ベルリンの壁はある男の勘違いで崩壊した?驚くべき真実を簡単に解説

「ベルリンの壁って勘違いで崩壊したってホント?」
「誰のどんな勘違いで崩壊したの?」

ベルリンの壁が崩壊したのはとある人物の勘違いが原因だったのをご存じですか?

第二次世界大戦後のドイツが舞台となったベルリンの壁崩壊は、ヨーロッパの情勢を一瞬で大きく変貌させました。しかしこの歴史的出来事が一人のドイツ人の勘違いによって引き起こされたことはあまり知られていません。

ベルリンの壁

1961年に突然現れると28年間にわたってドイツを分断し、多くのドイツ人たちに絶望と苦しみを与えたベルリンの壁はどのようにして崩壊したのでしょうか。

この記事ではベルリンの壁崩壊の原因となった「とある人物の勘違い」に焦点を当てて、崩壊に至る流れや、勘違いによって起こった出来事を紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

そもそもベルリンの壁とは何か?

1989年11月9日ベルリンの壁に上る人々

ベルリンの壁とは第二次世界大戦後にドイツを、ドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)の二つに分断した壁のことです。中でもドイツの都市ベルリンに築かれた壁は、ベルリン市民たちを理不尽に引き裂くものでした。

当時のヨーロッパは資本主義と社会主義が対立する東西冷戦の緊張下に有り、その境界線でもあったベルリンの壁は東西冷戦の象徴とも呼ばれました。

冷戦中に会談するアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長

1985年にミハイル・ゴルバチョフがソビエト社会主義共和国連邦の最高指導者に就任したことによって、ヨーロッパでの社会主義は衰退し始めます。社会主義国家だった東ドイツでも国民たちの不満や怒りが頂点に達しようとしていました。

そして1989年11月9日、東ドイツ政府が発表した政令によって28年間ドイツを分断し続けた「ベルリンの壁」は崩壊し、東西ドイツの統一が果たされました。

ベルリンの壁はいつ、なぜ崩壊したのか?一連の流れや現在の様子も紹介

ベルリンの壁は勘違いで崩壊した!?

勘違いの張本人「ギュンター・シャボフスキー」

ギュンター・シャボフスキー

ベルリンの壁が崩壊に至ったのには様々な要因がありますが、最後の要因となったのは東ドイツ政府の広報担当だったギュンター・シャボフスキーが政府の思惑とは違う内容を記者会見で発表してしまったことでした。

国外に自由に出られないことに反発を強めていた国民たちの沈静化を図るため、東ドイツ政府は旅行による出国のための新しい法案を検討していました。内容は国外旅行は認めるものの必ず国の許可がいることや、緊急時には許可が取り消されることなどが盛り込まれていました。

翌日からこの政令が発効される旨を発表するため記者会見会場に現れたシャボフスキーでしたが、内容を熟知できないままに会見に臨んだため、「条件付きで明日から」の政令を「無条件で今すぐ」と発表してしまいました。

歴史上最も素晴らしい勘違い

記者会見をするシャボフスキー

ギュンター・シャボフスキーの勘違いによる記者会見は東ドイツ政府としては大失態でしたが、のちに「歴史上最も素晴らしい勘違い」と呼ばれるようになりました。シャボフスキー自身も「歴史を変えた男」と称されたほどです。

シャボフスキーの勘違いによって当時今世紀中の解決は不可能と言われた東西ドイツ統一と冷戦の問題は突如解決へ動き出し、歴史上稀に見る負傷者を出さなかった平和的解決に至ったのでした。

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