エイブラハムリンカーンとはどんな人?生涯・年表まとめ【偉大な大統領の名言や演説も紹介】

リンカーンとは、19世紀のアメリカ合衆国において弁護士、政治家として活躍した後、第16代アメリカ合衆国大統領に就任した人物です。「偉大な解放者」や「奴隷解放の父」と呼ばれており、アメリカの政治学における調査では、最も偉大なアメリカ合衆国大統領の1人として数えられています。

彼は数々の功績を残していますが、その中でも特に有名な功績が「奴隷解放宣言」です。リンカーンは、アメリカ合衆国南部を中心に拡大していた奴隷制に反対し、南北戦争の最中に奴隷解放宣言を発布しました。その結果、アメリカ合衆国における黒人奴隷の解放が実現したのです。

奴隷解放の父 エイブラハム・リンカーン

また、リンカーンは「ゲティスバーグ演説」を行ったことでも知られています。「人民の人民による人民のための政治」のフレーズで知られるこの演説は、アメリカ合衆国の歴史において最も有名な演説の1つとなりました。

19世紀後半から20世紀、そして現在に至るまで、アメリカ合衆国が世界をリードする存在として君臨する大国となったきっかけを作った人物であるエイブラハム・リンカーン。

この記事では、そのような彼の人物像や生涯、功績について紹介していきます。また、リンカーンにまつわる名言や謎、逸話についても解説するので、ぜひ参考にしてください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

リンカーンとはどんな人物か

名前エイブラハム・リンカーン
誕生日1809年2月12日
没日1865年4月15日
生地アメリカ合衆国
ケンタッキー州ラルー郡
没地アメリカ合衆国
ワシントンD.C.
配偶者メアリー・トッド・リンカーン
埋葬場所アメリカ合衆国イリノイ州
スプリングフィールド

リンカーンの生涯をハイライト

リンカーンの高解像度写真

まずはリンカーンの生涯を簡単に解説しましょう。

農家であるトーマス・リンカーンと妻ナンシー・ハンクスの間に生まれたリンカーンは、貧困のため各地を転々とする幼少期を過ごしました。そして、船乗りや郵便局員などの様々な職業を経験した後に、政界へ進出していきます。

この頃、アメリカ合衆国では南部を中心に奴隷制度が拡大していました。これに対し、反対の立場をとっていたリンカーンは、奴隷制度廃止と保護貿易主義を掲げる共和党を結成。そして、奴隷制度拡大に反対する力強い弁舌が評価され、共和党の大統領候補に指名されたのです。

そして、1860年のアメリカ合衆国大統領選挙に勝利し、共和党初の大統領になりました。しかし、奴隷制度の維持・拡大を主張する南部諸州がアメリカ合衆国から離脱し、アメリカ連合国を形成。その結果、1861年に南北戦争が勃発したのです。

リンカーンが大統領に当選した後、アメリカ合衆国から離脱したアメリカ連合国

南北戦争において、リンカーンは最高司令官として北軍の指揮を取りましたが、当初は南部勢力が優勢な状況にありました。しかし、1863年に奴隷解放宣言を行い、国際世論の支持を集めた後、ゲティスバーグの戦いで北軍が南軍を破ったことで形勢は逆転します。

そして、1865年に南軍の降伏によって4年にわたって続いた南北戦争が終結しました。しかし、その直後に過激な南部派の俳優ブースによって、リンカーンは暗殺されてしまいます。その結果、リンカーンはアメリカ史上で初めて暗殺された大統領となってしまったのです。

「奴隷解放の父」と呼ばれる

リンカーンは黒人奴隷制度の拡大に対して反対の意思を示していた

アメリカ合衆国南部を中心に黒人奴隷制度が拡大して行く中で、リンカーンは黒人奴隷制度の拡大に反対の立場をとっていました。そして、自らが大統領となった後、奴隷制廃止を目的の1つとした南北戦争に勝利し、「奴隷解放の父」となったのです。

大統領に就任した当初、リンカーンは奴隷制度の拡大に反対してはいましたが、奴隷制度が広く浸透していた南部諸州がアメリカ合衆国から脱退することを恐れており、奴隷制度の即時廃止は求めていませんでした。しかし、最終的に南部諸州は離脱して南北戦争に発展。その結果、リンカーンは奴隷制度の廃止を戦争目的へ昇華し、内戦の終結をもって奴隷制度を崩壊に追い込んだのです。

また、このようなリンカーンの思想の背景には、父の思想が関係していたかもしれません。リンカーンの父は、キリスト教プロテスタントの一教派であるバプテスト教会の熱心な信者であり、宗教的な観念から奴隷制度を嫌っていたのです。

演説の才能は生まれつき

リンカーンが大統領に就任した際の演説の様子

リンカーンは、雄弁な演説によって民衆を惹き付けたことで人気を集めた大統領です。その力強く勇ましい演説は、リンカーンがアメリカ合衆国において最も尊敬される大統領として挙げられる理由でもあります。

そして、彼が持つ演説の才能は、大統領選挙に出馬する以前から既に発揮されていました。生まれつきの雄弁家であったリンカーンは、州議会議員選挙へ立候補した頃や、弁護士としての活動をしていた頃からその実力を見せつけており、周囲から高い評価を獲得していたのです。

その後、リンカーンは大統領就任演説やゲティスバーグでの演説において、国の統一と平和を強調する力強い演説を行いました。そして、リンカーンが行った数々の演説は、アメリカ合衆国における後世の政治家たちに強い影響を与えたのです。

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