徳川家康は日本人なら誰でも知っている戦国武将です。彼は冷静沈着に機を狙い、見事に日本を統一し、260年に渡る天下泰平の世を作り上げました。
家康は健康で長寿だったことでも知られており、15代続く徳川将軍たちの中では2番目に長生きをしました。これは当時の食料事情や医療事情を考えると奇跡的だと思われます。
健康で長寿だった家康は、ライバルたちが病で天下取りから脱落するのを待っていたのも事実です。そんな家康が命を落とした理由は大変興味深く、誰でも知りたいはずです。
今回は、徳川家康の死因について解説します。きっと家康の天下統一に納得できるはずです。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
徳川家康の死因として最も有力な説は?
1543年に生まれた徳川家康が亡くなったのは、1616年のことでした。1月21日に鷹狩に出た家康は病に倒れ、そのまま闘病生活に入ります。そして4月17日に73歳で亡くなります。
家康は鷹狩で身体を鍛えていました。現代でも70代でスポーツを楽しんでいるのは少数派かもしれません。70代になってもそれだけ血気盛んだった家康が、なぜ倒れたのか、理由を説明します。
直接の原因は胃がん説が濃厚
家康の死因として以前は食中毒なども疑われていましたが、現在もっとも濃厚なのが「胃がん説」です。
- 家康が倒れてから3カ月ほど闘病期間があったこと
- 恰幅が良かった家康がみるみる痩せていったこと
- 吐血と黒い便があったこと
- 腹に大きなしこりがあったこと
これらの病状が家康にあったことから、胃がん説が有力視されています。もし家康が食中毒で亡くなったのなら、闘病期間が3カ月というのは長過ぎます。2から4までの病状は、現在でも胃がんの患者によく見られるため、家康が胃がんであった根拠だと考えることができます。
胃がんになる前から不調だった?
家康が病に倒れた日に食べたものは鯛の天ぷらでした。そしてその後激しい腹痛を起こし、何度か症状が軽くなったり、重くなったりしています。そこからは家康に胃がんの他にも病気があったことが伺えます。
胆石も持っていたかも
家康が起こした食事の後の激しい腹痛。普通なら食中毒などを疑うでしょうが、実は脂肪分の多い食事の後に急激な腹痛を起こした場合、別の病気が疑われることもあります。それが「胆石症」です。
人間の肝臓では食事の脂肪分を分解するための胆汁が作られています。その胆汁を運ぶための管が胆管、途中に溜めておくための袋状の臓器を胆のうといいます。この胆管や胆のうに石ができるのが胆石症で、ときに激しい痛みを伴います。
晩年の家康は腹回りがとても太くなり、自分では下帯もつけられないほどでした。粗食を心がけていた家康ですが、晩年は脂肪分の多い食事も摂っていたのではないでしょうか。胆石症を患っていた可能性は大きいと思います。
また、胆石症の症状が軽くなっても、胃がんは進行を続けたために病状が一進一退を繰り返すように見えたのかもしれません。
家康の病状を裏付ける書物とは
今から400年も前に生きていた人物の病状がここまでわかっているのには、ある書物の存在が関係しています。それが、江戸幕府が19世紀前半に編纂した公式の歴史書、「徳川実紀」です。
先程胃がん説の証拠として4つの病状を紹介しましたが、そのほとんどは徳川実紀に掲載されています。細かく病状を記録しておいたおかげで、家康が亡くなった理由が現在の私たちにも推測できるわけですから、記録の大切さが今更ながら実感できます。
なお、徳川実紀は全517巻、初代の家康から10代将軍家治までの記録で構成されています(10代以降は続徳川実紀)。