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山本五十六の名言12選!発言に込められた背景や意味まで解説

第二次世界大戦や太平洋戦争においての重要人物のひとり「山本五十六」。日本の海軍軍人で第二十六・二十七代連合艦隊司令長官として数々の作戦を指揮しました。太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃の奇襲作戦を立案した人物でもあります。

歴史的には日本は敗戦国となり山本五十六は戦死してしまいますが、山本は優れた軍人であり正しく戦局を見極めていた発言を数多く残しています。また優れた指導者でもあった山本の指導論が垣間見える言葉は、今でも多くの経営者や指導者に愛され格言として親しまれています。

この記事ではそんな山本五十六が残した名言や格言の数々を紹介します!

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

山本五十六の名言と発言の意図や背景

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

第二十七代連合艦隊司令長官に就任したころの山本五十六

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

山本五十六の残した言葉の中でもっとも有名なのはこの名言ではないでしょうか。良い人材を育てるにはしっかりと褒めて、話をちゃんと聞き、信頼して任せることが必要だという教育の核心を突いた山本の考えが伺い知れます。

大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官として多くの軍人を育てて来た山本の、人材育成のテクニックが詰まったこの言葉は現在の教育や経営にも大きな影響を与えました。

男の修行

昭和17年ごろの山本五十六

苦しいこともあるだろう。云い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

「やってみせ」に次ぐ人気の名言が「男の修行」です。苦しみ、不満、怒り、悲しみ、これら全部が、男の人生には修行であるという山本の考えが表現された言葉です。

一見、「耐えることが人生だ」と言っているようにも読み取れますが、「修行である」と表現しているところが重要です。山本は「修行」によって、人生の中で得られるものがあると言いたかったのではないでしょうか。

しかし山本は言葉通りの人間ではありませんでした。実際、好物ばかり食べて痛風などを患っていたり、妻以外に愛人がいたりしたと言います。自分にできなかったことを言葉にして格言にしていたのではないでしょうか。

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。

20歳ごろの山本五十六

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。

今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。

その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。

「今どきの若い者は」という言葉は、どの時代でも聞くことのある言葉です。海軍大将にまで登りつめた山本五十六ですら、若い時はこのように言われていたことは驚きです。

実年者とは50歳代・60歳代の人々をさす言葉で、自分自身が実年者になってからも「今はどうにもならない若者も年を取れば何かを成し遂げることもある」と、若者が何たるかを説いた山本五十六はかなりの人徳者だったのでしょう。

内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。

「日独伊三国同盟」締結

内乱では国は滅びない。が、戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒も甚だしい

1940年9月27日に日本はドイツ、イタリアとともに「日独伊三国同盟」を結びましたが、山本はこの同盟に反対していました。

東篠英機や石原莞爾らが率いる帝国陸軍は満州事変に始まる開戦に向けた流れの中で着実に力を着け、政治的にも影響力を持ち始めていました。そんな陸軍との衝突を避けるため、当時の海軍省は戦争をすることを選んだのです。

そのため9月15日に海軍首脳会議で同盟に賛成の方針が決定した際に、山本はこの言葉を残したと言われています。

是非やれといわれれば

それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい

「日独伊三国同盟」により日本とイギリスやアメリカの関係は悪化する一方でした。当時の内閣総理大臣であった近衛文麿はアメリカと戦争になった場合の見込みを山本に相談したと言います。その時の山本の返事が上記の言葉です。

しかし山本はこの発言を「海軍は1年は戦えると近衛文麿を勘違いさせてしまった、海軍は戦えないし戦争には必ず負けますと言うべきだった」と後悔していたと言います。

博打をしないような男はろくなものじゃない

モナコのカジノ

博打をしないような男はろくなものじゃない

山本五十六は博打好きとしても有名で、腕前も相当のものだったようです。特にポーカーやブリッジなどのトランプゲームを得意としていました。本当かどうかは分かりませんがモナコのカジノに行った際には、勝ちすぎてカジノ協会から出入り禁止令を受けたという逸話も残っています。

また山本は将棋も趣味としていました。アメリカ留学中には同じ留学生の小熊信一郎と張り合い、26時間連続で将棋を指したそうです。連合艦隊司令長官になってからも、参謀などを呼び止めては一局交えていたという話が残っています。

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