法・対比法を駆使しました。

オペラの手法も演説に取り入れていた

1925年にはヒトラーの演説は、独自の方法を確立していましたが、発声術は独学だったために声帯を損傷する可能性が出てきました。その為にオペラ歌手に発声法を学び、声帯に負担をかけずに発声をする方法や効果的なゼスチャーを身につけました。

犬好きのヒトラーは犬の首輪で心を落ち着けていた

また演説が終わるたびに汗だくで疲労困憊になっていたといいますが、正しい発声法になり発声量も増えたといいます。また演説中に感情が高まりすぎてコントロールできなくなることもしばしばあったといいますが、「銀色の犬の首輪」を見つめて気を落ち着かせて、感情をコントロールできるようになったといわれています。

軍事面の強化を実行した

兵器工場で戦車を視察するヒトラー

ヒトラーは軍事力を極めて重視しており、「世の中に武力によらず、経済によって建国された国はない」と軍事力こそが国家の礎であると考えていました。そのため軍事指導に異常と言えるほどの熱を注いだことでも知られています。政権を獲得後、ベルサイユ条約で制限されていた軍備増強を公然と行いました。主だったものは具体的に、

  • 義務兵役制を復活(36個師団、50万人)
  • 軍帽と軍服の右胸にハーケンクロイツを銜える鷲を図案化した主権紋章をつける。プロイセン派軍部とナチス党の和解の象徴
  • 「Z計画」と呼ばれる海軍拡張計画に取りかかる
  • 「戦車」の開発を進める

などで来たる東部生存圏の獲得のために、戦争を仕掛けることを想定し、軍備を強化していったのです。結果として1939年に第二次世界大戦が勃発しますが、その時までに戦車と海軍の開発は間に合わなかったものの、特にドイツが開発した「Ⅳ型号戦車」で短期間で決着をつけるスタイルの「電撃戦」は、敵対国を苦しめることとなりました。

電撃戦を行うドイツ軍戦車

ヒトラー自身も大戦の間は、ほとんど前線の近い総統大本営で過ごすことが多かったといいます。1942年には自ら陸軍総司令官を兼任し前線の司令官を兼任するなど、元首としては異例の行動をとっていたのです。

ヒトラーユーゲントの設立

ヒトラーはナチスの宣伝広告にも力をいれていました。国家の唯一の青少年団体として「ヒトラーユーゲント」という青少年団体を作り、肉体の鍛錬・準軍事訓練・祖国愛を集団行動で教え込み、ナチ党のイベントで行進したり、日本に来日をしたりと宣伝的な活動を行わせたりしています。

しかし時間の経過とともに、武器の訓練や基本的な戦術の学習が行われるようになり、青年教育よりも軍事教育に重点が置かれるようになりました。1943年には装甲師団まで作られ、1944年の「ノルマンディの戦い」では連合国との戦いで善戦し、連合国を驚かせるほどの戦闘のプロ集団となっていたのです。

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ヒトラーの功績

功績1「ぼろぼろのドイツを立ち直らせた」

フェルナンド・ポルシェ、現在でもポルシェは非常にファンが多い車だ

後年に「夢想家の誇大妄想」といわれるヒトラーの演説ですが、第一次世界大戦での敗北と多額の賠償金で最貧国となってしまい、自信を失ってしまっていたドイツ国民を立ち直らせたは事実です。そして世界恐慌で失業者に溢れかえっていたドイツを、「雇用増加計画」を行うことにより失業者の大幅減少に成功しています。

またヒトラー自身が芸術家を挫折した経験があるからか、ヴェルナー・フォン・ブラウン、ハンナ・ライチュ、フェルディナント・ポルシェなど若く才気が溢れると認めた人物を非常に援助しました。やはりドイツの復興と発展に貢献したことは、紛れも無い功績といえるのではないでしょうか。

功績2「アウトバーン(高速道路)を建設したこと」

第二次世界大戦時のアウトバーン

ヒトラーは世界恐慌の失業者の減少などを目的として、アウトバーン(高速道路)を建設しました。1933年当時のドイツの失業者は600万人と深刻な状況であり、公共事業としてアウトバーンを建設することにより1939年には少なくとも失業者は35万人まで減少しています。

ヒトラーは選挙の時の公約として、「国民に職とパンを与える」ということを掲げていました。結果としてアウトバーン建設は、失業者の減少や経済の活性化、ヒトラーが目指していた「低所得者層も休日は自動車でピクニックを楽しめるように」という目標は、第二次世界大戦後ではあるものの達成されることとなりました。

ヒトラーの名言

太陽の輝きは自ら出すものだということだろう

もし太陽のように輝きたいなら、太陽のように燃えなければならない

太陽のように輝きたいのならば、それだけ自分が燃えないと駄目だという言葉です。確かに輝くには、自らを磨くことが必要であり、自らが輝けるように行動したいものです。

敗北したときに立ち直る力を持たなければならない

勝利に対応することはだれでもできるが、敗北に耐えられるのは強い人だけだ

その通りの言葉なのですが、ヒトラーの最後を知っている現在に見ると、気が弱い自分を鼓舞しているようにも見えます。しかし敗北を痛感したときの、人の絶望感は耐えがたいものがあります。この言葉の通り、敗北を乗り越えれるほどの強さを身に着けたいものです。

この時焦土にされていたら美しい街並みは失われていただろう

パリは燃えているか?

名言ではないですが、現在でも文学やアニメなどでも主に悪役に真似をされる有名なセリフです。占領してたパリを取り返されて撤退するときに、ヒトラーはパリを焦土にする命令を出し、撤退中も何度も上記のように側近に聞いたそうです。しかし部下が命令を遂行させなかったために、現在も美しいパリの街並みが残っているのです。

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ヒトラーにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「ヒトラーは実は生きていた!?」

ドイツ全土で貼りだされたヒトラー逃走時の変装の予想図

実はヒトラーは生きていたという噂があります。理由はヒトラーは妻のエヴァと自決をし、死体はソビエト兵によって検死されていますが、秘密裏で行われたために、世界はソビエトが「ヒトラーは死んでいた」という報告を聞くのみだったのが原因です。

多くのナチスの高官は戦争終結後、南米に逃亡しています。ヒトラーはそういった経路を利用して、南米で黒人女性と結婚し、90歳まで生きたという噂があるのです。ただしヒトラーの秘書だった女性が、ヒトラーとエヴァの死体をみたと証言していたり、ドイツ人でも死を確認した人が多くいたり、ロシアが正式に死体をエルベ川に散骨したことを公表したりした為に、あくまで都市伝説と考えられていますが、今でも噂は無くなっていないのが現状です。

都市伝説・武勇伝2「ヒトラーは実はユダヤ人の血が混じっていた!?」

父アロイス・ヒトラーは父が誰なのかはっきり分からない人物だった

ヒトラーにユダヤ人の血が混ざっているという噂は、生前からかなり噂になっていたようです。理由は、父のアロイス・ヒトラーが出自が不明な人物であり、ヒトラーも自分の血統に疑念を抱いて血統を調べてほしいと部下に極秘で頼んでいます。ヒトラーの側近、ハンス・フランクによると、

「たぶん1930年末のある日だったと思うが、自分はヒトラーのもとに呼ばれた。ヒトラーは、彼の異母兄である若アロイスの息子ウィリアム・パトリック・ヒトラーからの手紙や新聞記事に触れつつ、『自分にはユダヤ人の血筋があるという者がいるが、調べてくれ』と依頼した。

……調べてみるとアドルフ・ヒトラーの父アロイス・ヒトラーは私生児であって、その母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ(ウィーン南方)でユダヤ人の疑いがあるフランケンベルガー家に家政婦として雇われていた。そしてそこで赤児を生んだ。

フランケンベルガーは当時19歳であった自分の息子のために、アロイスが14歳になるまで、マリア・アンナに養育料を支払っていた。フランケンベルガーとマリア・アンナの間には長年にわたる手紙の交換があったが、その手紙ではアロイスが養育料をもらう権利がある、ということが前提となっていた。私生児は母の姓を名乗るという法律に従って、アロイスは40歳の頃までシックルグルーバー姓を名乗っていた。」

というものでした。要するにヒトラーの祖父がユダヤ人の可能性があるというものだったのです。この説は多くの研究者が研究をしてきましたが、現在では祖父はフランケンベルガーではないということで信憑性は薄いといわれています。

ハンス・フランクはヒトラーの出自の調査を依頼されたという

しかしヒトラーにユダヤ人の血が入っていたとしてもなんら不思議はないのも事実です。なぜならばナチス高官にもユダヤ人の血を引く人物が複数いたといいます。

都市伝説・武勇伝3「ヒトラーは同性愛者だったのかも…」

ヒトラーが同性愛者を迫害したのは、自身のコンプレックスの反動だと考える学者もいる

ヒトラーには成人後も、性生活の形跡がほとんどないそうです。それどころか、同性愛者だったという噂さえ流れています。第一次世界大戦時に男性と関係を持っている様子を見た、という証言もあります。戦後にヒトラーを貶めるデマの可能性もありますが、証言がある以上可能性はあるでしょう。

同性愛の噂が出るほどヒトラーが女性に禁欲的だったのは事実で、男性同士の猥談も嫌がったと同じ軍の仲間が証言しています。またアメリカの情報機関の報告書に、「ヒトラーは虚弱な身体的外観に、耐えがたいほど苦しんでいた」と書かれています。これはヒトラーの性的外観と睾丸が一つしかなかったことを表しています。

独裁者のセクシャリティは今も多くの学者が研究しているらしい

睾丸は生前から噂があり、そのことを嘲笑した歌がイギリス軍で替え歌で歌われていました。身体的な記録は、逮捕された刑務所の医療カルテに残っているそうです。ただしヒトラーとエヴァは通常の性生活を送っていたという家政婦の証言も出たりと、全てが一貫しないために都市伝説の域を出ないのが現状です。

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6 COMMENTS

匿名

こんばんは、ヒトラーの記事を読みたかったので早速読ませていただきました!
次は毛沢東をぜひお願いします!
リクエストがある場合はツイッターのDMでよろしいでしょうか?

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京藤一葉

> 匿名さん
ご要望ありがとうございます!
毛沢東ですね。編集部で確認で検討させていただきます!
今後ともよろしくお願いします。

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匿名

連投すみませんでした!(投稿されてないかと思ってしまいました)
近代史に興味があるので、ムッソリーニとかもぜひお願いします!
いつも素晴らしい記事をありがとうございます!

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京藤一葉

> 匿名さん
コメントありがとうございます。
ムッソリーニですね!承知しました。編集部にて検討したいと思います。
今後とも宜しくお願い致します。

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