NIEs(新興工業経済地域)とは?特徴や加盟国、背景までわかりやすく紹介

NIEs形成までの流れ

NIEsが形成されるまでの流れにおいて、早くに高度経済成長を迎えた10か国の発展途上国がありました。そして、それらの国々がNICsと呼ばれたのです。

ここでは、NIEsの原型であるNICsに分類される国について、地域ごとに紹介していきます。

アジアNICs

アジア4小龍と日本の経済成長

アジア地域におけるNICsは、先ほども紹介した「アジア4小龍」として数えられる大韓民国、シンガポール、香港、台湾の4地域が挙げられます。

1950年代、朝鮮戦争によって荒廃した大韓民国は、1965年に締結した日韓基本条約によって、日本から資金や技術を獲得しました。その結果、急速な復興と経済成長を達成します。この現象は、「漢江の奇跡」と呼ばれました。また、同じ頃にマレーシアから都市国家として分離独立したシンガポールは、リー・クアンユーによる独裁の下で経済成長を成し遂げたのです。

そして、戦後もイギリスの植民地の1つであった香港は、1960年代以降に、東南アジアにおける流通の中核として繁栄します。

一方で、中華民国政府が逃れた台湾では、アメリカの支援の下で蒋介石(しょうかいせき)による開発独裁が行われました。開発独裁とは、政治を安定させるという目的で民主主義を抑圧する独裁体制を正統化し、経済発展のための工業化を推進する政策です。その後、ベトナム戦争が勃発すると、アメリカが台湾から軍需物資を調達するなどしてドルが流入し、台湾は高度経済成長期を迎えました。

ラテン・アメリカNICs

ラテン・アメリカの地図

ラテン・アメリカにおいてNICsに含まれる国家は、メキシコとブラジルの2国です。

1950年代から1970年代にかけて、メキシコは文民統治体制の下で高度経済成長期を迎えます。この経済成長は、「メキシコの奇跡」と呼ばれ、1968年にはラテン・アメリカ地域において初めての近代オリンピックであるメキシコシティオリンピックが開催されました。また、外交面においては親米政策を維持しながら、新興国との関係も深めていったのです。

メキシコとは対照的に、ブラジルでは軍事独裁政権が築かれます。当時のブラジル政府は、強権によって低賃金労働を保障し、外国資本の導入を積極的に推し進めました。その結果、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる工業化と高度経済成長を達成。しかし、外国の企業に土地を奪われた農民が都市部に流れ込み、貧富の差も拡大したため、元々悪かった治安がさらに悪化したのです。

ヨーロッパNICs

ヨーロッパNICsに含まれる国家としては、ポルトガル、スペイン、ギリシア、ユーゴスラヴィアの4か国が挙げられます。

ポルトガルの独裁者アントニオ・サラザール

15~16世紀、大航海時代において海上覇権を握ったポルトガルとスペインは、第二次世界大戦時は中立国として立ち回りました。その後、ポルトガルはアントニオサラザール首相による独裁の下で反共路線をとり、国際社会から承認されながら外資の導入による重工業化を図ったのです。

反共路線とは、反共産主義の政治体制であり、当時の共産主義国であるソ連と対立していた自由主義国であるアメリカ側に同調することを意味しています。

そして、フランシスコ・フランコによる独裁体制下にあったスペインは、1960年代に奇跡と呼ばれる経済成長を見せました。その結果、それまで貧困に苦しんでいた国民の生活は安定したのです。

スペインで長期独裁を敷いたフランシスコ・フランコ

第二次世界大戦において、枢軸国であるイタリア、ドイツ、ブルガリアによって分割占領されてしまったギリシアでは内戦が勃発し、戦後には共産党政権が成立しました。しかし、1950年代に行われた総選挙にアメリカが介入した結果、右派政権が誕生。そして、親米路線をとって政治を安定させた後、経済的な発展を成し遂げたのです。

第二次世界大戦中に成立したユーゴスラヴィア連邦人民共和国は共産党政権でしたが、指導者であるヨシップ・ブロズ・チトーがソ連のスターリンと対立した結果、冷戦では中立国として独自の路線を選択することになりました。

その後、スターリンを批判したフルシチョフがソ連の指導者となると、ユーゴスラヴィアはソ連と和解。そして、西側諸国、東側諸国の双方へ製品を輸出するなどして、経済復興を達成したのです。

ユーゴスラヴィアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトー

NIEs諸国の歴史的な背景

オイルショックがもたらしたNIEs諸国の台頭

1970年代に発生したオイルショックは、世界経済に大ダメージを与え、アメリカや西ヨーロッパ、日本などの先進諸国の経済成長を停止させました。その中で、急速な経済発展を迎えたのがNIEsだったのです。

オイルショックは、1973年に勃発した第4次中東戦争の影響を受けて、アラブ石油輸出国機構であるOAPECが原油価格の引き上げや親イスラエル国家への石油輸出制限を行ったことで発生しました。第4次中東戦争とは、エジプトとシリアによるイスラエルへの攻撃をきっかけに始まった戦争です。

OAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟国の地図

そして、世界的な経済危機の中で、NIEsの新興工業諸国は加工貿易や仲介貿易によって利益を獲得しました。その結果、80年代に経済成長を続け、頭角を現したのです。

アジア通貨危機で経済成長に大打撃

アジア通貨危機によるアジア各国の通貨への影響

1997年、タイを中心としたアジア各国において通貨の暴落が発生しました。このアジア通貨危機によって、高い経済成長率を誇るNIEs諸国が多く含まれる東アジア、東南アジアの経済は大打撃を受けたのです。

特に、タイ、インドネシア、韓国は経済に甚大な被害を受け、相場の安定化を目的として設立されたIMF(国際通貨基金)の管理下に入ることになりました。また、直接的な悪影響はマレーシア、フィリピン、香港も受けることになったほか、中国や台湾も間接的な被害を受けたのです。

その後、この通貨不安は新興国の間で一気に広がり、ロシアやブラジルにまで波及しました。その結果、1980年代に目覚ましい経済成長を成し遂げ、世界的な影響力を持ったNIEsの時代は終わりを迎えたのです。

NIEsに関するまとめ

今回はNIEs(新興工業経済地域)について解説しました。

NIEsは、オイルショックの影響により先進諸国の経済が停滞していた中で、急速な経済成長を達成して世界的な影響力を持ちました。しかし、1997年のアジア通貨危機をきっかけとした通貨不安が経済の悪化を招き、NIEsの時代は終わったのです。

この記事ではNIEsについて、特徴から歴史の背景まで紹介しましたが、アジア通貨危機後にも着実に力を蓄え、現在では先進国に等しい影響力を持っているアジア4小龍(韓国、シンガポール、香港、台湾)の経済史についてより詳しく調べてみるのも面白いでしょう。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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