リンカーンの名言を10選紹介!名言が生まれた意図や背景とは

19世紀のアメリカ合衆国において、奴隷を解放した偉大な大統領として世界的に知られているエイブラハム・リンカーン。そんな彼は数々の名言を残しています。「人民の人民による人民のための政治」という言葉は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。

アメリカ合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーン

しかし、この「人民の人民による人民のための政治」という言葉について、どのような場面で言われた台詞であるかをご存知でしょうか?言葉だけが独り歩きしてしまって、その背景を知らずにいる人も少なくありません。

この記事では、エイブラハム・リンカーンが残した名言のうち10選を、その意図や背景と合わせて解説していきます。また、名言の背景がよくわかるエイブラハム・リンカーンにまつわる著作もご紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。

リンカーンの名言と意図、背景

私は誰にもつかずに学んだ

黙々と読書をする少年時代のリンカーン

I learned without anyone.

「私は誰にもつかずに学んだ」

この言葉は、リンカーンがどのような学習方法をとっていたのか尋ねられた際に発した台詞です。若い頃に弁護士になる決心をしたリンカーンは、独学で法律を勉強して法廷弁護士の資格を取得します。

無学な両親の間に生まれながら、リンカーンは幼い頃より熱心な勉強家であり、多くの本を読んで様々な知識を身に付けていきました。そして、彼の読書に対する貪欲な姿勢は、大人になって郵便局員や測量士の仕事を始めてからも続いたのです。

その結果、彼は大統領としての地位だけでなく、法廷弁護士としても有能な人材としてアメリカ中に知られる存在となったのです。このような努力家としての一面は、リンカーンが尊敬される大統領とされる理由の1つかもしれません。

地獄へだと思う

リンカーンと結婚したメアリー・トッド

I think i’m going to hell.

「地獄へだと思う」

この言葉は、結婚式を控えたリンカーンがどこへ行こうとしているのか聞かれた際に発した台詞です。実は、この時のリンカーンは、その後の生涯を共にすることになるメアリー・トッドとの結婚をためらう気持ちに襲われていました。

リンカーンと正反対に裕福な家庭で育ったメアリー・トッドは、経済観念がなく嫉妬深い性格であり、ヒステリー症状を抱えていて不安定な精神状態になりがちな人物でした。そのため、リンカーンは結婚によって幸せになれるとは最初から思っていなかったのです。

結婚後、リンカーンは弁護士として寝る間を惜しんで働き続け、オフィスにいる時間が多くなりました。しかし、彼がそのような行動を取ったのは働き者であったからというだけでなく、自宅にあまり居たくなかったという理由があったのです。

家が内輪で争えば、その家は成り立たない

弁護士として有名になり始めた頃のリンカーン

If a house competes in the inner circle, the house cannot be established. I don’t think the federal government can tolerate half slavery and half free state. I don’t expect the house to collapse. I believe the division will be over.

「家が内輪で争えば、その家は成り立たない。私は、連邦政府は半分奴隷制を認め、半分は自由州であるという状態に耐えられないと思う。私は家が崩壊するとは思っていない。分裂状態は終わると信じている。」

この言葉は、1858年にリンカーンが共和党州大会で読み上げた演説の一部です。新約聖書の「マルコによる福音書」第3章25節から引用した文章を冒頭で使用しており、それに続く内容においてリンカーンは自身の意見を強く主張しました。

彼はこの演説において、聖書の一部を引用し、子供でも理解できるようにわかりやすい言葉を並べました。その結果、多くの人々が演説の内容を理解し、感動して拍手を送ったのです。

そして、幅広い層に受け入れられた演説の影響もあり、リンカーンは有能で雄弁な弁護士として党内で注目され始めました。その後、彼の卓越した弁論術は、共和党が多くの支持者を集めて勢力を拡大することに繋がったのです。

『人間はみな平等である』という昔からの信念を思わずにはいられません

リンカーンと激しく対立したスティーブン・ダグラス

If blacks are humans, we cannot help but remember the old belief that “all humans are equal.” It is morally unacceptable for a person to enslave another person.

「黒人が人間であるなら、『人間はみな平等である』という昔からの信念を思わずにはいられません。人間が別の人間を奴隷にするということは、道徳的に許されないことなのです。」

この言葉は、イリノイ州ピオリアにおいて行われた演説でリンカーンが発した台詞です。この演説において、彼はアメリカ合衆国における奴隷制を制限するべきであるという立場を明確にしました。

その背景には、1854年にカンザス・ネブラスカ法が制定されたことがありました。カンザス・ネブラスカ法とは、アメリカ合衆国に新たに生まれた州において、奴隷制度の可否の選択を現地の住民が決定できるようにするという法律です。

この法律の制定に対し、リンカーンはピオリアで行った演説において強い反対意見を示しました。その結果、リンカーンはカンザス・ネブラスカ法を提案した人物である民主党のスティーブン・ダグラスと対立するようになっていったのです。

信念に基づいて、我々が義務だと思うことを遂行しようではありませんか

リンカーンは奴隷制反対派として共和党の大統領候補となった

Let us believe that what is right is power, and based on that belief, do what we consider obligatory.

「正しきことは力なりと信じ、その信念に基づいて、我々が義務だと思うことを遂行しようではありませんか。」

この言葉は、リンカーンが奴隷制に反対するという共和党の信条を宣言した際の台詞です。この言葉を客席で聞いていた民衆は、リンカーンの力強い弁舌に感動して褒め称えました。

南北間の対立における論争の基盤として、南部が奴隷制を正しいと信じているのに対し、北部は奴隷制が間違っていると信じていました。そのため、奴隷制に反対していたリンカーンは、この宣言において奴隷制を間違っているとすることこそが正しいことであると主張します。

そして、彼は正しいことである奴隷制への反対を義務として推し進め、信念をもって遂行すべきであると民衆に訴えました。このような過程を経て、リンカーンは多くの注目を集めて共和党の大統領候補に指名されることになったのです。

奴隷を解放することによって、我々は自由な人間の自由をも保障する

リンカーンは多くの人々の自由を守った

By releasing slaves, we also guarantee free human freedom. What you give and what you protect is just as noble to everyone. The path is simple, peaceful, generous, and just, and if you follow it, the world will praise it for a long time and God will bless you forever.

「奴隷を解放することによって、我々は自由な人間の自由をも保障する。与えるもの、守るものは、誰にとっても同じように高潔である。その道は簡素で、平和で、寛大で、公正であり、その道を辿れば、世界は末永くそのことを称え、神は永遠に祝福してくださる。」

この言葉は、南北戦争において奴隷制の存続を巡った争いを南部と繰り広げていたリンカーンが、1862年の年頭所感において述べた台詞です。この言葉によって、彼はアメリカ合衆国における黒人奴隷を解放する決意を表明しました。

当初、リンカーンは南部に対して奴隷制の完全廃止を求めていませんでした。奴隷制の廃止を明確にしてしまうと、中立を守っている南部州が敵対してしまう恐れがあったのです。しかし、南部勢力は強く、北軍は戦争目的が明確化されないまま徐々に追い込まれていきました。

この状況を打破するために、リンカーンは戦時下における大統領の強大な権力を行使し、奴隷制を廃止させることを決断したのです。実は、その背景には自由の身となった元奴隷たちを北軍の戦力とするという目的もありました。

奴隷として囚われている全ての人々は自由であることを命令し、宣言する

奴隷解放宣言はリンカーンの署名によって発布された

I order and declare that in the states and parts of the states designated here, all those held in slavery are and will continue to be free.

「私は、ここに指定する州および州の一部において、奴隷として囚われているすべての人々は、自由であり、今後も自由であることを、命令し、宣言する。」

この言葉は、1863年1月1日に発布された奴隷解放宣言に記された一文であり、この文章によって南部州の奴隷は自由を得ることになりました。そして、この文書に署名したリンカーンは、アメリカ史において大きな功績を成し遂げた人物となったのです。

この文書に署名した日のリンカーンは、午前中に新年会を主催しており、多くの訪問客を出迎えて握手していました。そのため、疲労で手が震えており、体調も決して万全とは言えない状態でした。そして、その中で彼は奴隷解放宣言に署名し、南北戦争を終結へ導く歴史的な大変革を行いました。その結果、多くの人々が自由と勇気を与えられ、北軍はさらに勢い付くことになったのです。

しかし、この宣言がもたらしたのは奴隷の自由だけではありませんでした。リンカーンの奴隷解放宣言によって、南部諸州の奴隷所有者は繁栄を妨げられ、南北の分断はより深まることになったのです。

人民の人民による人民のための政治

ゲティスバーグ演説を行うリンカーン

Government of the people, by the people, for the people.

「人民の人民による人民のための政治」

この言葉は、ペンシルベニア州アダムズ近郊のゲティスバーグにおいて行われた演説を締めくくった名言です。リンカーンといえばこの言葉をイメージする人も多いのではないでしょうか。

この演説において、リンカーンは南北戦争のために戦って死んでいった兵士たちの名誉を称え、彼らの犠牲を無駄にしないことを誓いました。そして、アメリカ国民の自由と民主主義を守るために戦い続ける決意を改めて表明したのです。

実は、この演説はたった2分間のスピーチでした。しかし、その短さにも関わらず、ゲティスバーグ演説は多くの人々の印象に残る内容となりました。そして、「人民の人民による人民のための政治」という名言は、アメリカ合衆国を代表する名演説を象徴する1文として、世界的に知られることになるのです。

さようなら、クルック

リンカーンが暗殺された現場であるフォード劇場の外観

Goodbye, Crook.

「さようなら、クルック。」

この言葉は、リンカーンが暗殺される現場となるフォード劇場へ向かう際に、彼のボディーガードを務めていたウィリアム・H・クルックに対して言った台詞です。

彼は暗殺事件が発生する10日ほど前から、自分が殺害される予知夢を何度も見ており、その内容をクルックに打ち明けていました。そして、暗殺事件が発生するかもしれないことを知っていたクルックは、リンカーンが劇場へ向かわないように説得します。

しかし、リンカーンは妻との約束があると言ってクルックの説得を聞かず、劇場へ向かいました。その結果、リンカーンは南部派の支持者によって本当に暗殺されてしまったのです。実は、クルックに対して「さようなら」という言葉を使ったのはこの1度だけであり、普段は「おやすみ、クルック。」と言っていたそうです。

別に何とも思わないさ

リンカーン暗殺事件の現場を描いたイラスト

She wouldn’t think so much about it.

「別に何とも思わないさ。」

この言葉は、リンカーンが妻であるメアリー・トッドに対して言った台詞です。そして、リンカーンがフォード劇場において暗殺される前に発した最後の言葉でもあります。

南北戦争終結直後、精神的な癒しを求めていたリンカーン夫妻は、ヘンリー・ラスボーン少佐と彼の婚約者であるクララ・ハリスを誘ってフォード劇場へ観劇に行きました。その際に、リンカーンは若い部下とその婚約者を前にしながら、メアリー・トッドの手を握っていたのです。

この行動を受けて、メアリー・トッドは「ハリス嬢が見たらどう思うかしら。」と言ってリンカーンをからかいました。そして、その言葉に対して、リンカーンは「別に何とも思わないさ。」と返したのです。このような夫婦でのやり取りの後、リンカーンは後頭部を撃たれて殺害されました。

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リンカーンの名言集や関連書籍

リンカーン演説集 (岩波文庫 白 12-1)

この本には、アメリカ合衆国が分裂の危機にある中において、国民の団結を呼びかけながら奴隷解放に尽力したリンカーンの演説や書簡が収録されています。「人民の人民による人民のための政治」のフレーズで有名なゲティスバーグ演説だけでなく、聖書の言葉を引用した演説などから自由や平等、団結を訴える思いが非常によく伝わってきます。

また、ゲティスバーグ演説はこんなに短かったのかという驚きもありました。そして、大統領就任後の彼の演説からは憲法と合衆国の団結を守ろうとする彼の強い意志が感じられ、彼が現在もアメリカ国民の間でリスペクトされている理由がよくわかる1冊です。

エイブラハム・リンカン―「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領 (伝記 世界を変えた人々)

この本には、リンカーンが遺した数々の名言や名演説と共に、彼の生い立ちや彼にまつわる興味深いエピソードが多く書かれています。また、優しい文章で書かれており、幼い子供でも理解できるように書かれていることも特徴の1つです。

19世紀のアメリカという激動の時代を生き、大きな変革を成し遂げたエイブラハム・リンカーン。彼の物語を中心に、アメリカの建国理念、奴隷制度、南北戦争、奴隷解放宣言など、この時代以降のアメリカ史をよく知るために必要なテーマを幅広く学ぶことができる1冊です。

リンカーン大統領のせいじつなことば―エイブラハム・リンカーンの生涯

この本は、幼い頃より苦労してきたことで人情の機微をよく知っているリンカーン大統領の誠実な言葉が詰まっている伝記絵本です。リンカーンによる南北戦争を戦う兵士たちを鼓舞する演説を中心に、彼の誠実な人柄が垣間見えるエピソードと言葉を読むことができます。

また、美麗な挿絵も力強く印象的であり、生き生きとしたリンカーンの似顔絵は目によく焼き付きました。そして、素晴らしい絵だけでなく、文章も非常にわかりやすく読みやすくなっています。やや難しい表現もありますが、基本的には簡潔な文章であるため、比較的小さい子でも読むことができる1冊です。

リンカーンの名言についてのまとめ

今回は、リンカーンの名言について、その発言の背景や意図を解説してきました。

リンカーンは、奴隷を解放した偉大な大統領として南北戦争を戦い、勇敢で力強く、たくましい男といったイメージを持っている人が多いかもしれません。しかし、彼が残した数多くの名言に触れると、そのようなイメージだけでなく、とても人間味のある温かい人物であったということを感じることができます。

また、彼が反対派勢力によって暗殺されたことは、多くのアメリカ国民に衝撃と悲しみを与えました。その事実からも、リンカーンが民衆から尊敬されていた人物であったということがよくわかります。そして、彼の名言や名演説は現代にまで語り継がれているのです。

それでは長い時間お付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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