「空海は即身仏なのか?」
「空海の仏様を今でも見ることができるのか?」
そうお考えの方も多いかと思いますが、まず結論からお伝えすると真言宗の開祖・空海は「即身仏」ではありません。既に火葬された記録が残っています。
空海が果たしたのは「即身成仏」であり、これは永遠の瞑想状態になった仏様のことを指します。
しかし言葉が似ていることや、あたかも生きているように今も崇められていることから「空海は即身仏」と思われることが多いようです。この記事では空海が果たした「即身成仏」とは何なのか?現在空海はどこにいるのか?詳しくまとめました。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
空海は即身仏なのか?
冒頭でもお伝えした通り、空海はミイラ状態の僧侶「即身仏」ではありません。生きながらにして仏になった「即身成仏」の僧侶です。
しかし、空海はいまだに瞑想している存在として高野山の霊廟にいると認識されています。そのため、ミイラ化した空海が安置されていると、誤って解釈されていることが多いようです。
空海の果たした「即身成仏」に迫りながら、空海の現在について詳しく述べていきます。
空海と即身仏について
なぜ空海は即身仏だと認識されてしまうのでしょうか。その理由について空海と即身仏の関係性に触れながら迫っていきます。
空海と即身仏についての解説
空海がミイラ状態の即身仏だと思われている背景には、「即身仏」「即身成仏」という言葉が似ていることや、いまだ生きているよう扱われていることからそのイメージが定着してしまったようです。
即身仏とは「ミイラ化した僧侶」を指します。しかし空海はミイラ化しておらず、荼毘に付されたという史料が数多く存在しています。実際に遺体が残っているわけではありません。
しかし食事が提供されたり、あたかも生きているような祀られ方をしているので「即身仏なのでは?」と異なって解釈されているのです。
空海は真言宗の開祖
空海は774年香川県生まれ、平安時代初期の僧侶です。後に仏教の一派・真言宗を開きます。19歳から山林での修行を始め、30歳の時に学問僧として唐に渡りました。
非常に優れた僧侶だった空海は梵語や経典をいち早く習得し、半年の間で密教の教えを学び帰国後に弟子たちに広く伝授します。
その後、歴代の天皇からも篤い帰依を受け、43歳の時には嵯峨天皇から賜った高野山を修行の場として開創。仏教の様々な宗派の中にも、真言密教の教えは浸透していき、日本の仏教に大きな影響を与えました。
空海は、仏門の活動の他にも多くの著作を著したり、唐で学んだ漢方医学の知識を伝授するなど多彩な文化活動を通して多くの人々にその優れた才能を活かしています。三筆の一人として書道界でも名を残しており、非常に多彩な僧侶でした。