「即身仏って何?」
「即身仏になる方法は?」
「即身仏は今でも見られるのか?」
即身仏とは、衆生を救う目的に厳しい修行の末ミイラ状態になった僧侶です。平安時代から明治時代初期にかけ、多くの僧侶が即身仏になるための修行を行いました。
しかし、即身仏という名前を知る一方で特徴やその方法、失敗するとどうなるのかなどといった詳細は、あいまいだったりしますよね。また、「空海は即身仏だったの?」などの即身仏にまつわる疑問を抱いている人もいるはず。
そこで今回は、即身仏についてわかりやすく解説します。即身仏の特徴やなる方法はもちろん、失敗する原因や現存する即身仏の所在地も紹介。この記事で、即身仏への知見は網羅できるでしょう。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
即身仏とは?
即身仏とは一体何なのか?はじめに即身仏の概要について説明します。
即身仏とはミイラ状態の僧侶
即身仏とは、厳しい修行の末に生きたまま自ら土の中に入り絶命し、ミイラ化して掘り起こされた僧侶のことです。生きている間から後世に残る体を作る修行を開始し、死後3年後に掘り起こすことを想定し、自らミイラになることを目指します。
しかし即身仏は、レントゲンで撮影した結果、臓器もそのまま残されているのが確認されているため、脳や内臓を取り除いて薬品を詰めた人為的なミイラとは少々異なります。
自然の力を借りて、体が残るように修行された末に完成した仏様なのです。
「即身仏」と「即身成仏」との違い
即身仏に類似した言葉に「即身成仏」という言葉がありますが、意味は全く異なります。
即身仏は先に述べたように、修行の末に生きたまま土に入って掘り起こされた僧侶のこと。つまりは見える形の仏様の体を指します。
一方で即身成仏とは、長い修行の末を経ればこの世にいたまま悟りを開いて仏になれる思想です。父と母から生まれたひとりの人間が、何度も生まれ変わらなくても一回の人生の間に仏になれるという考えを指します。これは真言密教の教義です。
仏教における悟りとは当初、修行を幾度も重ねて何度も生まれ変わる必要を説いています。しかし真言宗の開祖・空海が唐に渡り、中国で即身成仏の思想を日本に持ち込み理論化しました。
即身仏は「体」、即身成仏は「思想」。即身仏はこの密教と密接にかかわるのですが、言葉の響きは似ていても、中身は全く異なるのです。
即身仏に対する海外の反応
海外メディアは、日本の即身仏に対し強い興味を示しているケースが多いです。衆生を救うため、自らの命を投げ打った僧侶の意思には、「献身的」「自己犠牲」という声も挙がっています。
一方でその見た目から「興味深い」「アメージング!」といった意見も見られます。日本のアニメで即身仏が登場していることから、興味を持った海外の人が多いようです。
海外には、「不朽体」という奇跡的に腐敗しない聖人の遺体を崇拝する地域もあります。キリスト教における自己犠牲の精神とどこか共鳴する部分があるのかもしれませんね。
即身仏の3つの特徴
即身仏には一体どのような特徴があるのでしょうか。その詳細に迫ります。
特徴1:ミイラのような様相
言うまでもなく、即身仏の特徴はその見た目です。少しばかり肉の残る骨ばった体、木のような皮膚、表情があるような顔面。一抹の恐怖と畏怖を感じさせます。
しかし実際に即身仏になろうとした僧侶は、このような様相になるのを十分に理解した上で修行を重ね絶命しています。自身の体がミイラ化するような食事、運動、毒物摂取の修行もしていました。
座り込んで手を合わせている姿からは、お経を唱え続けていたのも理解できます。そこからは、信仰の厚さを読み取ることができるので、一概に「怖い」とも言えないでしょう。
特徴2:法衣(ほうえ)をまとっている
即身仏はとても徳の高い仏様であることから、法衣(ほうえ)を身にまとっています。この法衣は絶命した時に着用していたものではありません。実は、年に数回法衣の着替えを行っています。
飢饉で苦しむ衆生を救うことを目的に即身仏になったケースが多いため、即身仏は今でも多くの人々に尊ばれています。したがって今もなお、非常に徳の高い僧侶の法衣を身に付け、衣替えも行っているのです。
特徴3:東北地方に集中している
即身仏は、現在の東北地方にあたる地域で多く発見されています。江戸時代、「西の伊勢参り、東の奥参り」という言葉がありました。「東の奥の院」とは山形の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)を指し、霊験あらたかな場として多くの参拝客が足を運びました。
この神聖な山々に対する信仰が徐々に強まると、山での修行を行う僧侶が現れるようになります。この信仰は「山岳信仰」と呼ばれ、山の中で厳しい修行を積み仏になろうと志す人が多くなりました。
この修行の中に生じたのが即身仏です。特に東北地方は、寒さが激しい気候ゆえに飢餓が絶えませんでした。これを目にした僧侶は、自らの命を投げ打ってでも、修行と祈りの力を通じて民衆を救おうと考えました。
東北地方の山々に面したお寺に即身仏が多く安置されている理由は、出羽三山に対する僧侶の信仰が強かったことと、飢饉を起こすほどの厳しい極寒の環境という2つの要素が含まれています。